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【安倍晋三と「慰安婦」問題―発言に見る、極右政治家の実像―(成澤宗男)】を読む


デマを流し続けている右派論壇とネトウヨそして安倍政権

 『週刊金曜日】の成澤宗男氏が、現在国会で「戦争法案」を通過させるためにデタラメな答弁を繰り返している安倍晋三首相の「慰安婦」問題発言の問題点を過去にさかのぼって指摘している。

必見なので今回、著作者の許可をたただき全文を転載することにした。一緒に安倍首相の「歪曲の手口を検証」してみることにしよう。



(なお下線部は、当「河野談話を守る会」による)



安倍晋三と「慰安婦」問題
―発言に見る、極右政治家の実像―

成澤宗男(ジャーナリスト)


序章

 日本が戦後70年の「節目」を迎えようとしている現在、最も問われているのは、1945年8月15日以降、この国において旧大日本帝国に対する制度的・理念的決別の意志と、それを具体化するための措置がいかなるものであったのか、という総括であろう。だが今日、総括どころか、決別する努力を押し戻し、非難さえする勢力の根強さを日々見せつけられているように思える。
そもそも戦後とは、同じ敗戦国ながら「過去の克服」を掲げ続けているドイツと異なり、大日本帝国が国内外で手を染めた数々の犯罪行為に対し、反省と被害者への謝罪・賠償、責任者の追及、そして次世代への歴史教育実施等の措置を不十分に終わらせ、故意の怠慢を重ねてきた年月ではなかったのか。それは、対外的には朝鮮半島等の植民地支配、南京大虐殺に見られる中国大陸を始めとしたアジア太平洋戦争での占領地域における戦争犯罪、さらに日本軍「慰安婦」といった個別の具体的事例に戦後どのように向き合ってきたのかを検証すれば、より如実となる。
 そして90年代初頭から公然化した比較的新しい歴史的課題であるこの「慰安婦」問題の経緯を考察して気付くのは、最初から現在までそうした「捏造」呼ばわりして貶める策動を一人の政治家が中心的に担い、継続し、現在もその言動によって内外に波紋を及ぼし続けているという特異性に他ならない。言うまでもなく、安倍晋三を指す。
安倍は、最初から「都合の悪い事実は認めたくない」「事実はこうであってほしい」という主観的願望を優先するあまり、他者と事実を基に理詰めで論議する姿勢に欠け、そこでは常に逃げ口上が用意されている。こうした人物が最高権力者に収まったがゆえに、過去の戦争責任についての重要なテーマの一つである「慰安婦」問題の解決が妨げられるのみか、心ない放言によって「慰安婦」にされた被害者が繰り返し傷つけられているのではないのか。 
しかしながら、「慰安婦」の問題は、2014年8月の『朝日新聞』「誤報」騒動を契機に、それがあたかも「捏造」であったかのような政府・右派メディア一体となった虚偽宣伝が、戦後類例を見ないほどの激しさで今日も続いている。そのために、安倍のこれまでの言動が問題視されにくいような気運が生まれているのではないか。この論文では安倍の「慰安婦」に関する言動を追跡し、その歪曲の手口を検証する。こうした人物が「首相」であること自体、戦後70年にしてこの国がたどり着いた先に広がる限りなく貧しい政治光景を象徴していよう。

1 「キーセン」への固執と最初の攻撃

 安倍が三代目の世襲政治家として初当選したのは、1993年7月18日に実施された総選挙であったが、同選挙で非自民の7党連立による細川政権が発足した5日前の8月4日、奇しくも「河野談話」(宮沢内閣での「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」)が発表された。そして安倍は、96年10月20日の次の総選挙で「二年生議員」となって以降、河野談話への攻撃を開始していく。この時期に「慰安婦」問題についての安倍の認識のゆがみが形成、固定化され、後に多くの指摘がありながら、今日に至ってもそれが解消される可能性はほぼ皆無となっている。
その歪みとは、そもそも「慰安婦」とは「売春婦」であるという強い思い込みに他ならない。その例が、97年12月に刊行された『歴史教科書への疑問』展転社)なる本に記載された以下の安倍の発言であろう(傍線引用者。以下同)。

