【「強姦」から見た大東亜戦争史】 中国戦線では良いことがあるぞと強姦を示唆されていた
岡村寧次大将は、北支那方面軍司令官時代(1941~44年まで)を回顧した一文の中で、強姦事件を犯して起訴された若い兵士が軍法会議で陳述した内容で共通していたことは「家郷を出発する送別宴の席上などで、すでに戦地の務めを終えて帰郷した先輩から、中国戦線では良いことがあるぞと強姦を示唆されていたので、ついむらむらとその気が起きたという事で」あり、この事から中国戦線に出勤した予後備兵の風紀観念がいちじるしく悪化している事を知ったと述べている。
(『岡村寧次大将資料』戦場回想編、P283)
昔『気配りの薦め』というベストセラー本があった。
百年十年か前には『学問のすすめ』というベストセラー本があった。
しかし戦時中には、隠れたベストセラーとして『強姦の薦め』があったのである。
強姦事件はたいてい個人の嗜好として起るものだが、この話では先輩が「戦地の楽しみ」としてそれを示唆している。
道理で日本軍に強姦が蔓延したはずだ。
なかなか救い難い話である。
最近の日本には2003年に発覚したスーパーフリー集団強姦事件があった。立件されたのは3件だけだったが、輪姦は常習的になされており、自供から得られた余罪は数百、被害女性は400人に及んだ。逮捕者の中には早稲田を中心に東京大学・慶應義塾大学・明治大学・法政大学・学習院大学・日本大学といった数多くの有名大学の学生や社会人の会社経営者も存在していた。この点でも驚嘆させられたが、「ギャルは撃つための公共物だぜ」の合言葉、ヤクザとの関係をほのめかせたり、和姦を主張するための事後処理法の巧みさにも驚かされた。知人女性をイベントに連れてきて男性スタッフに「献上」する係の女性がいたり、被害者の中には泣き寝入りした者や自殺した者もいたにも関わらず全国展開を目指して膨張しようとしている。
どうしてこう悪というものは、広まるのだろうか?
それは多分、人間の想い、欲望の中に”悪”があるからなのだろう。
ここでふと思いついた事を書いておこう。
まさか、そんなことはないと信じたいが、この日本社会は「強姦の楽しみ」が隠れて市民権を得ている社会なのだろうか?
そうとしか、考えられない。
だからこそ、ポルノ大国、風俗大国であり、その手のビデオ屋には強姦モノがところ狭しと並んでいる。
昔の遊郭の”廻し”もまさに強姦そのものだった。
そしてそれは、戦後の教育の結果そうなったのではなく、戦前からずーと繋がっているのである。いや「夜這い」や「略奪婚」の風習があった日本でははるか古代から連綿と繋がっているのかも知れない。
そしてこういう社会だから「慰安婦」問題もなかなか解決しないのだろうか?