秦が吉見裁判で見せた醜態
の続き
「吉見裁判第8回口頭弁論」
秦郁彦氏は自分の著作である『慰安婦と戦場の性』の中で、日本の公娼制度について、書いている。公娼制度は「奴隷制度・・・にちがいない」と書いており、こうした内容はおおむね、日本の廃娼運動史研究に沿う妥当なものである。
それは、このブログで随分前に指摘している。
おさらいしてみよう。
<秦が書いていた事>
しかし娼妓達が自由を奪われた悲惨な「かごの鳥」であるという実態は変わらず、救世軍などによる廃娼運動が盛り上がるのを見た内務省は1900年に「娼妓取締規則」を制定して、全国的な統一基準を作ろうと試みた。だがこの法令が一般的に近代公娼制度を確立したものと評されるように、必ずしも彼女たちの境遇が著しく改善されたわけではなかった。たとえば、前借金が残っていても廃業の自由は認められたが、楼主(抱え主)側の妨害や警察の非協力があり、実際には廃業しづらい上に、新たな生業につくにも容易ではなかった。また廃業しても、前借金の契約自体は有効(1902年の大審院判決)とされたので、借金返済のできぬ女性は元の境遇に戻らざるを得なかった。
(『慰安婦と戦場の性』P28)
悪徳業者にかかると、女の稼ぎから割高の衣食住経費を差し引くので、前借金はなかなか減らず、強欲な親が追借を求めたりすると、雪だるま式に増える例も珍しくなかった。(『慰安婦と戦場の性』P36)
これが重要
「前借金の名の下の人身売買、奴隷制度、外出の自由、廃業の自由すらない20世紀最大の人道問題」という意見を「に違いない」と書いている。
なかなか笑える話である。
さてではこの『廊清会の内相あて陳述書』を少し詳しく見てみることにしよう。
◆『廊清会の内相あて陳述書』
この『廊清会の内相あて陳述書』は、
『買売春問題資料集成 [戦前編]』第3巻「廃娼運動編Ⅲ[1926~1928]
のp34に書かれている。
①
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②
この赤線を引いている部分を省略し、まとめて秦氏は
と書いたのである。
ところが、吉見裁判で大森弁護士にこれを追及された秦氏は狼狽し、自分の書いたものさえ誤魔化そうとして、醜態を演じている。
◆吉見裁判の反対尋問で秦が見せた醜態
「しかし、あなた書いてるじゃないか?」と問われて、驚くべき醜態を演じる。昔、自分が書いた内容も反古したいらしい。
そして
「いや、そうじゃなくて、吉見さんと同じだと言っているんです。奴隷でもないのに奴隷という、そういう事で世論を動かそうとしたという同じ性格のものだと思います」
というのだ。
自分で、
<まさに「前借金の名の下の人身売買、奴隷制度、外出の自由、廃業の自由すらない20世紀最大の人道問題」(廊清会の内相あて陳述書)に違いない。」>
と本に書いておいて、それを指摘されるとそれこそ名誉棄損みたいな事を口走っている。
尾崎弁護士のフォローが入るわけだが・・・・会場からは失笑がもれざわついていた。
そして、「引用したという事は別に同意しているというわけではない」と述べている。
我々の常識では「~に違いない」と書けば、同意しているという事である。
これは本にちゃんと書いてあるし、今更変えようが無いだろう。だいたい前後の話がすでにそういう話なのであり、自分で「籠の鳥」とさえ書いているのである。
それを誤魔化しながら、「「違いない」はあなたの見解ですね」と問われて「違います」と答えるのはもはやギャグとしか言いようがない。
何人かがクスクス笑いをして、私も思わず笑ってしまった。
原告側弁護士にはここですかさず
と突っ込んで欲しかったものだが、まあ、そこまでは無理か。
「あなたはp28でも「娼妓達が自由を奪われた悲惨な「かごの鳥」であるという実態は変わらず」とも書いてますが、それもご自分の意見ではないとおっしゃるのですか?」
と突っ込んで欲しかったものだが、まあ、そこまでは無理か。
実は、この後尋問が終わった後も、秦氏は何か言い訳じみた事を言っていたようだが、聞き取れなかった。
最近は嘘・デタラメばかり述べているし、もう終わった人なんだなと感じた。
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