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【強姦から見た大東亜戦争史】どこかで人間性を失ったのか?それとも最初からヒトデナシなのか?





鮎川信夫著『鮎川信夫著作集第七巻』思潮社、1974

「戦中手記」(思潮社、1965)
昭和17年10月、近衛歩兵第四連隊?に入営し、18年5月、インドネシアスマトラに派遣され、19年6月帰還。20年2月から3月にかけ、傷痍軍人療養所で「戦中手記」を書く。「戦争について知り得たこと、或は兵士たちとの共同生活によって特に感じた2、3のこと」のうち、同連隊のある「兵士の話」

昭和17年、シンガポールにて

シンガポールへ入ったときは、やっと作戦が一段落ついたという気持も手伝って、みんな色に飢えていたことを思い出したんだね。作戦中だったって軍紀を犯して強姦、凌辱は多少は行われたけれど、やはりそれは一部の者だったし、そんなに問題とするほどのことはなかった。それに皆馴れた古い兵隊ばかりなので手際よくやったし、それに後くされの無いように済んだあとは女を殺してしまへというんだから、割に処罰されたり醜態を残したりするような破目に立到った者は少なかった」


「馴れた古い兵隊」「後くされがないように殺してしまえ」「処罰されたり醜態を残したりするような破目に立到った者は少なかった」
処罰されなかったから、問題にするほどのものではない?

支那の時より軍紀は概して良好で、それにそんな悪いことをする間もないほどの急進撃だったからな。女の死体の陰部などに竹の棒をさし込むような凌辱を加えられてあったのを一度だけ見たけれど、あんなことはさすがに嫌な気がして面をそむけちまった。しかし戦争なんてそういうものなんだからな。そんな凌辱を受けたくないと思ったら絶対負けないようにしなければならないんだ」


「女の死体の陰部などに竹の棒をさし込むような凌辱を加えられてあったのを一度だけ見た・・」

「陰部などに竹の棒をさし込む」のは性欲ではなく、イタズラだな。姦った後で、面白半分に竹の棒をさし込んだわけだ。悪霊というしかない。

「戦争なんてそういうものなんだからな。そんな凌辱を受けたくないと思ったら絶対負けないようにしなければならないんだ」

この考え方だと、負けた日本人女性が米軍やソ連軍に強姦されても文句も言えないことになってしまう。地獄の悪鬼のような考え方。