河野談話を守る会のブログ2

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橋下とほとんど変わらん人たち

 
橋下とか西村とかと変わらないような連中が、たくさんいるようですね。
 
河野談話撤廃」って、それで撤廃したとして日本が中・韓・米などと関係が悪化し、日本は孤立するだろうし、へたすれば北からミサイルが飛んで来たりするだろうけど、その責任を誰がとってくれるのですか?
 
日本人、韓国人、台湾、中国、フィリピン・・・などあれほどたくさんの人を苦しめた戦争の責任さえ、頬っ被りしたがる民族ですから、ダーレも責任はとってくれないのだろう。
 
韓国と国交断絶した場合、日本は2兆円規模の経済損失があるわけですが、それはものすごい打撃ですよ。中国や韓国と国交断絶した場合、日本中に失業者の群れがあふれるようになるでしょうよ。
それはみんなこういう目の前ちょっとしか見えないような連中ーーー亡国の徒ーーーのやろうとしてる事なのですが。
しかも、ウソばっかり言いながら・・・・
 
  
 
慰安婦の多くには外出の自由さえなかった。「常州駐屯間内務規定」には、「特に許したる場所以外に外出を禁ず」と書かれており、軍慰安所の周辺には歩哨が立っていた。『野砲兵第三中隊湘桂作戦の思い出』によれば「出入り口には歩哨が立ち、城外にでる全ての門にも歩哨が立っていた」(『従軍慰安婦』吉見義明著)
すでにこのブログの読者は、お分かりだと思います。
 
 
 
慰安婦は「籠の鳥」であった
 
 
実際に歩哨が立っていた慰安所もあり、ほとんどの慰安所では、慰安婦の外出は、決められた範囲内以外は禁止されていた。フィリピンのイロイロ市の慰安所では、慰安婦の散歩は朝の8時から10時までと決められており、それ以外の時間の外出は厳禁されていた。さらに逃亡防止のために散歩地域も狭い「公園内」と指定されていた。


江戸時代の公娼制度下の吉原遊郭では、出入り口は厳重に閉じられ、役人、やくざものや用心棒がその門を守っていた。万一逃亡すると厳罰が待っていた。罰したのは幕府であった。

やがて江戸時代が終ったが、明治以降の公娼制度の下で、業者は売春婦の外出を制限し、逃亡防止のために用心棒を雇っていた。こうして奴隷状態にしていたのである。

それと同じように軍慰安婦においても、大きな慰安所町では、憲兵たちが巡回に来て、逃亡を防いでいたのである。元慰安婦の洪愛珍さんは、逃亡したが、憲兵隊につかまってしまい連れ戻されたという。(『中国に連行された朝鮮人慰安婦』P54より)

騙されて慰安婦にさせられた元慰安婦の宋神道さんも、何度も逃亡を試みているが、所持金はなく、中国語もわからず、逃亡を諦めた・・・と言うが、その小さな身体には、慰安を拒否したという理由で、軍人につけられた傷が無数に刻まれている。また、畳に軍刀を突きつけ、思い通りにさせようとした軍人もいたことが多くの証言からもわかる。(『従軍慰安婦をめぐる30のうそと真実』P33より)

こうして、日本軍慰安婦の「強制性」はあきらかに認められるのである。

 
 
 
 
 
 


 
女性論者7氏も堂々主張「河野談話は撤廃を」 さて韓国の実態は…
2013.6.1 07:00 (1/5ページ)日韓関係
http://sankei.jp.msn.com/images/news/130601/plc13060107020004-n1.jpg
 「大東亜戦争で戦った兵士の方々の名誉を守れるのは、今を生きている私たちだけ」と訴える佐波優子氏 =5月28日、東京・永田町
 橋下徹日本維新の会共同代表の慰安婦をめぐる一連の発言に対する評価はともかくとして「いくらなんでもsex slave(性奴隷)は意図的な誤訳だろう」「なぜ日本の事例だけが責められるのか」と感じている読者は多いのではないか。そうした中、橋下発言の是非を検証し、慰安婦問題をこじらせる元凶となった「河野談話」の撤廃を求める緊急国民集会が5月28日、都内で開かれ、女性論者たちも堂々と持論を展開した。熱気に包まれた集会の様子を報告する。(溝上健良)

慰安婦をさらしものに…
 集会を主催した「新しい歴史教科書をつくる会」の杉原誠四郎会長は開会あいさつで、平成8年、中学校の歴史教科書に架空の「従軍慰安婦の強制連行」が一斉に載せられたことを契機に翌年、つくる会が結成された経緯に触れ、「橋下発言の核心はあくまでも、慰安婦は各国の軍が活用したのになぜ日本だけが問題として取り上げられなければならないのか、ということだ」と概括。「少なくとも慰安婦従軍慰安婦/性奴隷の言葉を区別し、その存在・非存在を明確にしておかねばならない」と主張した。
 古くからの産経読者はご存じの通り、戦時中に「従軍看護婦」「従軍記者」は確かに存在していたが、当時「従軍慰安婦」なるものは存在していなかった。これは戦後の造語なのだ。
 杉原氏はさらにこの問題に十分な反論をしてこなかった外務省の不作為にも触れ、「今こそ河野談話の撤廃をなすべき時期。瞬間的ではなく、長く熱い支援をお願いしたい」と呼びかけた。
 集会は20人の論者によるリレートーク方式で行われた。うち女性7人の先頭で壇上に立ったのはジャーナリストの大高未貴氏。今年3月、沖縄・与那国島で行われた「朝鮮人従軍慰安婦慰霊祭」なるものに言及し(この問題の詳細は月刊『正論』6月号に掲載されている)、「フェミニストたちが元慰安婦のおばあちゃんたちを引き回して政治の場でさらしものにしていることこそ、女性の人権侵害ではないか」と訴え、会場からも「そうだ」と賛同の声が相次いだ。