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強姦から見た大東亜戦争史(12)彼らはなぜ、その罪を犯したか?

朝日新聞」 2013年7月2日には、元軍人の次のような証言が掲載されていた。
 

 
 
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兵士の強姦(ごうかん)を防ぐために慰安婦や風俗の利用が必要――。そう主張する人もいるが、経験から照らして疑問だと思う。「若い兵士の中には、慰安所で女性を知るとしんぼうたまらなくなり、強姦に走る者もいた」
(「朝日新聞」 2013年7月2日)
 
 
 

このブログではすでに早尾報告書を軸に、「慰安所を造っても強姦事件はおさまらなかった」という事実を考察して来た。実際に日本軍の強姦は多発しており、どうしてそうなったのか?その原因はむしろ、戦場に慰安所を持ち込み、女性を性の道具として扱うことを常態化させたからではないか?と考えられるのである。

 
 
慰安婦研究の第一人者である吉見義明中央大学教授は、その代表的研究書・・・・著作従軍慰安婦岩波新書P43~56
1、設置の経過と実態 
4、どのような結果をもたらしたか
 の中で
「各兵団はほとんどみな慰安婦団を随行し、兵站の一部となっている有様である。第六師団のごときは、慰安婦団を同行しながら、強姦罪は跡を絶たない有様である。」(『岡村寧次大将史料』戦場回想編
 
を上げ、さらに下の早尾報告書をあげて、慰安婦制度が強姦防止にあまり役立たなかったことを言及している。
 
これについては、早尾報告書『戦場心理ノ研究」』第八章 「戦争ト性欲」でも書かれているが、「内地では到底許されない強姦も敵地の女だから自由にしてもいいのだ」と兵隊たちは思っていたのだという。こうしておびただしい数の強姦がなされる事になった。
 
つまり日常の中の自制心=理性や道徳律といったものが、戦場で掻き消えて、日ごろ抑圧している願望がどさくさにまぎれて、表面化したという事だろう。
 
日本兵達は大義の無い闘いの中で、休暇もほとんどとる事も許されず、家族にも会えず、殺伐とした戦場に心が荒み切った者が多くいた。笠原十九司南京事件岩波新書(1997)で言及した南京大虐殺の原因を早尾報告書からも確認できる。 [南京事件]-クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)参照)
 
「中支那方面軍の兵士の多くが予備役兵・後備約兵で、妻子を残しての出征であった。上海戦が終われば帰還できると思いきや、そのまま南京攻略戦に駆り立てられた不満や憤りが兵士間に燻っていた。それらの不満の捌け口として、軍の上官たちは性的蛮行を「兵の元気をつくるに却って必要」といった理由で黙認する風潮があった。「中国女性を征服し」「力ずくで女をものにする」という戦場の役得としての婦女凌辱行為が兵士を南京攻略に駆り立てるために黙認された。」(国府陸軍病院附軍医中尉早尾乕雄「戦場に於ける特殊現象と其対策」)(P.71~P.72)
 
 慰安所を造る事が「強姦の防止に役だった」というのは、ひとつの神話にすぎないのではないか?慰安所を造ると一時的な発散の場となるかも知れないが、兵士が戦場に赴き、女性を見たとき、慰安所でそうしたように女性をただの性欲発散の道具としてみるようになり、さらに「内地では到底許されない強姦も敵地の女だから自由にしてもいいのだ」と思っていた兵隊たちは、強姦を何の抵抗もなく、やっていたものと結論つける事ができるのである。こうして祖国では善良な人でさえ、戦場では連続強姦魔となり、秦郁彦でさえ否定できなかったように「・・・放火、強姦などが荒れ狂っていた」 (『慰安婦と戦場の性』P77) のである。