つかこうへいの間違い
産経新聞2013.6.24
より抜粋
当時も慰安婦問題が日韓間で政治問題化していた。そんな中でつか氏は『娘に語る祖国 満州駅伝-従軍慰安婦編』という著書を書くため、
元日本軍兵士や慰安所関係者らへの取材を重ねたという。
「僕は『従軍』という言葉から、鎖につながれたり殴られたり蹴られたりして犯される奴隷的な存在と思っていたけど、実態は違った。
将校に恋をしてお金を貢いだり、休日に一緒に映画や喫茶店に行ったりという人間的な付き合いもあった。
不勉強だったが、僕はマスコミで独り歩きしているイメージに洗脳されていた」
つか氏はこう語った。作家の偏見を排した冷徹な目で少し調べると、マスコミ報道とは異なる実態が見えてきたというのである。
また、つか氏は自らの当初の「思惑」も「知識不足」も隠そうとしなかった。
「悲惨さを調べようと思っていたら、思惑が外れてバツが悪かったが、慰安婦と日本兵の恋はもちろん、心中もあった。
僕は『従軍慰安婦』という言葉が戦後に作られたことや、慰安婦の主流が日本人だったことも知らなかった」
というつかこうへいの話があるのだが、こういうのにはうんざりする。もっと調べればもう少し正確な慰安婦像がつかめただろう。
①「『従軍慰安婦』という言葉が戦後に作られたことや、慰安婦の主流が日本人だったことも知らなかった」と書いているが、「軍慰安婦」という言葉は戦時中から有った。それに時代が降ってから新しい名前がついても何の問題もありはしない。「江戸幕府」と我々は呼ぶが当時の人はそう言わなかったのである。後世に「従軍慰安婦」という言葉が造られても何の問題もないだろう。
ちなみに「従軍・・」という言葉は「軍属」を表す言葉ではない。
②「慰安婦の主流が日本人だった」そうだが、それはまた誰に吹きこまれたデタラメだ?
総数さえ、5万から20万と幅広く、はっきり分かっていないのに、民族構成など分かるわけがないだろう。ただ、元日本軍人の証言から朝鮮半島の人が多かっただろうとは言われている。
晩年のつかこうへいは知性が劣化していたのだろうか?
「『従軍』という言葉から、鎖につながれたり・・・」と書いているが、「従軍看護婦」や「従軍記者」は鎖に繋がれてたのか?
「従軍」という言葉にそんな意味がある訳がない。
「僕は『従軍』という言葉から、鎖につながれたり殴られたり蹴られたりして犯される奴隷的な存在と思っていたけど、実態は違った。
これはほとんどデマ。
③「鎖につながれたり殴られたり蹴られたりして犯される奴隷的な存在と思っていたけど、実態は違った。 」
フィリピンのロラには、そういう人もいたんだけど。
中国訴訟の万愛花さんは、殴られ、蹴られ股関節の骨を骨折したという。
いったい何をこの人は取材したんだろう?
視野が狭いな。
④「将校に恋をしてお金を貢いだり、休日に一緒に映画や喫茶店に行ったりという人間的な付き合いもあった。 」
まあ、そういう人もいないではなかった。日本人慰安婦(酌婦)の場合は特に、1日に相手は一人だけという人もいたからね。デートもできただろうよ。
しかし非常に多くの元慰安婦が、騙されて連れて行かれ、最初に強姦から始まっている。(フィリピン訴訟の40名の全員が強姦から始まった。また韓国訴訟の16人の内12人が強姦されている。)
そこを見逃しているところが、このつかこうへいの間違いである。
だいたいアメリカ史の中で奴隷が恋をしたり、結婚したりした例なんていっぱいあるだろうに。あほらしい。アンクルトムはパーティに出席したから奴隷ではなかったのか?
一言ゴーマンかましていいかな?
何も知らない素人が口をだすな!もう少し調べてから言え、アホ。