朴裕河のこの主張は黒田勝弘(産経)の著作から誕生した!!
この本には、朴裕河の「敵対関係ではなく同志的関係」の原型となる考え方が示されている。
例えば
「そこには敵対関係は無い」(『韓国人の歴史観』p27)
と書かれている。つまり「協力関係だった」というわけだ。
朴裕河はこの主張を大幅に取り入れている。抜き出してみよう。
2、韓国で批判されて有名になった黒田の著作
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「産経新聞」
2002年5月11日
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赤線を引いた部分 ↓
「著書には歴史的想像力の問題としていえば、当時の日本軍と慰安婦は、(支援団体がいうような)敵対関係ではなく、むしろ協力関係だっただろうーという部分があるのだが、これが絶対許せないというのだ。」
「抗議してきた人々は・・・・この「協力」という見方が許せないというのだ。」
とも書いている。
この「協力」という見方を引き継ぎ、強めたのが、朴裕河の著作である。
3、やはり、歴史学者による研究を無視
例えばこんなことを書いている。
いわいる従軍慰安婦に旧日本軍が関与したのは事実である。「慰安婦の対象が戦地における日本軍将校だったことを考えれば、監視・監督・管理などで軍の関与は当然であろう。この関与には保護の意味も含まれる。これは例えば、戦地でなくても沖縄の遊行街における米軍将兵を対象とした「A・サインバー」への米軍当局の「関与」もそうだし、韓国における韓国軍や米軍基地周辺での民間業者に対する規制・管理なども同じである」(p24)
いったいいつの時代の「慰安婦」論なのだろうか?
ついでだから、歴史学者による見解を掲載しておこう。
歴史的にいえば、日本軍の慰安所は、所属する軍構成員の性欲を処理させるために、日本の陸海軍が設置した軍の後方支援施設であり、そのような軍慰安所で軍人達の性欲を処理するために過酷な労働に従事させられた女性達すなわち軍慰安所従業婦が「慰安婦」と呼ばれました。日本軍は軍慰安所を軍の戦時編制上、必要不可欠の要素と位置づけました。ある程度以上の大きさの部隊には必ず慰安所が付設されたのです。そのため戦争の拡大とともに日本軍の野戦兵力が増大するにつれ、多数の「慰安婦」が必要となりました。しかし、誰も好きこのんでこのような業務につく者はいません。軍の需要を満たすために、軍はすでに存在していた実質的な人身売買制度を大いに利用しましたが、それだけではまかないきれません。必要とする「慰安婦」を充足させるために、軍の意向を体した女衒たちが拉致、誘拐、就職詐欺などの方法で女性を集め、軍はそれをそのまま収受して慰安所で働かせました。さらに前線末端の部隊ではそれこそ文字通り人さらい的に占領地の女性を無理矢理連行し、「慰安婦」の調達をはかることもおこなわれました。
(京都大学大学院文学研究科教授/専門近現代史「永井和の日記」http://ianhu.g.hatena.ne.jp/nagaikazu/20140819
さらに「慰安婦の無権利状態=奴隷化」については永井教授はこう書いている。
軍および政府は、軍が性欲処理施設を軍の編制に組み込み、女性をそこで働かせているという「恥ずべき」事実については、これをできるかぎり隠蔽する方針をとりました。軍の威信を維持し、出征兵士の家族の動揺を防止するために、すなわち日本帝国の戦時総動員体制を維持するために、慰安所と軍・国家の関係は公的にはふれてはいけないこととされたのです。「慰安婦」は軍・国家から性的「奉仕」を要求されると同時に、その関係を軍・国家によってたえず否認され続ける女性達であったといえましょう。軍は慰安所に関する規則をつくりましたが、このような方針がとられたために、「慰安婦」の保護に関するものはひとつも含まれていません。日本国内や植民地の公娼制度と比較しても、「慰安婦」はまったくの無保護、無権利状態におかれていたといわざるをえません。
これまでの研究成果をまとめており、当たり前のことだと思う。この中の軍が設置した軍の後方支援施設という部分以外は、1999年に黒田勝弘がこの本を書く以前から大要が変わっていない。
機会があればいつかその変質ぶりを紹介しようと思う。