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日本近現代史にやたらと多い公文書の焼却


これは

「売笑婦ノ実状取調方ノ件」
という公文書なのだが、こんな風に書かれている。

作成者名称
幣原大臣
資料作成年月日
昭和5年後5月26日
規模
101
組織歴/履歴
外務省
内容
国際連盟婦人児童問題一件 東洋ニ於ケル婦女売買実地調査
ノ件 準備調査(売笑婦ノ実状取調ノ件) (起草昭和五年後五
月二十六日) 件 売笑婦ノ実状取調方ノ件 大正十三年十月
二十日付 拙信和一機密合第二三四号ニ関シ 売笑婦ノ最近
ノ実状御取調ノ上成ルヘク六月末迄ニ至急御回報相成度 在
外公館一覧表 (開館予定地ヲモ含ム) (昭和五年二月現在)
 大使館 九 領事館 五五 商務官 七 公使館 一八 分館 一三 
代表其他 三 総領事館 三〇 出張所 八 総数 一四三 此ノ系
統ニ依リ発電ノコト (全部系統発電ノコト) 間島 安東 牛荘 長
奉天 吉林 哈爾賓(齊々哈爾、満州里)特電アリタシ 北平
 天津 青島(芝罘)特電アリタシ




大日本帝国では、機密文書を焼却するのが普通だった。機密文書というのは、あからさまになるとまずい文書である。
その時は秘密でもしょうがないものもあるが、何十年か経てば公開しなければならない。
そうしないとすべてが歴史の闇に飲み込まれてしまう。
だいたい公文書破棄は犯罪である。

米国では、一定期間を経たのちに文書の公開が法律で決まっているが、日本においては今日でも文書を破棄したり、非公開にしている。国民に知られては都合の悪いことが多いからだ。

そういうわけで、日本の歴史研究は公文書中心にはならない。回想や証言などに頼らざるを得ない面があるのだ。

軍がやっていた阿片の製造とか、BC兵器、人体実験、さまざまな機関がやっていた工作、虐殺や侵略戦争自体を平気でもみ消して来た歴史、明治以来の国家主義の中で文書の破棄は正当化され、誰にも咎めっられないで来たのである。

そろそろこの状況を変革する必要がある。



公文書破棄を懸念 瀬畑さん、秘密法施行で指摘
2014年11月23日


公文書館は22日、講演会「公文書はだれのもの? 公文書管理制度と歴史研究、民主主義」を南風原町の同館で開催した。講師は長野県短期大学助教の瀬畑源さんで、日本の行政機関の公文書管理は外国と比較し、専門職員の配置などの態勢で遅れていると紹介。

その上で来月施行の特定秘密保護法に言及し「公文書を適正に管理できない状況の末、政府は秘密保護法で網をかけた。その結果、文書を残したくないと考える機関が意図的に文書を消す可能性も考えられる」と懸念を示した。
 国民が情報公開を請求しても、政府は「文書が存在しない」との理由で不開示とする事例が多い。瀬畑さんは「情報公開法を機能させるため、文書をきちんと作成、管理し、保存する必要がある」と強調。「文書管理法と情報公開法は車の両輪だ」と語った。




リテラ 日本政府に特定秘密保護の資格はない
これで「特定秘密保護法」って…

公文書を破棄しまくってきた日本政府


12月に施行される特定秘密保護法について、「国民の知る権利が犯される」と危機感が強まっているが、もしかしたら、問題はそれ以前のところにあるのかもしれない。
「『知る権利が犯される』という声には、(中略)しばしある種の違和感を覚えざるを得ません」「犯されるというに足りるほどの知る権利を、戦後日本の国民は、持っていたのでしょうか?」
 こんな皮肉を放つのは、『国家と秘密 隠される公文書』(久保亨、瀬畑源/集英社新書)。同書は、いかにして国家が公文書を意図的に隠蔽してきたかを明らかにした一冊だが、それ以前に、ろくに文書管理なんて出来やしなかった、いい加減な管理の歴史をも暴き出している。
 70年代、大蔵省(現・財務省)には文書目録さえなく、「主計局では机の上が予算査定を受ける他省庁の資料でみるみる山になる。いつも捨てることばかり考えていた」(柿澤弘治衆議院議員/当時は大蔵省勤務)そうで、「現役の官僚の時、文書が多すぎて『秘印』もいちいち気にとめなかった」と言う。教科書からテスト用紙から通信簿から賞状まで入り乱れている少年の汚部屋と変わらないレベルだったのである。
 そのずさんな管理は、時として人すら殺めてきた。1956年に発見された水俣病では、発見から遡ること4年前の52年に、熊本県水産課の担当者がチッソの廃水を調査した報告書に水質汚染の危険性を指摘しており、「公文書管理の原則に基づき公開されていたならば、水俣病の甚大な被害はくいとめられていた可能性が高かった」とする。
 80年代に血友病患者の治療に非加熱製剤が使用され、HIV感染者・エイズ患者を生み出した事件では、民事裁判の過程になって、ようやく厚生省の倉庫から関連文書ファイルが大量に出てきた。文章が整理されてさえいれば、裁判は長期化することはなかった。
 ようやく情報公開法が施行されたのが2001年、特定非営利法人情報公開クリアリングハウスが情報公開請求で得た数値を基に、施行前後の文書廃棄量を図表化しているのだが、衝撃の数値が出ている。法律が施行される直前の00年度に、突如、文書廃棄量が増えるのだ。
 農林水産省は1999年度・11トンから2000年度・233トンへ、警察庁は111トンから200トンへ、財務省は269トンから619トンへ、法務省は88トンから156トンへとそれぞれ数倍に膨れ上がっている。施行後の01年度はおおよそ99年度の水準に戻っているから、情報公開請求されては困るものを一斉に破棄したと考えるのが自然だ。部屋のお片づけが出来ない少年は、大掃除の時期に、どさくさに紛れて都合の悪いテスト用紙を丸ごと捨ててしまった、というわけ。こんな状態なのに「これからはオレの部屋に勝手に入ってくんな」というのである。 (略)