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ドイツ軍慰安所

 
 
ついに解明されたナチスの囚人用強制売春施設の全体像

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本書表紙


強制収容所の売春施設』ロベルト・ゾンマー著、Robert Sommer : Das KZ--Bordell, 2009,Paderborn
 
       梶村太一郎
 
 二〇〇九年八月一八日、「ナチス強制収容所での性的強制労働」との副題がある本書の出版の紹介が行われたのは、元プロイセン国会議事堂で、現在はベルリン州議会内の大きな一室であった。この古く巨大な建物の斜め向かいの空き地は、ゲシュタポ(秘密国家警察)本部跡だ。そこに現在建築中の建物は「テロルの地勢誌」というナチ時代の加害の歴史の研究所だ。この完成後であれば、本書の紹介も最適の場所としてそこで行われたであろう。なぜなら、ナチスの暴力支配体制の中でも強制収容所内での強制売春という特殊なテロル機構を、親衛隊帝国指導者兼ドイツ警察長官ハインリッヒ・ヒムラーが構想し、実行を命令した中枢がゲシュタポ本部であったからだ。
 
 強制収容所での囚人用売春施設の存在は、戦後早くから囚人として生き延びたオイゲン・コゴンの『親衛隊国家』、ヘルマン・ラングバインの『アウシュヴィッツの人間』などの古典的著作によっても広く知られていた。しかしながらこれらによって、被害者の女性たちについては「品行方正とはいえない病歴の彼女たちは、あまりためらわずに従ってきた」(コゴン)といった差別的偏見、あるいは施設の目的については「男性囚人の間に広がっていた同性愛を防ぐためであろう」(ラングバイン)といった視野狭窄な推定が定着した。さらに施設を利用した男性囚人たちに多くの政治囚が含まれていたこともあり、この問題はタブー視され、強制収容所の公式の歴史記述から消え、研究の対象とはならなかった。収容所を生き抜いた政治囚はナチスへの抵抗運動の英雄であったからだ。

 ようやく冷戦終結後になり、日本軍の強制売春の犠牲者たちが証言を始めた影響もあり、ドイツでも女性たちによる研究が始められた。クリスタ・パウル『ナチズムと強制売春』(一九九四年、邦訳は明石書店)がそのパイオニアである。パウルは晩年を迎えた三人の被害女性の証言を記録することにも成功している。しかし、ジェンダーからの視点が必要であるためか、歴史家による研究はいまだにされていない。したがって本書がベルリンのフンボルト大学社会学を学んだ著者により、文化科学のハルトムート・ベーメ教授の下での学位論文として成ったことは偶然ではない。ベーメは「戦後の膨大な研究の後で、もはや最近では強制収容所の研究で画期的なものは期待できないとされているが、この研究は例外である」と序文で賞賛している。一九七四年生まれのゾンマーは五年をかけて、ポーランド、ドイツ、オーストリアアメリカにある膨大な資料に当たり、強制収容所の強制売春の全体像を捕らえ、タブーを破ることに成功したからである。

 本書によれば、ナチスは四二年六月から、オーストリア、ドイツ、ポーランド強制収容所とその支所に一三の強制売春施設(九カ所が囚人専用、四カ所は小規模な収容所警備のウクライナ人親衛隊員専用)を建設した。その計画と歴史的イデオロギー的背景、建築の経過と収容所内での位置形態、各施設内部の構造、衛生と性交の管理、経済管理、ラーウ゛ェンスブリュッケ女性収容所とアウシュビッツ女性楝での募集方法、売春施設での生活、囚人のセクシャリティーの形態、利用者の動機とその数、収容所内での影響と抵抗運動にいたるまで詳述されている。特に強調すべきは、アウシュヴィッツなどで残されている全期間の性病検査の記録などから、全体で二一〇人と推定される被害女性の八〇%を越える一七四人の氏名と国籍が特定され、その大半の年齢、収容の理由、施設での滞在期間が解明されていることである。それによれば、一一四人のドイツ人、四六人のポーランド人で大半が占められ、平均年齢は二五歳であった。

 このような実証研究の結果から、長い間流布し信じられている「親衛隊員がユダヤ人女性を暴行して収容所で売春をさせた」といった記述、また前記のパウルの研究にある「ブーヘンバルトのドイツ人親衛隊売春施設で働いた」との被害女性の証言は、いずれも信憑性がないことが明らかになった。ユダヤ人女性はドイツ人との性交は禁じられており、募集では最初から排除されていたし、またドイツ人親衛隊売春施設は同地にはなかったからである。

 女性たちの売春施設での平均滞在期間は一〇ヶ月であるが、不適応で数日で元の収容所に送り返された女性もおり、最長三四ヶ月を経てドイツ敗戦で大半の女性が生き延びている。食料も親衛隊員待遇で豊富であり、衛生管理も徹底していたからである。毎晩二時間、扉に監視の覗き穴がある室内で、六人から八人の男性囚人を規則に従って正常位で受け入れ、また幽閉生活の孤独に耐えれば、精神の拷問と引き換えに彼女らの肉体的生存だけは保障されたからだ。他方、売春施設の外は、苛酷な労働と粗悪な食料のため大半の囚人が半年ほどで衰弱し虫けらのように死んでいく世界であった。このようなグロテスクなテロルの空間の成立させたのはヒムラーの着想である。

