河野談話を守る会のブログ2

ヤフーブログ閉鎖のため移住しました

西岡力、朴裕河、熊谷奈緒子の「性奴隷」否定言説の問題点(2)「中立・客観」を装う熊谷奈緒子『慰安婦問題』の悪質さ

(全敬称略)


奴隷とは何か?
という疑問について考える人は少ない。

我々は、しばしば「奴隷制度は、米国にあったが、身近には存在しなかった」と考えている。それは「奴隷制度」に対して、「泣き叫ぶ人を銃で脅して、鎖でつなぎ、船に乗せ運んで行き、ムチで強制労働させる。」というようなイメージでのみ見ているからである。しかしそのイメージが常に当てはまるわけではない。


「奴隷とは、「主人の所有物」となり、金銭の報酬なしに働かされ、殴られても文句を言えない存在だ。」
『よく分かる慰安婦問題』p131)

 西岡力の記述は明らかにそのステレオタイプな奴隷イメージを示しているし、つい最近、朝日新聞を糺(ただ)す国民会議日本外国特派員協会で会見2015年2月23日、東京・有楽町)した際に加瀬英明が外国人記者と言い争い、「日本は歴史を通じてslaves(奴隷)、slavery(奴隷制)が全く存在しなかった文化」などと言い放ったような無知もこの延長上にあるのだろう。

日本には有史以来、奴隷制というべきものが存在していたし、それは「人身売買」と「人権抑圧」の歴史として、江戸時代の遊郭制度へとつながり、「日本軍慰安婦制度」へと結実しているのである。



 日本の奴隷制

  • ①『後漢書』と『倭人伝』の「生口」
    「『後漢書東夷伝には「倭国王帥升が、生口(奴隷)160人を安帝へ献上した」(西暦107年)と記録」
  •        
  • ②古代大和朝廷における「夜都古(やつこ)」
           ↓  
    律令制における「公奴婢(くぬひ)」や「私奴婢(しぬひ)」
           ↓  
    安寿と厨子王丸はその時代を物語り
           ↓  
    ⑤ 戦国大名は、攻め込んだ他の国の領地から領民を奴隷として「乱妨取り」

    『日本奴隷史』(阿部 弘臧)には
    「天文・永禄の頃には駿河の富士の麓に富士市と称するいわいる奴隷市場ありて、妙齢の子女を購いきたりてこれを売買し、四方に輸出して遊女とする習俗ありき」と書かれている。
           ↓  
    ⑥ 慶長の役に従軍した僧慶念の書いた『朝鮮日々記』という日記には、朝鮮人を奴隷化した日本の奴隷商人の記録が残されている。(『文禄・慶長の役における被虜人の研究』東京大学出版社、1976)
           ↓  
    「日本よりもよろずの商人も来たりし中に、人商いせる者来たり。奥陣より後に付き歩き、男女・老若買い取りて、縄にて首をくくり集め、先へ追い立て、歩み候わねば後より杖にて追い立て、打ち走らかす有様は、さながら阿坊羅刹の罪人を責めけるもかくやと思いはべる。・・・・身の業はすける心によりぬれど、よろず商う人の集まり、「かくせい」や「てるま・たるみ」の若童ども、くくり集めて引き立て渡せる。かくの如くに買い集め、例えば猿をくくりて歩くごとくに、牛馬をひかせて荷物持たせなどして、責める躰は、見る目いたわしくてありつる事なり。」(『朝鮮日々記』より)

    (「かくせい」=女性、「てるま」=召使い、「たるみ」=男性)
           ↓  
    ⑦ 明治政府が1872に発した「人身売買禁止令」司法省達「芸娼妓解放令」 によれば、政府は娼妓を「人身の権利を失う者にして牛馬に異ならず」から解放すると述べている。
       ↓  
⑧ しかし翌年には、「芸娼妓解放令」 は有名無実となり、名目だけ「貸座敷」と名前を変えて「公娼制度」は存続した。
       ↓  
⑨ 「 明治3年(1870)・・・・・幼い子を売る風習は日本のどこにもあって天秤で担って「子どもはいらんか」と触れ歩く人売りがいたころである。」(p88) 
  「人売り業といわれる口入屋が日本にはあったし・・・」(P90)

   「おキミは、娼楼でつとめつつ自分がはたちになるすがたを想像もできなかったという。誰もかれも少女らは二十歳になる前に息を引き取っていたからである。」(P138)
  
    (森崎 和江からゆきさん』)
       ↓  
⑩ 明治から敗戦まで、日本の「公娼制度は奴隷制度」だと指摘され、廃娼運動がなされ、神奈川県や石川県は公娼制度は、人身を売買し、拘束する事実上の奴隷制度である」と廃娼決議している。http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/63573501.html


<他に読んでおくべき記事>

 簡単に見て来たが、日本には歴史の中で「人身売買」と奴隷制が存在していた事が分かる。その人権抑圧が江戸時代以降の「公娼制度」に、そしてさらに兵士のむき出しの性の欲望にさらされてしまった軍国主義時代の「慰安婦制度」の中に広範に引き継がれたのであった。

ところが、熊谷奈緒子には、この手の考察がまるで存在していない。「人身売買」さえ存在しなかったかのような理解がされている。そして人身売買には強制がつきものなのである。

