日本政府の外注先となった韓国政府
「あなた誰よ!日本の外務省か!」 元慰安婦、面会の韓国外務省高官を罵倒したのは、イ・ヨンスさんである。http://www.sankei.com/world/news/151229/wor1512290067-n1.html 私も動画でその様子を見た。まったくその通りだな、と思いながら。そして韓国政府がこれから辿っていく道を考えると不憫でさえある。
韓国政府は今回の「合意」なるものになぜ、合意したのだろうか?朴クネ大統領は「高齢だから、急いだ」と述べていたがhttp://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201512/CK2015123102000114.html、巷間に噂される「米国からの命令」なるものがあったのだろうか?もしそういうものがあったとしても、あんなデタラメな条件で合意してしまうとは、見識不足であることは確かだろう。
韓国政府は自分が何をしたのか、理解していないようだから、整理しておいてやろう。簡単な事だ。韓国政府は「問題の最終的かつ不可逆的な解決」という名の契約で日本政府に使われる身になったのである。アニメの魔法使いとその僕のようなものだ。契約に縛られ、命令に服従しなければならない”使い魔”になったというわけだ。「何が外務省だ。所属は? 日本の外務省か」との非難も浴びせられた外務省の林聖男(イム・ソンナム)第1次官の表情が何よりもそれを物語っている。日本軍「慰安婦」問題全国行動の声明文が述べているように、「被害者不在の解決」などあるわけがないのだが、何を舞い上がったのか、ハルモニたちにまるで相談する事なく勝手に「解決」という名の契約したのである。
「こんにちは」(韓国外務省・イム・ソンナム次官)
「あんた誰よ。何様なの」(元慰安婦)
元慰安婦が共同生活を送る施設を訪れた韓国外務省のイム・ソンナム第1次官。日韓で決着した合意内容について了解を得ようとしますが・・・
「会談より前に被害者に会うべきでしょう。年寄りで分からないと思って無視するの?」(元慰安婦)
「そんなことありません」(イム・ソンナム次官)
イム次官が、半ば強引に元慰安婦の手をとって座らせますが、怒りは収まりません。
「韓国外務省は何てことするんだ!」(元慰安婦)
「あんた誰よ。何様なの」(元慰安婦)
元慰安婦が共同生活を送る施設を訪れた韓国外務省のイム・ソンナム第1次官。日韓で決着した合意内容について了解を得ようとしますが・・・
「会談より前に被害者に会うべきでしょう。年寄りで分からないと思って無視するの?」(元慰安婦)
「そんなことありません」(イム・ソンナム次官)
イム次官が、半ば強引に元慰安婦の手をとって座らせますが、怒りは収まりません。
「韓国外務省は何てことするんだ!」(元慰安婦)
<動画>
ハルモニ達が怒るのも当たり前だ。本人たちにまるで相談する事なく、勝手に「合意」しておいて、その内容は河野談話の文言と村山の手紙を掛け合わせたようなものにすぎない。求めていた歴史資料の公開はどうした?「後世に伝える」はどこに行ったのか?金が欲しければ、アジア女性基金をもらってるだろうに。名誉の回復要求が、安倍の本気でもない謝罪文でちゃらにされてしまうのか?しかし、手紙は、橋下や小泉によってすでに書かれているではないか。騙されて戦場に行き、命を削りながらギリギリのところを生きて来たハルモニ達にそんな口先だけの謝罪が通じるわけがなかったのである。ゆえに多くのハルモニが拒絶したではないか?どうして確認しないのだろうか?何をして欲しいですか?とすでに40数人しかいない人達に、一人一人聞いてみたとしても、たいした手間でもあるまいに。
まっ事情は分かる。我が国と同じだろう。高級官僚とか政治家というものは、自分の決定したことに下々が従うと信じているからだ。自分が決めたのだ。分かってくれるに違いない。という不確かな自信があったわけだ。こうして、頭越しの決定をしてしまう。あまりにも軽率と言えるだろう。困惑の表情の林聖男だが、もう日本政府に文句を言える立場ではない。なぜなら「最終的かつ不可逆的な解決」に合意してしまったからだ。安倍や岸田はさぞやほくそ笑んでるだろう。「あとはもう朴槿恵大統領のリーダーシップの問題だよ」と政府関係者は述べたらしい。今後、ハルモニたちが不満を述べてもそれは、韓国政府が何とかすべき国内問題なのである。イ・ヨンスさんが叫んだように「日本の外務省」の手先となったのである。