 そもそもナチスドイツ国内はもとより、占領地でも売春を徹底的に管理した。路上での客引きを禁止し、民間の売春宿と売春婦は警察の監視と保健所の監督下に置いた。ヒトラーによれば「性病の蔓延は民族の没落の現れである」からだ。占領地では民間の特定の売春宿をドイツ軍の専用として利用し、軍警察と軍医の管理下に置いた。ドイツ兵を性病と「劣等民族」から隔離するためだ。したがってこの制度は、植民地や占領地の若い女性を拉致し売春を強制した日本軍の「慰安婦」制度とは、安易には比較できない。

 ヒムラーの動機はこれらとは別であった。強制収容所内での強制労働の生産性が極端に低く、それを向上させる手段として着想している。例えば最初に売春施設を作らせたマウトハウゼンでは、熟練労働者が不足し、花崗岩石切場での石工の生産性は民間の労働者の二〇%にも足らず、戦時生産に大きな支障が出ていた。この解決策としてヒムラーが注目し参考としたのが、ソ連邦ラーゲリの強制労働における報奨制度による生産性向上の実績であった。ノルマを果たし成績を上げれば、タバコを与え、文通を許し、食料を特配して生産性を上げていた。彼はこれらを導入し、さらにソ連邦にもない「最高の報奨」としてつけ加えたのが売春施設の利用である。

 しかし、この目論見は失敗した。利用したのはナチの手先として特典を持ったカポ(監督労働者)や、普段から優遇されて体力のある職能のある囚人だけであり、全体の〇・五%以下であった。逆に囚人や親衛隊の間での贈収賄が広がり、収容所の規律の腐敗をもたらし生産性向上にはいたっていない。ヒムラーミュンヘン工科大学農学部で養鶏を学んだが、彼にとっては、強制収容所の囚人男女は養鶏場のニワトリ同様であった。強制労働で死を待つばかりの女性を、初期には「半年で釈放する」との甘言で騙し、それが通用しなくなると有無をいわさず連行して、十分に太らせて女性の性を徹底的に利用した。彼女らの身体を男性囚人に利用させ共犯者にしたてあげたのである。これをゾンマーは「陰険な権力制度」と呼んでいる。
 この強制収容所での性の強制労働の制度は、ゲルマン民族至上主義イデオロギーに基づき、歪んだ優生学を徹底的に追及したナチズムのテロルの、ひとつの縮図であったのである。
(Impaction『インパクション』172号、2010年、163ー166ページに掲載)
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日本ではほとんど知られていませんが、ドイツ軍には下級兵士にいたるまで、毎年3週間から4週間の帰郷休暇が与えられていました。敗戦間際まで出来る限りこの制度は実行されていました。日中戦争開戦以来の日本軍兵士には夢のような制度です。だだしこれも、「アーリア優等民族」を維持するための「子づくり休暇」としての制度であったと論じられています。ナチス型「産めよ増やせよ」政策です。そのため、わたしの戦中生まれのドイツ人友人にも「Urlaubskind/休暇の子ども」がかなりいます。
 
 ドイツ軍の管理売春の研究はまだ途上で、全体像は専門家もとらえていないようです。
ただし現時点でも、ひとつだけ確定できることは、日本軍のように植民地や占領地の若い女性を甘言や拉致で組織的に集め、20万とも推定される膨大な人数の女性たちを拡大する最前線まで性奴隷として強制連行し続けた軍隊は他にはないということです。これが、日本軍による犯罪行為の特殊性なのです。
世界中で20世紀の恥ずべき歴史とされるのはそのためです。橋下氏らが我慢できないとする「日本軍だけが悪者にされるの」ことには、このような根拠があるのです。この面では旧日本軍は特段に野蛮な軍隊でした。

 ところが、他方でナチスも特殊な強制売春施設を強制収容所内に設けていたことが明らかになっています。これについては若い研究者が10年をかけて追求し、2009年に学位論文ととして出版されたおかげで、全体像を知ることができます。ここで性奴隷とされた女性は、日本軍慰安婦の1000分の1、すなわち200名ほどですが、上記のわたしたちの共著にもあり吉見氏も引用されている、インドネシアのオランダ人抑留所から若い女性を選び出して売春を強制した、スマラン事件やマゲラン事件と手口がよく似ています。

 ただし、動機と目的は全く別であり、こちらにはナチスの特有なイデオロギーが背景にあります。したがって、日本軍の慰安所とは「手口」がにているだけで、比較はできないものです。しかし、ナチスイデオロギー下で実証されている唯一の強制売春性奴隷制度に関する、貴重な研究として、ドイツではかなり評判になったものです。
 日本のかつての同盟国の性奴隷犯罪行為のひとつとして、橋下暴言によりこの研究を想起しました。性奴隷制度のひとつの証明された事実であるからです。