河野談話を守る会のブログ2

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軍人勅諭の問題点



多くの高級将校が戦地で妾を囲い、連日料亭で宴会、毎日ビフテキを食べていた者さえいたのだが、「軍人勅諭」には「質素」が守るべき道徳として挙げられていた・・・


○瀬谷英行君 
私、軍隊手帳というのを持ってきたんですけれどもね。文部大臣は「一 軍人は忠節を尽すを本分とすへし」から始まるというふうに御理解のようですが、そうじゃないんですよ。前文があるんです。そして、まずこの軍人勅諭について言うと、史実と相違しているということが言えるのです。それから内容に問題があるということが言えるのです。
 それで一番初めは「我国の軍隊は世々天皇の統率し給ふ所にそある」というところから始まって、そして「昔神武天皇躬つから大伴物部の兵ともを率ゐ中国のまつろはぬものともを討ち平げ給ひ」と、こうなっているんです。では、わが国の軍隊が世々天皇の統率したもうところにあったかどうかですね。関ヶ原の合戦のころ天皇の軍隊が存在していたかどうか。大坂夏の陣天皇の軍隊が働いたかどうか。さらにさかのぼって源平の戦いのころ天皇の軍隊が何をしたかということを考えますと、そのころは天皇の軍隊なんというのは存在しなかったわけです。ずっと下がって元禄時代になって、赤穂浪士の討ち入りのころ天皇の軍隊があったかというと、ありはしないですよ。それが復活したのは御維新になってからなんです。だから、「世々天皇の統率し給ふ所にそある」というのは、これは歴史の上から言うと間違いだということになるわけです。
 それから内容に問題があるということは、いま徳目を防衛庁長官は言われました。五つの徳目、それは忠節、礼儀、武勇、信義、質素と、こう五つというふうに分かれているんです。分かれているけれども、内容に問題があるというのは、特に、その中の礼儀を正しくしろということは結構なことじゃないかと簡単に思うかもしれませんが、その礼儀の項の中にどういうことを書いてあるかというと、「軍人は礼儀を正くすへし」と、そこまではいいけれども、「下級のものは上官の命を承ること実は直に朕か命を承る義なりと心得よ」と、こういうのがあるんです。礼儀を正しくしろ、小笠原流でしっかりやれというのじゃないんです、これは。上官の命は朕の命と心得よ、何でも上官の命令は聞けと、こういうことになっているんです。その思想をそのまま真っ正直に遂行してまいりますと、かつて日本が満州事変から支那事変、大東亜戦争、昭和二十年八月十五日と、あの道をたどってしまっているんですよ。さらに、二・二六事件なんというのがありました。二・二六事件でもって、軍人が兵を率いて首相官邸を初めいろいろなところを襲撃してたくさんの閣僚を殺しました。これはやはり上官の命と思って実弾を詰めた鉄砲を持っていって、機関銃を持っていって、ああいう殺戮をしたわけです。これを考えてみますと、軍人勅諭の内容というのはきわめて危険な内容をはらんでおるということが言えるのじゃないかと思うのでありますが、その点について、長官は、徳目は結構だとおっしゃったけれども、内容に問題ないとおっしゃるかどうか、その点をお伺いしたいと思うのです。


 87 - 参 - 予算委員会 - 20号 
昭和54年04月02日