「(Q.総理からねぎらうような言葉は?)ふふふ・・・はい!『ご苦労さまでした』という言葉はいただきました」(岸田文雄外相)
「今までは韓国は自分からこのフレーズを言ったことはなかった。でも今回はテレビの前で話して世界が目撃者になったわけだ」(政府関係者A)
「国際社会が目撃した合意を破ることはないだろう」。こう期待する政府関係者に、別の政府関係者は・・・
「今後、慰安婦の支援団体が騒いでこちらに言われても困る。あとはもう朴槿恵大統領のリーダーシップの問題だよ」(政府関係者B)
「国際社会が目撃した合意を破ることはないだろう」。こう期待する政府関係者に、別の政府関係者は・・・
「今後、慰安婦の支援団体が騒いでこちらに言われても困る。あとはもう朴槿恵大統領のリーダーシップの問題だよ」(政府関係者B)
「合意」後のこの様子を見れば、一目瞭然であろう。韓国政府は今後起こる事態に対して、仕事を受け持ってしまったのである。その様子を察知した韓国の新聞は「自らの手足縛る」と書き、http://www.sankei.com/world/news/151229/wor1512290065-n1.html 東京新聞は「韓国が抱えた火種 元慰安婦らの説得課題」と報じている。
<東京新聞>
鄭栄桓氏の指摘を最後に掲載しておこう。
(略)
おそらく「合意」がもたらす最大の問題はここにある。今回の「合意」において韓国政府は当事者の説得と少女像の日本大使館前からの撤去も含めた交渉の担当、という役割を引き受けた。いわば日本政府は、異論の封じ込めを韓国政府に「外注」したのである。もはや日本政府には、自ら交渉する手間すら存在しない。韓国政府と当事者たちが揉めるのを高みの見物していればよいのである。日本政府は問題を韓国の国内問題にすり替えてしまった。「合意」に異論のある者たちは、今後は日本政府のみならず、その前に立ちはだかる韓国政府をまずは相手にせねばならない。朴裕河的「和解」がもたらした異論封じ込め「外注」の構造である。
予想通りというべきか、日本の大手メディアの論調は基本的には問題「解決」への歓迎一色である。「外注」の旨みをよくわかっているのだろう、韓国政府に対し、少女像移転も含めた合意事項を「支援団体」に受け容れさせよ、と口をそろえて注文をつけている。『毎日』『朝日』の社説を引いておこう。
「ただし、画期的な合意であっても不満を持つ人々は残る。そうした時に大局的見地から国内をまとめていくのが政治指導者の役割だ。/韓国政府は、日本が強く問題視する在韓日本大使館前に建つ少女像の撤去にも前向きな姿勢を見せた。韓国で慰安婦問題の象徴になっているだけに簡単ではなかろう。真の和解につながる歴史的合意とするためには、まだ多くの作業が残っている。日韓両国が互いを信頼し、協力していかねばならない。」(『毎日新聞』2015/12/29社説)
「両政府とともに、元慰安婦たちの支援者ら市民団体、メディアも含めて、当時の教訓を考えたい。/新たに設けられる財団の運営のあり方については今後、詰められる。何より優先すべきは、存命者が50人を切ってしまった元慰安婦たちのそれぞれの気持ちをくむことだろう。/韓国の支援団体は合意について「被害者や国民を裏切る外交的談合」と非難している。日本側からもナショナリズムにかられた不満の声がでかねない。/だが今回の合意は、新たな日韓関係を築くうえで貴重な土台の一つとなる。日本政府は誠実に合意を履行し、韓国政府は真剣に国内での対話を強める以外に道はない。」(『朝日新聞』2015/12/29社説)
「外注万歳!」というところだろうか。「対話」云々と耳障りのいい表現は使っているが、両紙とも日韓の「合意」を覆す選択肢などはなから想定していないのであるから、結局のところ「合意」事項の押しつけに他ならない。ただ、日本の識者や報道の論調は多かれ少なかれこの調子だ。対協を韓国政府がしっかり黙らせてくれるのを期待しているのであろう。
