河野談話を守る会のブログ2

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「狭義の強制連行」

  
安倍は、第一次内閣の時に「家に乗り込んでいって強引に連れていったのか」と説明していた。
 
165-衆-予算委員会-3号 平成18年10月06日
安倍内閣総理大臣 ですから、いわゆる狭義の強制性と広義の強制性があるであろう。つまり、家に乗り込んでいって強引に連れていったのか、また、そうではなくて、これは自分としては行きたくないけれどもそういう環境の中にあった、結果としてそういうことになったことについての関連があったということがいわば広義の強制性ではないか、こう考えております。
 
「狭義の強制連行」は日常用語ではない。かと言って歴史学学会に流通している言葉でもない。この言葉を頻繁に使っているのは、産経新聞や正論、サンサーラ・・・などに登場する右翼的考えの持ち主たちぐらいだし、他の人たちは基本的には使わない。吉見氏たちは、批判のために使うこともあるが、回数は非常に少ない。
 
吉見義明教授の書いた『日本軍「慰安婦」制度とは何か』(p13)では「「狭義の強制」というのは、国外移送目的略奪罪に該当するケースを言っているのだと思うのですが・・・・」と、この定義もよく分からない言葉に対する扱いは慎重である。
 
はっきりとした意味は分からないからだ。
 
 
  そしてこの言葉を最初に使ったのは秦郁彦である
 
1992年9月号の「諸君!」の中で秦郁彦はこう書いている。
 
 
官憲の職権を発動した「慰安婦狩」ないし「ひとさらい」的連行(かりに狭義の強制連行とよぶことにする)を示唆する公式資料は見当たらないというのである。
 
 
この文章は、1993年3月5日の『昭和史の謎を追う』下巻p.338にもちゃんと収まっている。
これに対して吉見教授は92年11月の『従軍慰安婦資料集』で以下のように反論した。
一般には、強制連行というと人狩りの場合しか想定しない日本人が多いが、これは狭義の強制連行であり、詐欺などを含む広義の強制連行の問題をも深刻に考えてしかるべき
「狭義の強制連行」を持ち出した秦郁彦への反論として使ったのだ。
 
ところが、これを漫画家が、デフォルメして、「吉見が広義の強制連行という概念を造って逃げている」という物語を造った。
 
こうしていまだにバカウヨの中にはこの手の捏造ストーリーを信じている連中がいるのである。自分で調べないので永遠に本当の事がわからない連中である。