実態は強制的に連れていかれたということになると、本人だけではなくて、その両親、そのきょうだい、隣近所がその事実を知っているわけですね。強制的にある日、突然、拉致されてしまうわけですから。(略)そうすると、周りがそれを知っているわけですね。その人たちにとっては、その人たちが慰安婦的行為をするわけではなくて、何の恥でもないわけですから、なぜその人たちが、日韓基本条約を結ぶときに、あれだけ激しいやりとりがあって、いろいろなことをどんどん、どんどん要求する中で、そのことを誰もが一言も口にしなかったかというのは、極めて大きな疑問であると言わざるを得ない。かつまた、今回、そういう話であれば極めて勇気がいる。
 とすると、絶対一〇〇%慰安婦として行為をしていた人以外が手を挙げることは考えられないわけでありますが、そうではなくて、私は慰安婦だったと言って要求をしている人たちの中には、富山県に出ていたというようなことを言う人だっています。富山には慰安所も何もなかった。明らかに嘘をついている人たちがかなり多くいるわけです。そうすると、ああ、これはちょっとおかしいな、とわれわれも思わざるを得ないんです。
 ですから、もしそれが儒教的な中で五十年間黙っていざるを得なかったという、本当にそういう社会なのかどうかと。実態は韓国にはキーセン・ハウスがあって、そういうことをたくさんの人たちが日常どんどんやっているわけですね。ですから、それはとんでもない行為ではなくて、かなり生活の中に溶け込んでいるのではないかとすら私は思っているんですけれども(略)


 ここで示されているのは、①「慰安婦」として名乗り出た女性たちは「明らかに噓をついている人たちがかなり多くいる」②「慰安婦」は、「慰安所」での行為と本質的に同じことを「日常どんどんやっている」「キーセン・ハウス」が韓国にあることからも、「売春婦」に等しい―という認識だろう。
さらにそこから、③「売春婦」であるなら「自らの意思」で金銭と引き替えに、それを生業とする場(「慰安所」)に赴くから、決して「強制」されたのではない。④実際「日韓条約を結ぶときに」誰も「強制」されたと「一言も口にしなかった」のは、「強制」がなかったため―という結論が導き出される。
安倍が「慰安婦」問題で一にも二にも「強制」という用語に異常にこだわるのは、「慰安婦」を「商売女」呼ばわりした奥野誠亮や板垣正ら、安倍が早くから気脈を通じていた当時の自民党の極右議員らと共通する歪んだ思い込みに起因するのは疑いない。「強制性」が否定されたなら、即「慰安婦」が「女性の商行為」の一種である証明につながり、「商行為」である以上は国家の責任問題にはならない――という論法なのだ。仮に「売春婦」であったとしたら、「強制的な状況下での痛ましい」「生活」(河野談話)を余儀なくされても、それは気に留めるほどの問題ではないと本音では見なしている。こうした思考体質の者たちに、「慰安婦」問題を人権の問題として受け止める余地がどれだけあるのだろうか。
安倍は1997年5月27日の衆議院決算委員会で質問に立ち、河野談話を攻撃した。そこでの題材は、中学校用教科書の「慰安婦」記述であった。要は、「いわゆる従軍慰安婦というもの、この強制という側面がなければ特記する必要はない」にもかかわらず、「ほとんどの教科書」が「強制性をかなり疑っている、強く示唆している」からけしからん、という的外れの「国会質問」に過ぎない。安倍のこうした無理解が、以前から長らく矯正されないまま今日まで固定化されているのを雄弁に示しているが、以下はその抜粋だ。

そもそも、この従軍慰安婦につきましては、吉田清治なる詐欺師に近い人物が本を出した。この内容がもう既にめちゃくちゃであるということは、従軍慰安婦の記述をすべきだという中央大学の吉見教授すら、その内容は全く根拠がないということを認めております。しかし、この彼の本あるいは証言、テレビでも彼は証言しました。テレビ朝日あるいはTBSにおいてたびたび登場してきて証言をいたしました。(略)


 しかし、今は全くそれがうそであったということがはっきりとしているわけであります。この彼の証言によって、クマラスワミは国連の人権委員会に報告書を出した。ほとんどの根拠は、この吉田清治なる人物の本あるいは証言によっているということであります。その根拠が既に崩れているにもかかわらず、官房長官談話は生き、そしてさらに教科書に記述が載ってしまった。これは大変大きな問題である、こういうふうに思っております


