河野談話を守る会のブログ2

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400基以上の皇軍将兵の慰霊碑を造っている日本はたった一基の慰安婦の碑も許さず・・・【日本軍慰安婦問題解決全国行動の抗議文】掲載


        【これはもはや記憶に対するテロである】

日本軍「慰安婦」問題解決全国行動が、フィリピンの慰安婦慰霊碑を撤去させた日本政府に抗議文を出している。

簡単に経由を説明する。
27日の深夜、フィリピン政府はマニラの目抜き通りの遊歩道に設置していた慰安婦像を撤去した。
後にフィリピン政府は「排水工事のためだ」と説明した。しかしすぐに日本政府には予め報せていたことが判明した。

日本政府は、現在産経新聞などに誘導され、「慰安婦」問題で海外に情報発信するとともに、「慰安婦慰霊碑」などのモニュメントに対して、撤去活動を展開している。慰安婦を記録するなど許さん・・・というわけだ。
こうした活動が「慰安婦問題は日本の名誉を貶める」という安倍晋三らの主張に従ったものであることは明らかである。

今回の件でも、大使館や野田聖子総務相河井克行衆議院議員自民党総裁外交特別補佐)らが抗議に行っている。
野田聖子は、もう少し良識のある人物かと思っていたが、残念なことだ。
「まにら新聞」が書いているように
そこに現在の日本を非難する言葉はなかった。  それでも在比日本大使館は昨年12月に比政府に「日本政府の立場と相容れない」として「遺憾の意」を伝えた。さらに比を訪問した野田聖子総務相河井克行衆議院議員自民党総裁外交特別補佐)らが重ねて遺憾の意を伝えた。
のである。
フィリピン政府の撤去行動がこれに忖度したものである事は明らかである。

台座には「日本の占領下で虐待の被害に遭った全てのフィリピン人女性を記憶するために」と書かれていた。日本政府は、安倍晋三でさえ「辛酸なめた」ことは認めているのであって、この文言に何の問題があるというのだろう?

河野談話】や元慰安婦の方々に送った【首相の手紙】で「後世に伝える」と表明したくせに、「記憶も葬り去れ」と言わんばかりの日本政府のやり方は醜悪である。
マニラ慰安婦像の台座正面のプレートのタイトルは「記憶」であった・・・

当「河野談話を守る会」も「全国行動」のこの抗議文に賛同している。




        日本兵戦没者の慰霊碑はフィリピンに400基以上
 
たった1基の日本軍「慰安婦」被害者像を撤去させた    日本政府の恥ずべき行為に抗議する!!

 

昨年12月8日、フィリピンの首都マニラに、日本軍の「慰安婦」にされた女性たちを記憶するための碑が建てられた。歴史的な記念物の設置に関わる政府機関「フィリピン国家歴史委員会」が、民間の協力により設置したものだ。台座にはタガログ語で「1942~45年の日本統治下で虐待の被害に遭った全てのフィリピン女性の記憶である。彼女たちが自身の経験を語り出すまで、何年もの月日を要した」と記された。

 

なぜ記憶しようとするのか。

それは、再発防止のために他ならない。

日本軍「慰安婦」(性暴力)被害者たちは、二度と同じような被害者を生まない平和な世界の実現を訴えてきた。今、世界に広がる日本軍「慰安婦」メモリアルは、この訴えを記憶することで、今も戦時下で、あるいは基地周辺で、そして日常の中で繰り返される性暴力を根絶しようとする決意と切望を表すものなのである。

 

このような趣旨でマニラに建立された碑に対し、日本政府は設置直後から「日本政府の立場と相容れない」として「遺憾の意」を表明し、今年1月に同国を訪れた野田聖子総務相兼女性活躍担当相も「非常に残念だ」として、政府間で協議するよう求めた。

しかし、このような「立場」表明こそが、日本軍「慰安婦」問題の解決を遠のかせ、被害女性たちを再び傷つけ、国際世論の非難を浴びる原因になっていることに、日本政府は、もういい加減に気付くべきだ。一方で「お詫び」と「反省」を口にしながら、加害の歴史をなきものにしようと、なりふり構わず被害国に圧力をかける。これは、「反省」が口先だけのものだとわざわざ行動で示すものだ。

 

そもそも、フィリピンの人々が自国の犠牲者を悼む碑を自国内に建てることに対して「日本政府の立場と相容れない」と主張すること自体が恥知らずな行為だ。一方で日本政府は、日本兵戦没者の慰霊碑をフィリピン国内に建てているのである。フィリピンのラグナ州カリラヤに日本政府が設置した「比島戦没者の碑」がそれだ(厚労省HP)。

さらに、フィリピン各地に日本人が建てた日本兵戦没者の慰霊碑は400基を超える。「日本人生還者や戦没者のご遺族の方々が、フィリピンに日本人戦没者の慰霊碑を建立しようとしたとき、フィリピンの人々は自らも戦争において約120万人もの犠牲者が出ているにもかかわらず、慰霊碑建立に快く協力」してくれたという(フィリピン戦没者慰霊碑保存協会HP)。