もちろん言うまでもないことだが、このような日本の「世論」づくりに最も貢献したのは朴裕河自身である。『和解のために』『帝国の慰安婦』で日本を批判する被害当事者たちや挺対協、そして何より少女像を批判し、「和解」の障害扱いをし続けたのは、他ならぬ朴裕河であった。『帝国の慰安婦』が日本軍「慰安婦」問題の認識の深まりに貢献したことは何一つなかったが、挺対協が「和解」の障害であるという予断を日本社会、とりわけ報道・出版関係者に刷り込ませることには成功したのである。グロテスクな異論封殺の「外注」を日本の(自称リベラルも含めた)言論人たちが、「対話」の名で容認できるのは、朴裕河の「和解」言説に負うところが大きいといえよう。あまりに罪深い。
2016年は、少女像撤去をめぐる韓国内の葛藤で幕を開けよう。「外注」の構造のなかで、ますます被害者の声は日本に届きづらくなるだろう。だが、問われているのは「日本問題」である、という事実は変わらない。本当にこのような「解決」でよいのか。改めて「大多数の日本国民たち」は自らに問いかけるべきではないだろうか。
予想通りというべきか、日本の大手メディアの論調は基本的には問題「解決」への歓迎一色である。「外注」の旨みをよくわかっているのだろう、韓国政府に対し、少女像移転も含めた合意事項を「支援団体」に受け容れさせよ、と口をそろえて注文をつけている。『毎日』『朝日』の社説を引いておこう。
「ただし、画期的な合意であっても不満を持つ人々は残る。そうした時に大局的見地から国内をまとめていくのが政治指導者の役割だ。/韓国政府は、日本が強く問題視する在韓日本大使館前に建つ少女像の撤去にも前向きな姿勢を見せた。韓国で慰安婦問題の象徴になっているだけに簡単ではなかろう。真の和解につながる歴史的合意とするためには、まだ多くの作業が残っている。日韓両国が互いを信頼し、協力していかねばならない。」(『毎日新聞』2015/12/29社説)
「両政府とともに、元慰安婦たちの支援者ら市民団体、メディアも含めて、当時の教訓を考えたい。/新たに設けられる財団の運営のあり方については今後、詰められる。何より優先すべきは、存命者が50人を切ってしまった元慰安婦たちのそれぞれの気持ちをくむことだろう。/韓国の支援団体は合意について「被害者や国民を裏切る外交的談合」と非難している。日本側からもナショナリズムにかられた不満の声がでかねない。/だが今回の合意は、新たな日韓関係を築くうえで貴重な土台の一つとなる。日本政府は誠実に合意を履行し、韓国政府は真剣に国内での対話を強める以外に道はない。」(『朝日新聞』2015/12/29社説)
「外注万歳!」というところだろうか。「対話」云々と耳障りのいい表現は使っているが、両紙とも日韓の「合意」を覆す選択肢などはなから想定していないのであるから、結局のところ「合意」事項の押しつけに他ならない。ただ、日本の識者や報道の論調は多かれ少なかれこの調子だ。対協を韓国政府がしっかり黙らせてくれるのを期待しているのであろう。
もちろん言うまでもないことだが、このような日本の「世論」づくりに最も貢献したのは朴裕河自身である。『和解のために』『帝国の慰安婦』で日本を批判する被害当事者たちや挺対協、そして何より少女像を批判し、「和解」の障害扱いをし続けたのは、他ならぬ朴裕河であった。『帝国の慰安婦』が日本軍「慰安婦」問題の認識の深まりに貢献したことは何一つなかったが、挺対協が「和解」の障害であるという予断を日本社会、とりわけ報道・出版関係者に刷り込ませることには成功したのである。グロテスクな異論封殺の「外注」を日本の(自称リベラルも含めた)言論人たちが、「対話」の名で容認できるのは、朴裕河の「和解」言説に負うところが大きいといえよう。あまりに罪深い。
2016年は、少女像撤去をめぐる韓国内の葛藤で幕を開けよう。「外注」の構造のなかで、ますます被害者の声は日本に届きづらくなるだろう。だが、問われているのは「日本問題」である、という事実は変わらない。本当にこのような「解決」でよいのか。改めて「大多数の日本国民たち」は自らに問いかけるべきではないだろうか。
日韓三項目「合意」と異論封じ込め「外注」の構造
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