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櫻井よしこの知ったかぶりな嘘が暴露されてしまった植村裁判意見陳述


  まず、これを読むに当たって金学順さんが参加した1991年の「 アジア太平洋戦   争韓国人犠牲者補償請求」の訴状を最後尾に添付している。確認しながら読め
  ばより理解が深まるだろう。

            待望の<植村⇒櫻井>裁判始まる

櫻井よしこさんは、2014年3月3日の産経新聞朝刊第一面の自身のコラムに、「真実ゆがめる朝日報道」との見出しの記事を書いています。このコラムで、櫻井さんは私が91年8月に書いた元従軍慰安婦の記事について、こう記述しています。

「この女性、金学順氏は後に東京地裁に 訴えを起こし、訴状で、14歳で継父に40円で売られ、3年後、17歳のとき再び継父に売られたなどと書いている」。その上で、櫻井さんは「植村氏は彼女が人身売買の犠牲者であるという重要な点を報じ」ていない、と批判しています。しかし、訴状には「40円」の話もありませんし、「再び継父に売られた」とも書かれていません。

櫻井さんは、訴状にないことを付け加え、慰安婦になった経緯を継父が売った人身売買であると決めつけて、読者への印象をあえて操作したのです。これはジャーナリストとして、許されない行為だと思います。

さらに、櫻井さんは、私の記事について、「慰安婦とは無関係の「女子挺身隊」と慰安婦が同じであるかのように報じた。それを朝日は訂正もせず、大々的に紙面化、社説でも取り上げた。捏造を朝日は全社挙げて広げたのである」と断定しています。

櫻井さんは「慰安婦と『女子挺身隊』が無関係」と言い、それを「捏造」の根拠にしていますが、間違っています。当時、韓国では慰安婦のことを「女子挺身隊」と呼んでいたのです。他の日本メディアも同様の表現をしていました。

例えば、櫻井さんがニュースキャスターだった日本テレビでも、「女子挺身隊」という言葉を使っていました。1982年3月1日の新聞各紙のテレビ欄に、日本テレビが「女子てい身隊という名の韓国人従軍慰安婦」というドキュメンタリーを放映すると出ています。

私は、神戸松蔭女子学院大学に教授として一度は採用されました。その大学気付で、私宛に手紙が来ました。「産経ニュース」電子版に掲載された櫻井さんの、そのコラムがプリントされたうえ、手書きで、こう書き込んでいました。

「良心に従って説明して下さい。日本人を貶めた大罪をゆるせません」

手紙は匿名でしたので、誰が送ってきたかわかりません。しかし、内容から見て、櫻井さんのコラムにあおられたものだと思われます。

この神戸の大学には、私の就任取り消しなどを要求するメールが1週間ほどの間に250本も送られてきました。結局、私の教授就任は実現しませんでした。

櫻井さんは、雑誌「WiLL」2014年4月号の「朝日は日本の進路を誤らせる」という論文でも、40円の話が訴状にあるとするなど、産経のコラムと似たような間違いを犯しています。
 
このように、櫻井さんは、調べれば、すぐに分かることをきちんと調べずに、私の記事を標的にして、「捏造」と決めつけ、私や朝日新聞に対する憎悪をあおっているのです。

その「WiLL」の論文では、私の教員適格性まで問題にしています。「改めて疑問に思う。こんな人物に、果たして学生を教える資格があるのか、と。植村氏は人に教えるより前に、まず自らの捏造について説明する責任があるだろう」

「捏造」とは、事実でないことを事実のようにこしらえること、デッチあげることです。記事が「捏造」と言われることは、新聞記者にとって「死刑判決」に等しいものです。
http://sasaerukai.blogspot.jp/2016/04/blog-post_60.html

植村氏は訴状でこう述べ、さらに報告集会ではこう付けくわえた。


桜井さんは調べればわかることを調べていない。

しかも桜井さんは私に一切取材しないで北星学園大を非難している。北星学園大がバッシングされているとき「23年間捏造報道の訂正もせず学生に教えることが学生教育のあるべき姿なのか」。週刊文春には「暴力的姿勢を惹起しているのは朝日と植村ではないか」と批判して、バッシングをおさめるどころか、あおりたてている。
それにあおられて「桜井さんの言う通りだ」というブログも出ている。「たまたま脅迫の手紙が入っていたからといって大騒ぎするのがおかしい」とたきつけている人がいる。ほんとうにおそろしい。
桜井さんのような影響力のある人が、根拠にもとづかず、自分のインチキな記事をもとに攻撃しているのは異常なこと。
http://sasaerukai.blogspot.jp/2016/04/blog-post_23.html


