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伊藤桂一

伊藤桂一金一勉編著『戦争と人間の記録・軍隊慰安婦現代史出版会、1977年発行。
(その168・1)
「(同書中、伊藤桂一執筆の「慰安婦と兵隊」。伊藤は、戦時中、軍隊で中国で朝鮮人慰安婦の世話係もやり、戦場慰安婦の心情に詳しいという)戦火が拡大し、長引き、兵力の動員が際限もなく続くにつれて、慰安婦も、とうてい、志願者や経験豊富の玄人ばかりを集めるわけにいかなくなった。数が足りないのである。ことに、慰安所というものが、兵站なみに必要視されてくると、どの部隊でもその設置を考える。そのため、慰安婦を外地へ連れて来て間に合わせるため、ついに手段を選ばぬ業者が出てくることになったのである。つまり、女をだまして連れてくるわけである。料亭や酒場で、水商売をやっている女を好条件で釣り、うまく話に乗せる。ところが目的地に着くと、慰安婦としての仕事が待っている。女が、死ぬ気で抵抗すれば抵抗できないこともなかったにしろ、おどされたり、因果をふくめられたり、慰安婦の使命感?まで説かれてみると、いまさら帰国したからといって別にいい暮らしが待っているわけではないし、ずるずるに、慰安婦の仕事に入ってゆくことになったのである」「日本の軍隊に、最大の貢献をしてくれたのは、質量ともに朝鮮人慰安婦であるだろう。戦場慰安婦、といえば、そのイメージは、朝鮮人慰安婦に尽きる、といえるかもしれない。朝鮮人にしても、強制されて出て来る者も多かったし、また、何をやっても内地の女よりは秀れているのだ、ということを認めさせるために、あえてがんばっていた女たちだっている。複雑な心情がそこにある」「慰安婦も、置かれる場所によって、その運命も千差万別だったが、私のみたところ、その町における彼女たちの生活の実情についていえば、かなり恵まれていたのである。なぜなら、彼女たちは、みんな借金を抜き、結婚資金をたくわえ、かつ、結婚のとき持ってゆく、家具衣装箱も充分用意していた。あと、足りないのは、結婚する相手だけだったのである。この相手にしても、国に帰れば、いくらでもみつけることができるのである」「考えてみれば、彼女たちにとっては、結婚こそが、涙ぐましく切実な願望であり、おそらくそれだけを一縷の明るみとして、苦業に耐えてきたわけである」(18~26ページ)