 この発言に見られる誤認点を整理してみたい。
 例によって「強制性」を取り上げているが、意図的か知力の不足によるものか不明だが、最初から問題を歪曲している。ある意味で、「慰安婦」=「売春婦」の思い込みと同様、この「強制」という意味の無理解は、安倍の「慰安婦」問題をめぐる誤認の二大要因を構成している。
河野談話には、「強制」という語が一ヵ所だけ登場する。すなわち、「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」という記述だ。これは、「慰安婦」が置かれていた「痛ましい」「状況」、すなわち彼女たちが追い込まれた「慰安所」での環境がいかなるものであったのかを示す。
ところが安倍は、この「強制」を論じる際に、必ず故吉田清治の「証言」を持ち出す。なぜなら安倍によれば、吉田「証言」とは「日本兵が、人さらいのように人の家に入っていって子どもをさらって慰安婦にした」(2014年9月14日に放映されたNHK番組での発言)」という内容に他ならない。この「人さらい」云々の行為を含め、「慰安婦」にされるまでの形態だけを問題にし、そこで「強制」(あるいは「強制連行)があったか否かだけに焦点を置くるのだ。
その上で、「人さらい」のように「強制連行」して「慰安婦」にしたという吉田「証言」が「うそであった」以上、「慰安婦」という問題が存在するかどうか疑わしい―とする主張になる。しかしこのレトリックの欠陥は、河野談話で触れられている「強制的」とは、どのようにして「慰安婦」にされたのかという形態ではなく、「慰安婦」にされてからの状態を示している事実を勝手に無視している点にある。
つまり「人さらい」だろうが「甘言」だろうが、あるいは被害者が安倍のイメージするような「売春婦」だろうが本質的問題ではなく、河野談話は結果的に「本人たちの意思に反して集められ」、そこで「強制的な状況」下に置かれたことが、問題の本質であると見なす。これを無視し、勝手に「人さらい」をイメージさせる「強制連行」の有無に議論を矮小化するのだ。
だが、河野談話のこうした視座は、世界的にも国連や多くの各国政府、国際NGO等に共有されており、その埒外にあるのは安倍と安倍に代表される自民党や極右、及び彼らを有力顧客とする右派メディアだけであろう。したがって吉田「証言」が「うそであった」としても、それによって河野談話の「根拠が既に崩れている」という結論が導かれようがなく(後述するように河野談話の作成過程で、吉田「証言」は一切使われていない)、これほど幼稚なレトリックを今でも振りかざしているところを見ると、そもそも安倍は本当に河野談話を読んでいるのかという疑惑すら湧く。
百歩譲って安倍が主張するように「慰安婦」にされた過程が問題だとしても、「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた」という事実を認めるのであれば、それこそ「強制」ではないのか。加えて吉田「証言」が「うそ」であったとしても、それは1943年の済州島に限定された「証言」に過ぎず、中国大陸から東南アジアまでの全域で生じた「慰安婦」の悲劇をすべて代表しているのではない。
この「強制」のウソは、次から次へと新たなウソを生む。「(吉田)証言によって、クマラスワミは国連の人権委員会に報告書を出した」などという安倍の発言もその典型で、おそらく一度たりとも読んでいないことの確実性では、河野談話よりもクマラスワミの「報告書」のほうがはるかに高そうだ。
なぜなら、日本も1996年に採択に加わったクマラスワミの「報告書」、すなわち「日本軍性奴隷制度報告書」で言及している吉田「証言」は、わずか4行足らず。しかも、安倍の覚えめでたく、以前は「(慰安婦の)七~八割は強制連行に近い形で徴集された朝鮮出身の女性」(1985年刊日本陸軍の本』より)と書きながら、今では「慰安婦」を「商売女」呼ばわりしている「歴史学者秦郁彦の吉田「証言」に対する反論が、その何倍ものボリュームで並記されているからだ。
そもそもこの「報告書」が最も注目しているのは、「女性被害者は、戦時の強制売春及び性的隷従と虐待の期間中、連日の度重なる強姦と激しい身体的虐待に耐えなければならなかった」という、「慰安所」における「軍事的性奴隷」としての悲惨極まる実態である。したがって、安倍のように「慰安婦」にされた過程が「強制連行」かどうかなどと問題視する発想は皆無だ。にもかかわらず、なぜ吉田「証言」によって「クマラスワミは国連の人権委員会に報告書を出した」といった作り話が可能となるのか。
ちなみに、安倍は「ほとんどの根拠は、この吉田清治なる人物の本あるいは証言によっている」と述べているが、これがクマラスワミの「報告書」のことなのか、あるいは他の全般的な報道や国連機関の「報告書」等も含んだ「慰安婦」問題の言及の「根拠」という意味なのか、定かではない。だが、安倍の持論は、「『慰安婦』問題は『朝日』による吉田『証言』の誤報から生まれた」というものである以上、後者の可能性もある。もしそうであれば、妄想も極まれり、だろう。
吉田「証言」については改めて後述し、こうした安倍のような発想が根本的に誤りである所以を端的に示す次の一文だけを紹介するに留めたい。

