藤尾正行発言と森喜朗発言から知る神社信奉者の野望再び
1986年第3次中曽根内閣で文相だった藤尾正行は月刊誌『文藝春秋』(1986年10月号)で「戦争で人を殺しても殺人(罪)には当てはまらない」「韓国併合は合意の上に形成されたもので、日本だけでなく韓国側にも責任がある」等と主張し、罷免された。
おそろしい人間がいたものである。
国家のため。いざとなったら命をささげるとは、どこかの作家のおかげで最近は多い”特攻隊かぶれ”だったのだろうか? 民主主義国家における政権の中枢にいながら、まるで昭和初期の右翼団体かどこかの神主みたいな主張を平気で述べている。つまりはこうした人物たちが政権の中枢に陣取りながら国民の目に隠れて右傾化の道を工作してきた結果が今日なのだろう。
ここで言う「守らなければならない」国民精神とは、「天皇制中心の日本民族」でありすなはち「国体」のことである。つまり「天皇が神であって国民は国民ではなく臣民であり、ひれ伏し拝まなければならない国家」を国民に合意させるというのだ。
そして、この国家のため。いざとなったら命をささげるという国民的合意を造り、靖国神社を心から敬意を払わせ、日本国民の精神を守る心構えの中枢を造って行くとは、「日の丸・君が代」問題に見られるようにまさに今日、安倍自民党を代表とする右翼勢力がやろうとしている事であろう。
(中略) 全文は
のだそうだ。
これが日本の政界の中枢=保守の頭の中に宿っている妄念である。
明治から昭和初期までの、あの「国体」信奉国家時代をもう一度、という訳だ。そして今、それを引き継いだのが、安倍普三首相である。
あの戦争こそ、その神道主義者の野望が引き起こした戦争であったにも関わらず。
侵略思想の淵源・・・大日本帝国はどうして侵略国家になったか? |