河野談話を守る会のブログ2

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橋下や籾井の妄言を産み出した秦郁彦の狂った慰安所・慰安婦定義





慰安婦が名乗り出て以来、皇軍の罪悪行為は世間に大きく認知されるようになった。

これに対してまず92年頃から右派論壇の一部が反発、次に93年頃~96年頃までに右翼政治家が妄言、それから96年には「日本を守る国民会議」が反発キャンペーンを張り、97年には動きが大々的になり、産経が慰安婦記事を量産し始めると共に「新しい歴史教科書を造る会」や今日まで続く歴史修正主義議員の登竜門である「若手議員の会」が結成される。

こうした経過の中で右派の慰安婦論の理論的中核となったのが、秦郁彦の論説であった。これまで見て来たように秦の諸論はこの10数年間たえず右派によって多少変化歪曲されながら、再生産され続けている。

秦の諸論を概観してみると、吉見義明達が行っていた一次情報に基ずく研究を微妙に捻じ曲げ、そうやって右派論壇及び右派政治家たちの主張を擁護することに重心があるように思われる。その歪曲と変形の最も重要な部分が慰安婦慰安所定義」である。定義が違えば全てが違ってしまうからだ。

ここ最近なされた放言・暴言の例で言えば、橋下大阪市長や籾井NHK会長の「慰安婦は世界のどこにでもいた」等の発言がある。特に橋下大阪市長は「戦場の性」という言葉まで使っており、この発言の知的源が秦郁彦である事を裏付けている。

例えば秦は 慰安婦と戦場の性』p145では「ソロンより前に出征兵士のための神殿淫売が普及したとされるし、戦争の勝者が掠奪した女奴隷は売春婦に仕立てられたから、軍隊用慰安婦は歴史とともに古いと言えよう」として、 神殿淫売や奴隷売春宿を「慰安婦」という言葉で表現している。またP171では、バーナード・フォールを出典として「フランス軍が持ち込んだのは、植民地軍の伝統的慣習になっていた「移動慰安所」(Bordel Mobile de Cam-pagne)であった。慰安婦北アフリカ出身者が多く・・・」として、Bordel Mobile de Cam-pagneの訳語に「慰安所」を使っており、女性を「慰安婦」と述べている。さらに秦はp174では「旧ユーゴスラビアの内戦で・・・・慰安所の設置・・・」としたり、佐藤秀和の論文『正論』1993、12月号)を引用して米軍内部での兵士間の性交渉を「女性兵士を男性兵士は慰安婦とし・・・」と表現する事を肯定している。
これらは我々が使う定義では「慰安婦」「慰安所」ではない。男性兵士と女性兵士が性行為を行ったとして、どうしてそれが慰安婦」になるだろう。少なくとも研究者が定義に基づいて使うような言葉とは言えない。
ところがこれが「歴史学者」という肩書で書かれている事が問題なのである。
こうして、定義とは関係なく、(理解不能な)「慰安婦」という言葉の使い方をする橋下や籾井の妄言のような概念・定義の混乱を招いている。

このような秦のデタラメな慰安婦概念定義をここでは探ってみようと思う。




                  吉見の分類 秦の定義

秦は慰安婦と戦場の性』のp80で、吉見の研究を引用しながら、慰安所の分類をしている。しかしこの文章自体がまずデタラメなのでちゃんと指摘しておこう。

秦はこう書いている。

吉見義明は、広義の慰安所を次のような4-5のタイプに分類している。(2)
A 軍の直営
B 軍が監督統制し軍人・軍属専用
  B-1 特別な部隊専属
  B-2 都市などで軍が認可(指定)
C 軍が民間の売春宿などを兵員用に指定する軍利用の慰安所で、民間人も利用
D 純然たる民間の売春宿で軍人も利用

この分類は妥当だと思うが私はさらに
E 料理屋、カフェー、バーなど売春を兼業した施設を付け加えておきたい
*(2)には 「吉見資料集 27-28」 と書かれている)

 しかし、これは吉見の説に対する一つの歪曲である。
なぜなら、まずDを吉見は分類の中で「慰安所」としていないからである。
こう書いている。


第4が純粋に民間の売春宿で、軍人がそこに通ったとしても軍とは関係ないものである。   (吉見義明従軍慰安婦資料集』p28)

「純粋に民間の売春宿」 
軍人がそこに通ったとしても軍とは関係ない」 
 とわざわざ述べているのに、どうしてこれが、慰安所の定義に入るのだろうか?


さらに吉見は 『共同研究 日本軍慰安婦のp6でも慰安所を分類してより詳しくこう書いている。


日本軍人が利用した慰安所には3つのタイプがあった。第一は軍直営の軍人・軍属専用の慰安所、第二は、形式上民間業者が経営するが、軍が管理統制する軍人・軍属専用の慰安所、第三は、一般人も利用するが、軍が指定した軍利用の慰安所で軍が特別の便宜を求める慰安所である。これらは典型的なタイプを分類したものだが、実際には、軍直営慰安所から民間の売春宿に近いものまで多様な中間形態があったであろう。以上の内純粋に慰安所と呼べるのは、第一と第二のタイプの慰安所であった。・・・・(略)・・・・・以上の内、第一と第二の軍直営・軍専用の慰安所に関しては、日本国家に責任があり、第三の軍利用の慰安所に関しては利用の程度に応じて責任がある事になる。       『共同研究 日本軍慰安婦のp6)       

