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米南部の奴隷も「慰安婦」よりはましだったかも知れないのだ





ある奴隷少女に起こった出来事という本がある。原作は19世紀の逃亡奴隷であるハリエット・アン・ジェイコブズさんの自伝であり、堀越ゆきさんが翻訳している。主人によって「性奴隷」にされそうになった彼女は機転を利かせ、何人かの白人にも助けられながら逃亡するという話である。


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この本を読んでみて、第一感は、「昔の吉原の娼妓や慰安婦の生活よりもはるかにいいなあ」・・・である。

まずネトウヨたちが知りたいかも知れないので述べておくと、主人公の父親も奴隷であったが、主人にマージンを払いながらも、ちゃんと収入があり、大工の棟梁をまかされていた(p19)。この一家は「一緒に快適な家に住み」(p19)2人の子供に恵まれ、主人公は6歳で母親を失いながらも12歳までは幸福に暮らしていた。
米国の奴隷の中には、個人の家を持っている者もいたことがこの本からも分かる。南北戦争北軍の精神的支柱となった『アンクルトムの小屋』のトムは、しかし家だけを見れば日本人よりはるかに恵まれており、花が咲き乱れ、果物の木が生い茂る素敵な小屋に住んでいた。http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64585575.html

あれれーと思う人もいるだろう。本当にそれは奴隷なの?

日本人の奴隷のイメージは、銃で狩りたてられ、鎖につながれ、逃亡しようとして殴られたり、牛のペニスで造ったよくしなるムチで気を失うまで打たれているようなイメージだと思う。しかしかならずそのようなイメージ通りの奴隷がいたわけではない。
もちろん奴隷の人権は認められておらず、逃亡すれば、折檻がなされることもあったし、殺してしまうことさえあったわけだが、それは「お江戸の吉原遊郭」も同じであり、ほとんど変わらない人権侵害の歴史の一部なのである。この本には、主人公の祖母が内職でお金を貯めるシーンがあるのだが、慰安代金では生活がやっとなので、宴会などで軍人がくれるチップを貯金していた文玉珠さんを連想する。

いくつかの映画になったようにアフリカ大陸で黒人奴隷を仕入れていたポルトガルの商人たちは、確かに銃を手に、家畜同然に黒人を追い立てていただろう。しかしその後、2世や3世は定住しており「奴隷の子は奴隷」だが、お金を払えば解放された事もあったので主人公の父親はせっせとお金を貯めたのだ。前借金の名の下に人身売買された娼妓もまたお金を返し終われば解放された点が等しい。もっとも、慰安婦の場合借金を返し終えても帰国させてもらえないような例もあったのだが。『アンクル・トムの小屋』ではトムは執事頭だったが、この本で主人公の父親は大工の棟梁である。
無権利状態に置かれ、不当な扱いを受けていた代名詞のような米国奴隷だが、日本の娼妓たちや女工などよりもはるかにマシだった部分も多い。女工哀史などで伝えられる女工の生活も、12時間をはるかに超える労働、すずめの涙のような低賃金、居眠りでもしようものなら容赦なく浴びせられる検番の暴力・・・と「奴隷」としての要素が揃っていた。キリスト教信者の多い米国(と言っても1930年代までは人口の1,2割程度だろう)の奴隷は、定時に仕事を終え、日曜日は休息をとることを許されていることが多かった。『アンクル・トムの小屋』のトムも安息日の日曜日には礼拝に行っていたが、日本では昭和時代まで、丁稚奉公の習慣があり、丁稚たちが休めるのは盆暮れぐらいだったのだ。休みが乏しいのは皇軍も同じである。欧米各国は、ドイツ軍や米軍も兵士に長期休暇をとらせるシステムがあったが皇軍にはそのようなシステムが存在しなかった。日本の場合、一般に商行為と思われる制度や公的制度の中に奴隷類似制度が隠れており、それが米国の奴隷制度よりもましだという証拠は無い。長期にわたって慰安所生活をさせられた人の多い台湾や韓国では、慰安婦にさせられて半年も経て初めて休息の日があった方もいるのだ。http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64942339.html

恋愛した慰安婦がいたから奴隷ではない」と昔、無知な上にゴーマンな漫画家が書いていたが、米国の奴隷たちの間でも恋愛は普通になされていた。この本の主人公も黒人奴隷と恋愛し、「なぜ奴隷は恋におちるのだろう?」と問いかけている(p60~)。困難に直面し希望の無い人ほど強い恋愛感情を持つことが多いのは、恋愛の情熱がそのつらい人生を生きるには必要だからだろう。米国の奴隷は法的には結婚できなかった(p61)。しかし、牧師に式をとりはからってもらい(p204)、結婚生活を送った。米国の奴隷を調べていると1926年の「奴隷条約」の定義がなぜああなったかが理解できる。「所有権」を他人に握られているという事は、恐ろしいことだからだ。誰かが別の誰かを<モノのように所有>してしまうことを我々もセシル侯爵のように厭うべきである。日本の遊郭の花魁、慰安婦は「債務奴隷」であった。

最後に、このある奴隷少女に起こった出来事のあとがきを書いている佐藤優氏に言いたいのだが、奴隷制度というものを基本的に誤解している右派論壇に対して、「慰安婦が恋愛しても、お金を得ていても、それで奴隷でなかったなんて言えないんだ。」と主張すべきである。彼がそうしないのは、慰安婦問題にまったく無知であるか、もしくは自己欺瞞の塊だからだろう。外務官僚の政治意識がこの問題を歪めていることを理解すべきである。