河野談話を守る会のブログ2

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藤尾正行発言と森喜朗発言から知る神社信奉者の野望再び





1986年第3次中曽根内閣で文相だった藤尾正行は月刊誌文藝春秋(1986年10月号)で「戦争で人を殺しても殺人(罪)には当てはまらない」「韓国併合は合意の上に形成されたもので、日本だけでなく韓国側にも責任がある」等と主張し、罷免された。 
 それでも当選し続けていたわけだが、96年総選挙には出馬せず、政界を引退している。その藤尾正行文相が、1976年、自民党の内閣委員長時代にした発言がこれである。↓


天皇制度中心に日本民族の結集は果たされて来た。しかし、今後5年間、日本の将来に非常な危機が出てくると思う。日本国民の精神を守る心構えの中枢を造っていかなければならない。今国家のため。いざとなったら命をささげるという国民的合意を造りあげたい。そういう意味で、靖国神社を、仏教徒キリスト教徒も心から敬意を払うことにしたい。日本国民1億1千万が敬弔をささげることの代表として、象徴である天皇陛下皇后陛下に、心からご参拝をいただくことを実現したい。

              (角田三郎靖国と鎮魂』より)

 おそろしい人間がいたものである。
国家のため。いざとなったら命をささげるとは、どこかの作家のおかげで最近は多い”特攻隊かぶれ”だったのだろうか?

民主主義国家における政権の中枢にいながら、まるで昭和初期の右翼団体かどこかの神主みたいな主張を平気で述べている。つまりはこうした人物たちが政権の中枢に陣取りながら国民の目に隠れて右傾化の道を工作してきた結果が今日なのだろう。
ここで言う「守らなければならない」国民精神とは、「天皇制中心の日本民族」でありすなはち「国体」のことである。つまり「天皇が神であって国民は国民ではなく臣民であり、ひれ伏し拝まなければならない国家」を国民に合意させるというのだ。
そして、この国家のため。いざとなったら命をささげるという国民的合意を造り、靖国神社を心から敬意を払わせ、日本国民の精神を守る心構えの中枢を造って行くとは、「日の丸・君が代」問題に見られるようにまさに今日、安倍自民党を代表とする右翼勢力がやろうとしている事であろう。

の発言の延長上にあったのが、2000年5月15日、神道政治連盟国会議員懇談会結成三十周年記念祝賀会における森喜朗内閣総理大臣(当時)の発言である。


 神道政治連盟国会議員懇談会の三十年ということで、おそらく話があったんだろうと思いますが、この綿貫先生はまさしく神の子でありますから、しかも、きわめて位の高い神官でありますから、綿貫さんと私たちは同期生、同じ昭和四十四年の暮れに当選をした。綿貫先生はその纏め役をされておるわけでありますけれども、同じ同期には、当時二十七歳であった小沢一郎さん、その次に若かったのは私、その次に若かったのは私より二つ上の羽田孜さんでした。その次は大阪の中山正暉さん、梶山静六さんもおられましたし、江藤隆美さん、松永光さん、浜田幸一さんと多士済済、いろいろな方がおられた。本当に小沢さんをはじめとして、世間をお騒がせするものが私も含めて、たくさんおったのが、昭和四十四年組でございまして、その中で私どもが、綿貫さんの指導を仰ぎながら、神様を大事にしようという、最も大事なことであり、世の中忘れておるではないかということで、いわゆる神社本庁神道政治連盟、国会議員懇談会を設立したわけでございますから、まさに私達が中心になって設立し、この活動をさせて戴いたものと自負しておるわけでございます。  村上幹事長その他多大なる御努力のもと、「昭和の日」などの制定を致しましたり、今の天皇のご在位のお祝いを致しましたり、陛下御即位五十年、六十年のお祝いを致しましたり、ま、ややもすると政府側、いま私は政府側におるわけでございますが、若干及び腰になることをしっかりと前面に出して、日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知をして戴くその思いでですね、私達が活動して三十年になったわけでございます。比較的私達の同期というのはしぶとくて、結構国会に残っておりますのは、神様を大事にしているから、ちゃんと当選させてもらえるんだなあと思っているわけでございます。
 とりわけ、今日は梅原先生もいらしておりますが、やはり私は、有難いことに「森」という苗字を戴いておりまして、いまや日本だけでなく、世界中が環境の問題を語るには「森」を大事にしなくてはいけないでしょう。ということになるわけで、小渕さんまで私を大事にして下さったんではないかと思うぐらい、今の立場は本当に、小渕さんの残された仕事、思いをですね、しっかりと私が実行できるように努力せねばならぬ立場にあるわけです。それには、我々の子どもの社会から考えてみますと、やはり鎮守の森というものがあって、お宮を中心とした地域社会というものを構成していきたい。このように思うわけです。

 (中略) 全文は

私はあまり信心深い方ではないんですがそれでも、朝は、必ず、神棚に水をあげて、そして出て参ります。家にいる限りは。そうすると私の三歳になりましたが、孫が、一歳半から、必ず、一緒にならんでお参りしてくれるんです。今朝も、孫が私のことを先生先生といってくれるんですが、幼稚園に行く前にタッタタと私の寝室にきて、私は、昨日小渕さんのこともあって、大変つかれておったんですが、それでも、孫が起こしにきまして「せんせい」というから、「どうしたの?」というと、「お参りしよう、神様に」というんです。
 これは寝てるときではないなと思って、神棚にお参りした。この子が将来どうなるかは分かりませんが、日曜日には、教会に行っているとのことですので…。神棚にお参りしたり、教会に行ったり、いずれ石川県に行けば、また仏壇にお参りするんだろうと思いますが、要はお参りしようということを、小さな子どもが、お祖父さんがやることによって、覚えてくれる、私は息子や嫁にいうんです。「お前ら一番悪いじゃないか、中間は何にもしない。お前達が何にもしないから、おじいちゃんがやる。そのことによって、ちゃんと孫ができるようになる。」一番大事な家庭のこと、家庭の基本のこと、地域社会のこと、やはり神社を中心にして、地域社会っていうのは栄えて行くんだよということを、みんなでもういっぺん、みんなで、もういっぺん、そんなに難しい話じゃない、であって、そのことを勇気をもってやることが、二十一世紀がまた輝ける時代になるのではないかなということを私は思うんです。こうして全国の皆さん方がお越しの前で、私みたいなこんな余計なことを申すまでもないんですが、立場上、こうしてお話をさせて戴いておるんですが、多くの皆さんに影響力をもたらしてくれる方ばかりでありますので、皆さん方で勇気をもって今の子ども達の社会にもっと神様とか仏様とかということを、そうしたことをしっかりですね、体で覚えてゆく、そうした地域社会を作り出す、秩序ある地域社会を作り出す、そのためにますます皆様方がご活躍をして下さいますよう、またわれわれ国会議員の会も神社本庁のご指導を戴きながら、ほんとに人間の社会に何が一番大事なのかという原点をしっかり皆さんに把握して戴く、そうした政治活動をしていかなければならない。それが私の使命だとこのように思っておるわけでございます。


 
「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知をして戴く」

のだそうだ。
これが日本の政界の中枢=保守の頭の中に宿っている妄念である。

明治から昭和初期までの、あの「国体」信奉国家時代をもう一度、という訳だ。そして今、それを引き継いだのが、安倍普三首相である。

あの戦争こそ、その神道主義者の野望が引き起こした戦争であったにも関わらず。


侵略思想の淵源・・・大日本帝国はどうして侵略国家になったか?



続・侵略思想の淵源・・・皇軍は一個の強大な<国家神道カルト集団>であった