まず
慰安婦」をひとくくりに「性奴隷」(sex slave)という事はできないはずだが、そう表現する例が多く見られる。慰安婦問題』p32)
というのだが、


”「慰安婦」をひとくくりに「性奴隷」と表現する人”・・・がどこにいるのだろうか?
例えば、我々が元慰安婦の方々に会ったとしても、「あなた性奴隷だったんでしょ」などと言う訳が無い。そういう認識ではないからだ。

慰安婦は性奴隷」・・・ではなく「慰安婦制度は(広範になされた人身売買の中で女性の人権を大きく抑圧した)奴隷制である」というのが、クマラスワミの主張であり吉見義明教授の研究成果だが、なぜかそれは無視されており、「慰安婦」をひとくくりに「性奴隷」と表現」している事になっている。

こうして「制度」に対する考察を欠いている熊谷奈緒子は、どんどん暴走して行く。


しかしながら、「慰安婦」を法的に「軍性奴隷」ということはできない。なぜなら、「「軍性奴隷」は慰安婦慰安所の多様性な実体を示さないからである。(慰安婦問題』p32)

この理屈は朴裕河そのままの受け売りである。
確かに様々な境遇の人がいた。しかしここで問題視されているのは「制度」だという事が分からないらしい。

吉見教授の文章をもう一度掲載しておこう。

「こうして「慰安婦」制度には、外見上の「保護」規定すらないので、文字通りの性奴隷制度というほかありません」
(吉見義明『日本軍慰安婦問題について』p45)
明らかに「制度」について述べているのであって、様々な境遇の「人」について述べているのではない。
そして被害者たちについてはこう述べている。


 
従軍慰安婦とは、日本軍の管理下におかれ無権利状態の下、一定期間拘束され、将兵に性的奉仕をさせられた女性たちのことであり、「軍用性奴隷」というしかない境遇に追いつめられた人達である。 (吉見義明従軍慰安婦p11)

こうした研究書を少しでも読んでいるなら、自分が書いたものに違和感を感じるはずなのでおそらく読んでいないものと思われる。

熊谷の言う「 多様性な実体」が何かは不明だが、例えば、あるデパートで火事が起こり、ある人は全身ヤケドを負い、ある人は小さなヤケドで済んだとして、その場合、被害者は多様だと言えるが、だから何だというのだろうか?それは被害の程度が違ったというだけである。人身売買された女性たちの中には幾分か楽だった人もいる訳だが、実に酷い経験をした人もいた。しかしそのほとんど全ての人が「前借金」の名の下に「身売り」され、犯罪の温床のような慰安婦システムの中で生きたのである。

多様ならなぜ、「軍性奴隷」とは言えないのか?独自説を唱える以上、ちゃんと示して欲しいものだ。
 
 
そして「奴隷」をこう定義つけしている。

奴隷とは、一般には他人に所有物として扱われ、強制的支配の下、労働に対価を与えられず、時に売買の対象になりうる存在である。官憲による慰安婦の強制連行や強制管理を示す公文書がなく、慰安所管理の文書や証言によれば慰安婦にはお金が支払われており、日本軍によって性病検査などの管理はされていたものの、厳密な意味で所有されていたわけではないからである。確かに慰安所には、いわば就業規則のようなものがあり、これが慰安婦の行動の自由を制限した。しかしそういった一定の制限は他の職業にも存在する。これは所有権を行使しているとは言えない。
確かに悪徳業者による慰安所の場合には、最終的に慰安婦に料金が支払われなかったという証言もあるだろう。だが原則として慰安所の規則には兵士の階級に基づく慰安も値段があり、兵士は慰安婦のサービスに慰安婦直接でなくても対価を支払っていた。さらに慰安婦の給料、行動の自由、束縛の程度など態様も様々であった。
このように「性奴隷」という概念は慰安婦の現実を必ずしも反映しないというばかりでなく、以下のような問題点もある。
(以下略)
慰安婦問題』p32)

またも登場、「マイ定義」。
西岡力朴裕河を合わせたような定義の仕方であると言えよう。

「奴隷とは、「主人の所有物」となり、金銭の報酬なしに働かされ、殴られても文句を言えない存在だ。」『よく分かる慰安婦問題』p131)

 
しかし、慰安婦=「性奴隷」が<監禁されて軍人たちに無償で性を搾取された>という事を意味する限り、朝鮮人慰安婦は必ずしもそのような「奴隷」ではない。たとえそういう状況にいたとしても、それが初めから「慰安婦」に与えられた役割ではないからである。
『帝国の慰安婦p143)
「「主人の所有物」となり、金銭の報酬なしに働かされ」と定義する西岡の「奴隷」論と無償で性を搾取された」と定義する朴の「性奴隷」論とを合わせたような定義をしているのが分かるであろう。

そして「1926年の奴隷制条約」における奴隷制定義、それを踏まえたクマラスワミ、マクドーガルの定義や吉見教授の「性奴隷制度」定義をまるで無視しているのである。

こうして先行研究をまったく無視し、かなり蓋然性の低い特定の情報と理論に立脚した偏った著作物でありながら、「特定の立場によらない」とか「客観的かつ多面的に理解する」とか述べて「中立を装う」とは、実に悪質な著作ではないだろうか?