かつて侵略した国に、日本兵の慰霊碑を建立する一方で、フィリピンの人々が自国の地に、日本軍による性暴力被害女性の碑を建てることに対して露骨に妨害する。しかも、その論拠が「日本政府の立場と相容れない」というのだから、私たちは日本の市民として、フィリピンの人々に申し訳なくて顔を上げることすらできない。このような非常識で厚顔無恥な態度は、世界のそしりを免れないだろう。

 

そして4月27日、遂に碑は撤去された。現場で撤去を確認したという在比日本大使館は「(撤去は)フィリピン政府側の判断であり対応」とうそぶく一方で、「フィリピン政府には像設置は遺憾であり、二国間の関係に悪影響を与えないようにとの日本政府の立場を繰り返し伝えてきた」と述べている。

 

恥ずかしい、あまりにも恥ずかしい言動だ。

私たちは、このような日本政府の対応に、強い怒りを込めて抗議する。

そして、日本軍「慰安婦」被害女性たちを記憶することで、再発防止をはかろうとするメモリアル建設に、これ以上、干渉・妨害をして、世界に恥をさらす行為をやめるよう求める。

 

フィリピン政府は、現日本政府の不当な要求に屈し、自国の女性の尊厳を切り捨てたという汚名を返上しなくてはならない。フィリピン「慰安婦」被害者像を再建し、女性の人権確立に向けた姿勢を、世界に示すべきだ。

 

私たちは、厳しい状況の中でも女性の人権確立と女性に対する暴力根絶のためにたたかうフィリピンの女性たちをはじめ、世界の女性たちと連帯して、日本軍「慰安婦」メモリアルがめざす本来の意味を追求するため、今後も行動を続けていく。

 

              2018年4月30日

                 日本軍「慰安婦」問題解決全国行動

                共同代表   梁澄 子  柴洋子

※「全国行動」は、「フィリピン人元『従軍慰安婦』を支援する会」、「フィリピン元『慰安婦』支援ネット・三多摩(ロラネット)」などを含む40余りの団体で構成される全国的なネットワークです。

 



フィリピン
バンコク西脇真一】フィリピンの首都マニラで昨年12月に建立された慰安婦問題を象徴する女性像が27日夜、撤去された。地元当局者はフィリピンメディアに「公共事業道路省が下水道改良事業のため撤去した」と語った。フィリピン当局が配慮した可能性もある。

 女性像は、フィリピン政府機関の国家歴史委員会がマニラ湾沿いのロハス通りに設置。像は夜間に重機で撤去され、現場は青いシートをかぶせたフェンスで囲まれている。

フィリピン慰安婦像」撤去 日本側に配慮か

フィリピンで慰安婦像 突然、撤去
 フィリピンの首都マニラに去年設置された「慰安婦像」が突然、撤去されました。

 旧日本軍の従軍慰安婦問題を象徴する女性像があった現場です。

 像は現地時間の27日深夜から28日未明にかけて、重機で台座ごと撤去されたということで、設置されていた場所には穴が開き、周囲は金網とブルーシートで覆われています。

 「撤去作業員はDPWH(政府関係機関)の制服を着ていました」(撤去を目撃した人)

 像は中国系団体の求めで、去年12月にフィリピン政府機関の国家歴史委員会がマニラの目抜き通りの遊歩道に設置したもので、民族衣装を着た女性が目隠しをされた姿で高さはおよそ3メートルありました。

 撤去の理由や撤去が一時的なものかは明らかになっていませんが、これまで遺憾の意を伝えてきた日本政府にフィリピン政府が配慮したとみられます。


(略)・・・フィリピンの政府機関が民間の献金を受けて昨年末に設置し、日本政府が遺憾の意を伝えていた。マニラの日本大使館によると、フィリピン政府から27日、「撤去する」と連絡があったという。・・・(略)

朝日新聞マニラの慰安婦像撤去 当局「いずれもとに戻ると理解」

守真弓2018年4月28日18時46分 https://www.asahi.com/articles/ASL4X4QVTL4XUHBI01D.html
・・・(略)・・・女性団体の連合組織ガブリエラは28日記者会見し、「関係者への事前通告なしに撤去したのはおかしい」として撤去の経緯について国会が調査すべきだとの考えを示した。

 マニラ市は「排水工事のための一時的な撤去で、いずれもとに戻されると理解している」などと説明している。


マニラ湾岸の慰安婦像が27日夜、重機で撤去された。日本側の圧力が影響か
首都圏マニラ市の湾岸遊歩道上に昨年12月に建てられた慰安婦像が27日夜、ブルドーザーで撤去された。慰安婦像付近には少なくとも今週初めからブルドーザーが置かれ撤去の可能性がささやかれていたが現実となった。
 慰安婦像をめぐっては、昨年末から在比日本大使館やフィリピンを訪問した野田聖子総務相らがドゥテルテ政権に対して重ねて「遺憾の意」を伝えていた。
 慰安婦像の存在を「日本政府の立場と相容れない」としてきた日本側の圧力を受けて、撤去に踏み切った可能性がある。比の慰安婦団体、女性団体などは猛反発しそうだ。
 ブルドーザーが慰安婦像の近くに出現した後の今月25日、女性団体「ガブリエラ」などは撤去を不安視してケソン市で緊急フォーラムを開催していた。(冨田すみれ子)


