>台湾政府は 「第2次世界大戦中の暗い歴史だ」とした上で、事実を忘れたり消去することはできないと強調。また、被害者とその家族に対して謝罪と賠償を要求した。<
というのに右派政治家もネトウヨも無視しがちの台湾。(笑)
なんとか言ってみろよ。
さて、台湾が提出した「軍の主体的関与」と「強制」を語る資料が河野談話の際にも使われていたことが最近分かったので、ついでに報告しておこう。
外務省の情報公開文書(2015年)
1992年に作成された台湾の「慰安婦調査報告の日本語訳報告書」を
外務省は1992年7月には入手していた。公開された文書
さて注目すべき点をいくつか切り出しておこう。
<画像をクリックして、(拡大)を押す>↓
「慰安婦」の徴集には「詐欺」や「強制」がつきものであったことを示している。
<画像をクリックして、(拡大)を押す>↓
前線に連れていかれた者が8名もいる。
そのほとんどが海南島で、中国やフィリピンも
軍隊の基地内に慰安所があったと答えた方が7名も
<画像をクリックして、(拡大)を押す>↓
<画像をクリックして、(拡大)を押す>↓
休憩日が少なかった
「8ヶ月後に初めて休めた」という方も
心身の自由の抑制
慰安所で初体験は2人
主な苦痛は、羞恥を感じる業務内容、強制的な業務の性質、そして人身の自由と尊厳がないことに起因している
慰安業務に反抗した
<画像をクリックして、(拡大)を押す>↓
「拒否したりできず、
自由売春とは異なるので、苦痛が多いが、
命令に従わされた」
←
「直接経営した慰安所には「人身の自由は無かった。」
「慰安期間は、7か月~6年の間
<画像をクリックして、(拡大)を押す>↓
平均年齢は73歳
遠い昔のことなので詳細は記憶していないし、矛盾もあるが・・・・
「河野談話」が作成される前に、こうした報告が日本政府になされていたが、今日までこうした資料が公開されることは無かった。報告書は全般的に「強制があった」と言えるだろう。
「河野談話」はこれらの集められた資料を全般的に参考にし、造られたものである。
右派論壇やネトウヨは、河野談話の「強制」を「強制連行」に言い換えて攻撃するが、強制があったのは紛れもない事実である。軍が造った慰安所システム、あるいは軍経営の慰安所内で被害者が苦しんだ場合の責任は、軍にある。民法第715条の思想が告げるように。
安倍首相は台湾政府が言うように、「被害者とその家族に対して謝罪と賠償」すべきである