確かにこんな嘘記事を信じて、「娘を殺す」なんていう脅迫状が来たんじゃたまらない。これまでまったく取材をしないくせに慰安婦問題について書き、報道と言う名の妄想を広めて来た櫻井は自分がこれまで「慰安婦」について述べて来たこと、書いて来たことの全体を見直す必要があるだろう。


           櫻井が書いて来た事

櫻井が書いた問題の記事は2014年3月3日の産経新聞刊第一面コラム「真実ゆがめる朝日報道」」であり、ネットで読むことができる。

この女性、金学順氏は後に東京地裁に訴えを起こし、訴状で、14歳で継父に40円で売られ、3年後、17歳のとき再び継父に売られたなどと書いている。植村氏は彼女が人身売買の犠牲者であるという重要な点を報じず、慰安婦とは無関係の「女子挺身隊」と慰安婦が同じであるかのように報じた。

と櫻井は産経コラムで書いている。

似たような嘘を櫻井は週刊ダイヤモンド』 2014年8月23日号にも書いている。「慰安婦報道を22年放置した朝日新聞は廃刊し謝罪すべし」というコラムで、「東京地方裁判所に出した訴状にも家が貧しく14歳でキーセンになったと書いている。」と歪曲した情報を書きくわえている。「キーセンになった」などとどこに書いてあるのだろうか?
自慢げに自分のサイトに全文紹介するのが痛い。
その上なんとここでは、「女子挺身隊は主として15歳から24歳までの女性が構成する真面目な勤労奉仕隊である。慰安婦とは何の関係もない。にも拘わらず、植村氏は両者を結び付けた。」として植村氏を混同の張本人扱いしているのである。
両者を結び付けた」のは、はるかに昔であり、1974年に産経新聞社が出している佐藤早苗の 『誰も書かなかった韓国』も「女子挺身隊という名の慰安婦」と書いている。
植村氏が書くよりも、17年も前に佐藤早苗氏が書いているのだから、櫻井は先に佐藤に「両者を結び付けた」と文句を言うべきだろう。
こんな無知な人間が「ジャーナリスト」なのだから恐れ入るというしかない。知ったかぶりの嘘つきなのである。

しかし佐藤氏は安心していただきたい。
韓国では1945年の終戦時から、慰安婦の事を挺身隊と呼んでいたし
それどころか時中からすでに米軍の新聞にも書かれていたのである

研究者でも何でもない櫻井は、間違いが多い西岡や秦に事実認識を依拠しているようだが、報道人として広く被害者や元皇軍将兵や研究者に聞いて回る努力をすべきである。



(すでに櫻井の息を吐くような嘘はこのブログで紹介ししているので参照までに)








「 アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件」
「金学順さんの訴状」http://www.awf.or.jp/pdf/195-k1.pdf p50、p51)
35 原告金学順(キム・ハクスン。軍隊慰安婦
  原告金学順(以下、「金学順」という。)は、一九二三年中国東北地方の吉林省で生まれた が、同人誕生後、父がまもなく死亡したため、母と共に親戚のいる平壌へ戻り、普通学校 にも四年生まで通った。母は家政婦などをしていたが、家が貧乏なため、金学順も普通学 校を辞め、子守りや手伝いなどをしていた。金泰元という人の養女となり、一四歳からキ ーセン学校に三年間通ったが、一九三九年、一七歳(数え)の春、「そこへ行けば金儲けがで きる」と説得され、金学順の同僚で一歳年上の女性(エミ子といった)と共に養父に連れら れて中国へ渡った。トラックに乗って平壌駅に行き、そこから軍人しか乗っていない軍用 列車に三日閥乗せられた。何度も乗り換えたが、安東と北京を通ったこと、到着したとこ ろが、「北支」「カッカ県」「鉄壁鎭」であるとしかわからなかった。「鉄壁鎭」へは夜着い た。小さな部落だった。養父とはそこで別れた。金学順らは中国人の家に将校に案内され、 部屋に入れられ鍵を掛けられた。そのとき初めて「しまった」と思った。翌日の朝、馬の 噺きが聞こえた。隣の部屋にも三人の朝鮮人女性がいた。話をすると、「何とバカなことを したか」といわれ、何とか逃げなければと思ったが、まわりは軍人で一杯のようだつた。 その日の朝のうちに将校が来た。一緒に来たエミ子と別にされ、「心配するな、いうとおり にせよ」といわれ、そして、「服を脱げ」と命令された。暴力を振るわれ従うしかなかった が、思い出すのがとても辛い。 翌日から毎日軍人、少ないときで一〇人、多いときは三〇人くらいの相手をさせられた。 ・・・・(以下略)