河野談話を守る会のブログ2

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今となっては恥ずかしい歴史家・秦郁彦の盲論



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前頁で「沖縄集団自決訴訟」の展開について詳細を記述した。藤岡信勝の捏造したストーリーが提出され、それが裁判の中で暴かれ、原告の用意した証人達(宮平秀幸照屋昇雄信憑性は大きく崩れた。裁判所は虚言であると断じざるを得ず」「到底採用できない」とまで言い切っている。

しかしこの時、歴史家の中で唯一原告側の肩を持ち、大江健三郎攻撃にせいを出していたのが、歴史家・秦郁彦である。秦は、安倍政権とも関係が深いらしい曽野綾子「第一線の歴史家と呼んでもよい曽野綾子歪められる日本現代史』PHP研究所P21)と猛烈に”よいしょ”している。もみ手ですり寄るとは、こういう事を言うのだろうか?
山崎行太郎が指摘したように曽野綾子と同じ誤読を継承しており、おそらくは大江の沖縄ノートを読んでさえいないのだろう。そこで『歪められる日本現代史』のP10~P54に見られる秦の大江批判はほぼ全て、曽野綾子徳永弁護士路線の延長になっている。

『歪められる日本現代史』のP10~P54では、反日語り部大江健三郎と題し、沖縄集団自決の資料面では曽野綾子『ある神話の背景』に全面的に依存しながら「必然的に大江氏の人物論=人格論と作品論に踏み込まざるを得ない」(P32)と書いて大江健三郎を「反日日本人である」と規定し、個人攻撃に終始している。渡嘉敷島で現地調査を行った作家の曽野綾子氏が著作『ある神話の背景』(1973)で、大江氏が現地調査を行わずに沖縄ノートを書いた事を指摘している。(P50)」とか「しかし皮肉にも赤松氏を悪人として指弾した心無い仕打ちが、神話を崩す機会を造ってしまった」(P21)(元はサピオ2005年9月28日号)とか、曽野の主張を無条件に肯定しながら書いており、「・・・沖縄戦の性格論にすり替えようとしている大江氏」(P42)とか「「住みよい日本の中心で反日を叫ぶ」輩たち」(P46)「平然とダブルスタンダードを使い分ける」(P49)とかいう悪口が続いたと思ったら、「大江健三郎氏が見事なまでの論点すり替え芸」(P50)とまで書いてしまっている。しかし、ダブルスタンダードどころか捏造に捏造を重ねて来たのは、右翼論壇サイドであった。さらに「皮肉にも赤松氏を悪人として指弾した心無い仕打ちが、神話を崩す機会を造ってしまった」などと書いているが事実はそうなっておらず、「大江と岩波を糾弾しようとした右翼サイドの悪辣な企みから始まった裁判だったが、結果的に新しい証言もなされ「軍民一体」の沖縄戦の真実を浮かびあがらせる結果となった」のである。

そしてこれまで「慰安婦問題」における秦郁彦の「見事な論点すり替え芸」を見て来た我々としては、秦自身のそのダブルスタンダードの方が気にかかる。


まずは沖縄タイムスだが、『鉄の暴風』の発行元であるだけに責任は重いはずなのに、現行の第10版第3刷(2001)に至るまで当用漢字に改めた程度で、半世紀以上も原型を変えていない。さすがに「誤記を数多く含んだまま版を重ねている」(大城将保=嶋津与志『沖縄戦を考える』、1983)と地元からも批判の声は出たが、反省の色は見せない。それどころか『鉄の暴風』の執筆スタッフたちが1983年に発行した『悲哭-沖縄戦』(講談社)では、とくに「総括・鉄の暴風」の項目を設け、『ある神話の背景』に言及しながら「私としては改める必要はないと考えている」と書き、わざわざ二島の集団自決に関する『鉄の暴風』の記述を再録している。なぜこんなに挑戦的なのか理由は不明だが、沖縄タイムス社の役員が梅沢氏を訪ねて丁重に謝罪し、善処を約したことへの反発かもしれない。
 (中略)
この新聞を呪縛している「沖縄のこころ」風のイデオロギー性は、前述した「<集団自決>を考える」シリーズでも濃厚である。連載の終わりの4回分は「識者に聞く」として安仁屋政昭、石原昌家、林博史などの四氏を起用しているが、「集団自決は厚生省の(援護用語)で、(強制集団死)とよぶべきだ」とか「軍命令かどうかは、必ずしも重要ではなく・・・・状況を作ったのは軍を含めた国家」のようなたぐいの見事なまでに画一的教条論の羅列ばかり

 盧溝橋事件や南京虐殺事件の論争でいつも出てくる「第一発を誰が撃ったかは重要ではない」「虐殺の数にこだわるな」と同類の異議で、争点をそらす時に好んで用いられる論法ではある。
 
 大江健三郎氏が、梅沢・赤松(弟)氏の提訴に対し「私自身、証言に立ちたい」と述べながら争点には触れず、「原告側の弁護士達は、<靖国応援団>を自称する人たち」とか「自由主義史観研究会のメンバーたちのキャンペーン」と、狙いの定め方も攻撃ぶりもまったく同じ」(05 年8月16日付朝日)だと“陰謀論"に逃げ込むのもやはりおなじみの術策といえよう。
 
 このたび、赤松大尉は当時25歳、梅沢少佐は28歳の若さだったことを知った。この若さで数百人の部下を統率し、最悪の条件下でも冷静な判断力を失わず、与えられた任務につくした器量はそれなりに評価されてよいと思う。住民側の記憶から見ても、2人は狂気じみた末期の日本陸軍では例外的に良質な将校だったと私は判定したい。

  そうだとすれば、2人は今さら法的な名誉回復にこだわらず、絶え続けてもよいのでは、との意見も出よう。実は私も最初はそう思っていた。しかし原告団が主標的にした大江「沖縄ノート」を読んで、考えが変わった。

 大江氏は慶良間の守備隊長を集団自決の命令者だという前提で、「ペテン」「屠殺者」「戦争犯罪人」呼ばわりしたうえ、「ユダヤ人大量殺戮で知られるナチスアイヒマンと同じく拉致されて沖縄法廷で裁かれて然るべき」と「最大限の侮蔑を含む人格非難」を「執拗に」(訴状から)繰り返しているからである。
 この本が1970年の初版から修正なしに49刷(2004)を重ねているのも、信じ難い事実だった。70年と言えば、沖縄が米軍統治から日本へ復帰した72年よりも早い。30年前の時事評論集を買う読者がいるのもふしぎだが、そのまま増刷を許す著者の心境も不可解のかぎりだ。
-(『歪められる日本現代史』秦郁彦・PHP研究所)29P~32P)-


私としては、この 『歪められる日本現代史』が修正も無しに版を重ねている事の方が信じがたい事実であり、「著者の心境も不可解のかぎり」である。

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秦は『現代史の虚実』P271~272ではこう書いている。

・・・・2人の「名誉回復」が遅れたのには秘められた事情があった。
軍命があった形にすれば厚生省の援護法が適用され、自決者の遺族に年金(一人200万円)が支給されるので、村当局に頼みこまれた2人の隊長は世間の悪罵に耐え沈黙を守った。
こうした美談を知る大江氏が法廷で自説を撤回、原告の2人に謝罪するハプニングを私は予期しないでもなかったのだが、淡い期待は裏切られた。

どんだけ美談にするのだろうか?

そして、

梅沢氏は「「死ぬな」と言ったのに集団自決が起きた責任は米軍にある」と述べた。やや舌足らずであるが、その通りだと私も思う。ー2007年11月21日(P237)

だそうだ。