「奴隷制度と金銭報酬」完成版
慰安婦問題否定論の中には、きわめて無知であるがゆえになしうる否定論が存在している。
その無知の一つが「奴隷」に関する無知である。
熊谷奈緒子は
奴隷とは、一般には他人に所有物として扱われ、強制的支配の下、労働に対価を与えられず、時に売買の対象になりうる存在である。(『慰安婦問題』p32)
と書いている。
それぞれ「慰安所=性奴隷制度」を否定する文脈の中で、「奴隷」の定義または「奴隷」の要件として、「金銭の報酬なしに働かされ」「無償で性を搾取された」「労働に対価を与えられず」としており、金銭報酬の有る無しが、「奴隷であるか否か」の基準のように書いている。
こういう人たちは、おそらく今日までの人類の奴隷史について、まったく調べないでこうした記述をしているのである。
奴隷史研究の中には、「報酬のある奴隷」がいたことが知られているからである。
この件についてはすでに幾度か言及している。
今回、2015(平成27)年3月10日の吉見裁判における吉見義明陳述書を入手したので、これによって見解を完成しておこう。
奴隷には収入はないか
まず、収入があれば、奴隷とはいえないという見解について検討しますと、アメリカの黒人奴隷も一定の収入を得る場合があったことは否定できません。ノースカロライナで奴隷だったハリエット・アン・ジェイコブス氏の回想によれば、彼女の父は、腕の良い大工でしたが、「父を所有する女主人は、年間二〇〇ドルを支払い、自分で生活の費用をまかなうのであれば、あとは自由に商売をしてもよいと言ってくれていた。」といいます(H. A.ジェイコブス『ある奴隷少女に起こった出来事』大和書房、2013年、19頁)。奴隷でもかなりの収入があったのです。また、彼女の祖母は奴隷主の食事の支度、乳母、お針子の仕事をしていましたが、クラッカーをつくって売り、300ドルのお金を貯めていた、といいます(同上、20-21頁)。
自前で働き、賃金を稼ぐ奴隷もいたのです。また、エドウィン・グールド児童教育財団のトーマス・L・ウェッバー博士は、次のように述べています。
黒人奴隷は、奴隷主から報酬を受け取ることもできたのです。さらに、ロバート・W・フォーゲル氏とスタンレー・L・エンガーマン氏は、次のように述べています。
オームステッドが〔ルイジアナ州の砂糖プランテーションやカロライナ州の漁場で奴隷たちが熱心に働いていると〕再び報告している理由は、彼らが「技術」や「根気強さ」のために特別の報酬を受け取っているからだった。このような事実を見ますと、収入があるから奴隷ではない、とは言えないことは明らかでしょう。