『産経』に代表される「慰安婦」問題否認勢力によれば、「慰安婦」問題とは朝日新聞(以下『朝日』)が吉田「証言」などを利用して“捏造”したものなのだ、とされている。
 先の記事(注=『産経』2014年5月21日付「歴史戦」「「第2部 慰安婦問題の原点2」のこと)は「朝日は慰安婦問題が注目されるようになった〔平成〕3年半ばからの1年間に、吉田を4回も紙面に登場させている」と、あたかも『朝日』が大キャンペーンを展開したかのように書き立てているが、朝日新聞社のインターネット・データベース「聞蔵IIビジュアル」で検索可能な一九八五年から今日までに「吉田清治 慰安婦」をキーワードとして検索したところ該当する記事はわずか一〇件にすぎない(ちなみに『産経』のデータベース「The Sankei Archives」では同様の条件で三八件が該当する)。そのうち氏の「証言」を詳しく紹介しているのは九一年の二つの記事であり、それ以外のものには氏の訪韓や講演活動を知らせるだけのものが含まれている。その程度のことであれば、例えば九二年八月一五日の『読売新聞』(以下『読売』)夕刊が、大阪で開かれた市民集会で吉田氏が「証言」したことを伝えている(読売新聞社のデータベース「ヨミダス」による)。そして九三年以降『朝日』が吉田氏の「証言」に依拠した記事を掲載したことはない。吉見義明・中央大学教授らの研究者も彼の「証言」を資料としては用いていない。九一年八月に元「慰安婦」の金学順さんが名乗り出たのを機に文字通り桁違いに増えた「慰安婦」報道のなかでは、吉田「証言」の重要性は極めて低い」(能川元一「『慰安婦問題=朝日新聞の捏造』説に反駁する」URLhttp://readingcw.blogspot.jp/2015/01/blog-post.html

2 第一次安倍政権の破綻の始まり

2006年9月26日に首相に選出された安倍は、翌年の9月12日、国会での所信表明演説後に各党の代表質問を受ける当日になって、突然政権を投げ出すという異例の形で、一期目を終えた。そもそも安倍のような「極右政治家」が首相になること自体、近隣諸国との関係を阻害する結果しかもたらさないのは最初から自明であったろうが、任期中に見せつけた一連の「慰安婦」をめぐる混迷や失言、言動不一致が、政権投げ出しに劣らずこの政治家の本質を明白に示していただろう。
おそらく首相になった安倍が、気楽に「極右政治家」気取りのままではいられないという現実を知らされたのは、06年10月6日に開かれた衆議院予算委員会で、共産党志位和夫議員の舌鋒鋭い質問を浴びた際ではなかったか。
志位議員は冒頭、安倍の当選以来の歴史修正主義的言動を、実例を挙げながら取り上げたが、安倍は「歴史認識については、政治家が語るということは、それはある意味、政治的、外交的な意味を生じる」という不可解な逃げ口上を使い、「そういうことを語ることについては謙虚でなければならない」などと答弁した。
これに対し志位議員が、「首相は、首相になってからの答弁では、歴史観を語らない方が謙虚なんだ、政治家は歴史観を余り語るべきじゃないんだということをおっしゃるけれども、首相になるまでは、さんざん、それこそ、植民地支配、侵略的な行為、それを言うこと自身が自虐史観であり、歴史観をゆがめる、そういう立場で行動してきたじゃないか。これは説明がつかない矛盾じゃありませんか」と追及した。
だが、安倍は「今急に、随分昔の議員連盟で出した文書を出されても、私も何とも答えようがない」などと、苦しい言い訳で逃げの一手に終始する。それに対し志位議員は、たたみかけるように「慰安婦」問題に触れていく。以下、そのやり取りを紹介しよう。

 志位 私が本会議質問でこの問題をただしたのに対して、首相は、いわゆる従軍慰安婦問題についての政府の基本的立場は河野官房長官談話を受け継いでいると答弁されました。しかし、河野談話を受け継ぐと言うのなら、首相の過去の行動について、どうしても私はただしておきたい問題があります。
 ここに、1997年5月27日の本院決算委員会第二分科会での議事録がございます。安倍議員の発言が載っております。「ことし、中学の教科書、七社の教科書すべてにいわゆる従軍慰安婦の記述が載るわけであります。」「この従軍慰安婦の記述については余りにも大きな問題をはらんでいるのではないか」「いわゆる従軍慰安婦というもの、この強制という側面がなければ特記する必要はないわけでありますが、この強制性については全くそれを検証する文書が出てきていない」、こう述べられております。そして、結局、これは、教科書から従軍慰安婦の記述を削除せよという要求です。さらに、教科書にこうした記述が載るような根拠になったのは河野官房長官の談話だとして、談話の根拠が崩れている、談話の前提は崩れていると河野談話を攻撃しています。
 河野談話を受け継ぐと言うのだったら、私は、首相がかつてみずからこうやって河野談話を攻撃してきた、この言動の誤りははっきりお認めになった方がいい、このように考えますが、いかがでしょうか。


(5000字制限のため続きは次回)