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【労務動員された朝鮮人への差別と虐待】現場にいた日本人の証言2



すでに、自民党政治家たちの目撃証言により、労務動員された朝鮮人たちが多様な差別と虐待にさらされていた実態が浮き彫りになった。

炭坑で育った村上正邦が述べているように、「何度も木剣で叩かれ」たり、「納屋から引きずり出されて折檻された」りして、自殺する者さえあり、「日本人に蔑まれ、ひどい扱いを受けていた」のである。

こうした酷い扱いは、炭坑の目撃譚としてしばしば報告されている。


例えば、創価学会青年部反戦出版委員会が編纂した『戦争を知らない世代へⅡ㉑佐賀編 強制の兵站基地 炭坑・勤労報国・被爆の記録』には、当時の炭坑の実態と共に、朝鮮人差別とその虐待の様子が赤裸々に語られている。
一つ一つ見て行こう。

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         強制労働の中で朝鮮人は死ぬほど殴られた

4 中原貞男さんによると、
朝鮮人は私達日本人と違い、ものすごい仕打ちで絶対監視付きであり、差別的扱いでした。朝鮮人の寮は・・・窓は格子付きでまるで監獄みたいなところです。苦しくて逃げ出す人もあるのですが、見つかると半殺しにあうような仕打ちでした。私達日本人はこのような仕打ちは受けませんでした。」

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5 炭坑は、(労務動員以外でも)賃金を払わない事があったと渡り歩いた久保義男さんは述べている。

朝鮮人については、「とにかく朝鮮の人はよく叩かれていました」と証言している。


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6 朝鮮人徴用工員係をしていた池上捨広さんの証言は、詳細まではっきりしている。

「仕事の中でも一番危険が伴う採炭や掘進を主にやらされていた」
「決められた出炭量を出すまでは作業を終えることもできず、かといって腹いっぱいご飯を食べられるわけでもなく、何かにつけて叩かれる毎日でした。」
「きつい仕事に耐え切れず逃げ出した朝鮮人もいましたが、ほとんどつかまって連れ戻されました。」
「つかまった朝鮮人はみんなの見せしめのために、木刀やらで打っ叩くのです。・・・それは酷いものでした。」
「蒲団にしても、やはり蚤がたかってぼろぼろです」
「徴用で連れて来られた朝鮮人の多くは、日本に行けば食い物があると聞かされて来ていたそうですが、大体どんぶり一杯だけの飯で働かされていたのです」

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この手の証言はまだまだ多い。

(つづく)