ここではDへの言及自体されていない。吉見の考えでは「Dは慰安所ではない」という事を意味しているのである。


ところが秦はこれを無視して慰安所に分類している他、慰安婦と戦場の性』p82では上記p80に書いたEも「広義の慰安所」として「慰安所とみなすかどうか微妙なところだ」と述べながら慰安所にしている。


E型は原則として飲食を禁止していた狭義の慰安所と違い飲食を供するのが建前だが、売春も兼業しているところも多く、カフェー、バーも含め強制検診の対象となっていた。これを慰安所とみなすかどうかは微妙なところだ。 慰安婦と戦場の性』p82)

後に述べるが秦は慰安所の定義を「軍専用」としているのだが、カフェーやバーが「軍専用」の売春宿化していたと言いたいのだろうか?

こうした秦論説のデタラメぶりには馴れているが、何を「広義の慰安所」としているのか?まるで分からない。吉見の分類を「狭義」と「広義」に分けたということなのか?秦は様々な論説の中で「狭義の●●」「広義の●●」と書いてそれを使いながら、煙に巻いているように思われる。

狭義」とは「狭い定義」であり「広義」とは広い定義」のことである。
そして定義とは「言葉の正確な意味」のことである。
一体何を「狭義の慰安所」と呼び、何を「広義の慰安所」と呼んでいるのかを秦ははっきりさせるべきだ。




    吉見の「営業形態の分類」を「定義」としている秦の混乱した思考

なぜこうなってしまったのかと言えば秦は、吉見にとっての慰安所の形態の分類にすぎないものを、「狭義」と「広義」に分けて、慰安所の定義としているからである。

吉見にとってこれは「慰安所の定義」ではなくあくまで「慰安所のタイプ別分類」である。それは上に書いてある通りである。

しかし秦はこれを(広い、狭いに分けた)定義とすることで、混乱を招いている。

ところがさらに奇怪な事が起こっている。


      3、『季刊戦争責任研究』に書いた秦の慰安所定義

前田朗が書いた慰安婦と戦場の性』批判に対して『季刊戦争責任研究』2000年春号(第27号)秦郁彦が、反論した文章が『季刊戦争責任研究』2000年夏号(第28号)に掲載されている。

この「前田朗への反論」と題した秦の文章は、全体として突っ込みどころ満載だが、慰安所定義についても書いているので、掲載しておきたい。

秦の言い分はこうだ。



秦コメント・・・定義上の問題だが、私は拙著では軍民共用の売春宿を除く軍専用を慰安所と呼んでいる。 (『季刊戦争責任研究』2000年夏号(第28号)p84

「軍民共用の売春宿を除く」のだそうだ。

すると、吉見が「純粋に民間の売春宿」 と書いた第4の型(D)は明らかに慰安所では無いではないか?

どうして「純粋に民間の売春宿」が「軍専用」の中に入れられてしまうのか?まるでわけが分からない。さらにEの「カフェーやバー」はなぜ「難しいところ」になってしまうのか?

さらに慰安婦と戦場の性』のpp145~p174に書かれた以下の文章は全てデタラメである。

●「軍隊用慰安婦は歴史とともに古い」と言えよう」
フランス軍が持ち込んだのは、植民地軍の伝統的慣習になっていた「移動慰安所」」
「旧ユーゴスラビアの内戦で・・・・慰安所の設置・・・」
「女性兵士を男性兵士は慰安婦とし・・・」

などは、どう解釈されるのだろうか?

これらはみな、「軍専用」であった事が証明されていると言いたいのだろうか?ぜひ証明していただきたいものだ。


       4、場合によっては「軍専用」という定義をつかう秦

秦はp88で、中国の管寧の説を否定している。

鈴木衛生軍曹のような日本兵が散発的に利用した中国人向けの遊里における中国人売春婦を慰安婦にふくめるのは、無理があると思われるからだ。 (慰安婦と戦場の性』p88)

つまりここでは、「散発的に利用した場合」はそれは「売春婦」であり「慰安婦」ではないとしているのだ。

またP94でも


満州国では)・・・・しかし軍専用の慰安所は置かれず、事変前と同様に日本人、朝鮮人、満人(中国人)の娼婦を置く民間人経営の遊郭を軍民共用で利用していた。   慰安婦と戦場の性』p94)
としている。これは両方とも、「軍専用」という慰安所慰安婦定義に基づいているのだろう。

それなのになぜ、軍隊用慰安婦は歴史とともに古い」「女性兵士を男性兵士は慰安婦とし」・・・になってしまうのかが分からないのである。


秦郁彦は、定義がむちゃくちゃな人である。
定義に沿って論説を展開すべきだという事さえ分からないらしい。
ゆえにその論説は全てがむちゃくちゃなのだと思う。

ところで最後に吉見の慰安婦定義を掲載しておこう。

吉見の定義
日本軍慰安婦とは、日本軍の管理下におかれ、戦地や占領地に開設された軍慰安所で日本軍将兵や軍属に性的奉仕させられた女性たちである。         (『共同研究日本軍慰安婦p3)

歴史学者の中に、秦論説の支持者が少ないのは当たり前である。

(全敬称略)
(11/3一部修正)