沖縄戦証言で虚偽を指摘された宮平秀幸を宣伝する秦郁彦
からの続き
『沖縄戦「集団自決】の謎と真実』という本
しかし、もう心なしか元気が無い。
曽野綾子はこう言う。
「・・・私にとって沖縄というのは、あまり触れたくない土地になってきました。都会ではめいめいが自由なことを言えますが、あそこは圧力をかけられるそうですから」(P140)
とすでに敗戦ムードを漂わせ、逃げ腰である。負けた理由を沖縄の土地柄の責任にしている。
これは心がすでに折れているのである。
しかし、曽野は見ても、読んでもいないのだろうか?
あの法廷を圧倒した数々の証言を。
それは、どこかからの圧力ではなく、真実が捻じ曲げられることへの危機感から生まれた体験者達を中核とした沖縄全土の人達の情熱なのだ。
沖縄戦への整理
現在、沖縄戦集団自決については、整理されている。
もう2度と曽野綾子のように、歴史を捻じ曲げる言論を吐く者がいないように。
少し紹介しておこう。
吉田春子さんは、「私が体験したことを伝えなければ、永遠に私達の体験は歴史から消えてしまう。」と語っている(『沖縄「集団自決」を生きる』P99)。
しかし、彼らは法廷の記録も読んでいないらしい。
曽野は大江に対して「この人は気に入らない史料は読まない主義のひとなんだなとあらためて思いました。反対意見ならなおさら読まなければいけないと私は考えるんですが・・・」(『沖縄戦「集団自決】の謎と真実』 P126)と説教するような感じで書いているが、自分がまさに反対意見を読まない人なんじゃないのか?
そして秦郁彦は相変わらず、自分達が正しいのに無視されているというスタイルである。
なかでも第一審に間にあわず、第2審で追加した宮平秀幸証言は、法曹専門家の間でドレフュス裁判の逆転を想起させる決め手になると言われていたにも関わらず、「明らかに虚言」と切り捨てられてしまう。(P329)
まだ事実が認識されておらず、裁判に対して「事実認定があまりにも偏っていて、これでは沖縄戦の全体像が歪曲・・・・」などとも書いている。
こういう人達にとっては、いかなる言い繕いもできなかった宮平秀幸証言の「虚言」は「真実」であるらしく、藤岡信勝は相変わらず「宮平秀幸証言の画期的な意義」なんて書いているし、やれやれな(P82~107)。
「私は勘だけはいいんです」(P138)とのたまっていた曽野綾子は、勘の悪さを露呈したこの裁判を自分でどう思っているのだろう?
ちょっとお気の毒ではあったが。