えぐられ、葬られた「記憶」慰安婦像撤去に日本の圧力
 記憶も葬り去れということだろうか。
 マニラ湾岸に昨年12月に建てられた慰安婦像の台座正面のプレートには「記憶」とのタイトルで、こう書かれていた。
 「1942〜45年の日本統治下で虐待の被害に遭った全てのフィリピン女性の記憶である。彼女たちが自身の経験を語り出すまで、何年もの月日を要した」。そして台座後ろには「慰安婦の碑」とのタイトルとデザイナーの名が刻まれた別のプレートがあった。あとは像建築に協力した比の女性団体、寄付をした比中国系団体の名前などが刻まれていた。
 そこに現在の日本を非難する言葉はなかった。
 それでも在比日本大使館は昨年12月に比政府に「日本政府の立場と相容れない」として「遺憾の意」を伝えた。さらに比を訪問した野田聖子総務相河井克行衆議院議員自民党総裁外交特別補佐)らが重ねて遺憾の意を伝えた。
 
 忘れることまで要求するのか
 羽田浩二駐比大使は遺憾の意を伝えた背景として、まにら新聞に「真摯に問題解決に努めてきた中で、突然、像が建ったことは残念だと伝えた」と説明したが、旧日本軍の侵攻により、多くの女性が犠牲になった当事国が、その犠牲の記憶を刻むことに問題があるとは思えない。
  比の女性団体「ガブリエラ」のジャート・リバン副代表は、ショベルカーが慰安婦像脇に出現、撤去の可能性がささやかれていた中、首都圏ケソン市で開かれた集会で「私たちは既に日本を許している。忘れることまで要求するべきではない」と述べていた。
 まず、昨年2月末ごろまでに「慰安婦像」と書いたプレートの文字が何者かによって消された。そして4月27日夜、「記憶」はショベルカーによって根こそぎえぐられ、破壊された。
 慰安婦問題は極めてセンシティブな政治問題として近年、特に日本と韓国との間で扱われてきた。だが、太平洋戦争中の比において、日本軍に拉致されて駐屯地で慰安婦にさせられたり、レイプの被害を受けた比女性が多数いた事実自体について、歴史の専門家の間で論争はほとんどない。この問題では保守派、右派に属し「朝鮮半島から強制的に慰安婦にさせられた女性はいなかった」と主張している秦郁彦元日大教授も、比や現在のインドネシアで強制を伴った慰安婦が存在したことについては否定はしていない。
 多くの慰安婦やレイプ被害者自身の生々しい証言だけでなく、旧日本軍の記録や戦後のBC級戦犯をめぐる記録の中にも慰安婦の存在や日本軍による女性の拉致監禁、レイプの事実を示す記録は多数残されている。そういう事実が比ではなかったと言うのは、歴史を一切無視して陰謀論的な見解を披露することを得意とする一部のネット右翼ネトウヨ)と呼ばれる人々だけだ。
 行動右翼も「像に問題ない」
 今年、比を訪れて慰安婦像を実際に見た日本の保守活動家の奥茂治氏は慰安婦像について3月、まにら新聞に「日本を非難する言葉もなく、こういう像であれば特に問題はない」と話していた。海上自衛隊出身の奥氏は、韓国忠清南道天安市にある国立墓地内に侵入し、慰安婦に対する謝罪の碑文を確信犯として書き換えた、公用物損傷などの罪で今年1月、韓国の裁判所で執行猶予付きの有罪判決を受けた人物だ。その奥氏は比から帰国後、行動右翼らが集まる集会で講演し「比の慰安婦像については問題とする必要はないと参加者に伝えた」と明かしていた。
 当事者の元慰安婦たちの多くが既に死去、慰安婦団体の関係者らも高齢化している比では、撤去が懸念され始めた後も、それを徹底的に阻止するような行動は組織されなかった。撤去はその隙をついて実行された感もある。
 歴史に学ばない者は、本来は歴史が教えてくれている間違いを繰り返す。記憶に背く者は、必ず記憶の報復を受ける。
 日本側があくまで撤去を要求していたのかどうか、比側の誰がどういう手続きを経て撤去に踏み切る決断をしたのかなど撤去に至った詳細はまだ明らかになっていないが、像建設時とは異なり、明らかにドゥテルテ大統領の承認を得て撤去は実行された。
 前日に知らされた日本大使館員も撤去当日、現場に立ち会っていた。ドゥテルテ政権による「対日関係への配慮」というよりも、一連の経緯からして、安倍政権が比側に加え続けたた圧力に、ドゥテルテ大統領がやむなく屈した結果というべきだろう。(石山永一郎)