【労務動員された朝鮮人への差別と虐待】現場にいた日本人の証言・自民党代議士篇
ここでは、政治家たちの目撃譚をまとめてみよう。全て自民党の政治家でそれなりに高い地位にいた人物たちである。
まず最初に登場するのは、右翼中の右翼、天皇奉祝行事には常に関わり、「生長の家」出身、一部には「日本会議を造った男」とも評される村上正邦元参議院議員である。自民党一筋、「参院のドン」とも呼ばれた村上は、九州の筑豊炭坑で貧しい少年期を過ごした。これはその時の話である。


「朝鮮半島から強制連行されてきて、仕事をさせられている人も多かった。」
「朝鮮人工夫が炭坑事務所のある広場に引き出されて、衆人環視のなかで日本人の坑内係に何度も木剣で叩かれていた」「叩かれる度に雪の上にパっと赤い血が飛び散る。」
「その朝鮮人坑夫は「腹が痛い」と言って仕事を休もうとしたので坑内係に納屋から引きずり出されて折檻されたらしい」
「そんな事は時々あって、「今日は(朝鮮人坑夫が)ダイナマイト自殺した」とか「死んだ」という話を聞いたこともある。」
「彼らは日本人に蔑まれ、ひどい扱いを受けていた」
これが村上が子供の頃見聞きした動員された「朝鮮人」である。彼らのために、慰霊碑を建て、花を添えて供養するのは当たり前であろう。
ところが日本ではこうした歴史事実を否定する右翼勢力がいる。右翼政治家の大物・村上正邦がどんな証言をしていようと関係ないというわけだ。いやそもそもいかなる証言にも関心を持っていないようだ。歴史資料や多様な証言を一切無視して、自分たちの信じたい歴史を妄想的に主張する輩である。歴史修正主義者ともよばれるが、こうした輩が2014年頃から各地の「朝鮮人強制連行追悼碑」等に文句をつけはじめ、一部撤去されている。
2 椎名悦三郎の語る「強制労働」
戦時中、役人をしていた椎名は、九州の炭坑を回って歩いたことがあるという。
そしてこういう。
「その当時、たくさんの韓国の青年が強制労働をですね。それに狩り出されて、そして炭坑に配置された、・・・・・」

「私の家の近くに戦時中、大阪の造兵廠が移って来た。そこでは朝鮮半島から連行されてきた朝鮮人がたくさん働かされていた。小さなバラックをこしらえては住み、日本人にムチで叩かれたり、重い荷物を運ばされたりして、ひどい目にあわされているのを見知っていた」


戦前を知らない自民党議員たちが、自分たちの妄想によって、「徴用工の待遇は良かった」などと言い募るのは正しいことだろうか?
恥を知れ!
(次回は、政治家でない人達の証言です)