河野談話を守る会のブログ2

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3 【安倍晋三と「慰安婦」問題―発言に見る、極右政治家の実像―(成澤宗男)】を読む

(前頁からのつづき)

3 繰り返される迷走劇

2007年、安倍は9月の退場まで「慰安婦」問題をめぐり失点に次ぐ失点を重ねる。そこでは、自身の「持論」が米国から何らかの好ましくない反響を呼ぶといったんは「謙虚」さを装うものの、ほとぼりが冷めたと判断したかあるいは情勢を見誤ってか、また「持論」を公にし、再度米国から何らかの反響があると、同じようにあわてて言動を改める――というパターンが見受けられる。こうした米国への卑屈さは、明らかに「戦後レジームからの脱却」などと大それたことを公言する「政治家」として矛盾していようが、安倍の「政治信条」らしきものとは、最初からその程度なのだろう。
当時、安倍にとって懸念事項となったのは、131日に米国議会下院外交委員会に「慰安婦」問題について謝罪を求める決議(121号決議)案が提出され、これに内外の関心が高まったことにあった。一方で前年の2006年には、4月から使用される中学校教科書本文から「慰安婦」の記述が一掃され、1025日には官房副長官下村博文(現文部科学大臣)が河野談話の見直しを言及。さらに、かつて安倍が事務局長を務めた「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を母体とする「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」が、やはり見直しに向けて動き出している。

自民党議員連盟日本の前途と歴史教育を考える議員の会』(会長・中山成彬文科相)が13日、1年ぶりに活動を再開した。……当面のテーマは、慰安婦問題に関する平成5年の河野洋平官房長官談話。首相も今国会の答弁で旧日本軍によるいわゆる「狭義の強制性」を否定していることを受け、議連内に小委員会を設置し、見直しを念頭に研究を進めることを決めた」(『産経』06年12月14日付)

 安倍の「お仲間」の歴史修正主義者たちのこうした動向が米国でも警戒され、121号決議案が提出されたのは想像に難くない。だが、「お仲間」たちの動きに刺激されてか、前述のように志位議員の追及には逃げ回りながらも、安倍は0731日に「持論」をつい口にしてしまう。

安倍晋三首相は1日、慰安婦への旧日本軍関与の強制性を認めた平成5年の河野洋平官房長官談話について、『強制性を証明する証言や裏付けるものはなかった。だからその定義については大きく変わったということを前提に考えなければならない』と述べ、談話見直しに着手する考えを示唆した。首相官邸で記者団の質問に答えた。
  首相は昨年10月の衆院予算委員会で、旧日本軍による直接の連行などいわゆる『狭義の強制性』について『いろいろな疑問点があるのではないか』などと答弁し、否定する立場を表明してきた。ただ、『政府の基本的立場として受け継いでいる』とするなど河野談話の見直しには慎重な意向も示していた」(『産経』07年3月3日)


安倍の特徴は、国会で「持論」を正面から反駁されると、逃げ口上を乱発してすぐ支離滅裂になるくせに、後になるとまた同じ「持論」を平気で繰り返す点にある。しかも、果たして自身が自身の言動をどこまで理解しているのかどうかさえ疑わしい場合があり、とりわけ「強制性」と「強制連行」の意味の違いに関してそのような疑念が湧く。それを示しているのが、0735日に開かれた、参議院予算委員会における民主党小川敏夫議員との質疑応答だろう。以下はその抜粋だ。

小川 この三月一日に強制はなかったというような趣旨の発言をされたんじゃないですか、総理。


安倍 ですから、この強制性ということについて、何をもって強制性ということを議論しているかということでございますが、言わば、官憲が家に押し入っていって人を人さらいのごとく連れていくという、そういう強制性はなかったということではないかと、こういうことでございます。
 そもそも、この問題の発端として、これはたしか朝日新聞だったと思いますが、吉田清治という人が慰安婦狩りをしたという証言をしたわけでありますが、この証言は全く、後にでっち上げだったことが分かったわけでございます。つまり、発端はこの人がそういう証言をしたわけでございますが、今申し上げましたようなてんまつになったということについて、その後、言わば、このように慰安婦狩りのような強制性、官憲による強制連行的なものがあったということを証明する証言はないということでございます。
                 (略)


小川 一度確認しますが、そうすると、家に乗り込んで無理やり連れてきてしまったような強制はなかったと。じゃ、どういう強制はあったと総理は認識されているんですか


安倍 この国会の場でこういう議論を延々とするのが私は余り生産的だとは思いませんけれども、あえて申し上げますが、言わば、これは昨年の国会でも申し上げましたように、そのときの経済状況というものがあったわけでございます。御本人が進んでそういう道に進もうと思った方は恐らくおられなかったんだろうと、このように思います。また、間に入った業者が事実上強制をしていたというケースもあったということでございます。そういう意味において、広義の解釈においての強制性があったということではないでしょうか。


小川 それは、業者が強制したんであって国が強制したんではないという総理の御認識ですか。


安倍 これについては、先ほど申し上げましたように、言わば、乗り込んでいって人を人さらいのように連れてくるというような強制はなかったということではないかと、このように思います。

小川 だから、総理、私は聞いているじゃないですか。家に乗り込んで連れていってしまうような強制はなかったと。じゃ、どういう強制があったんですかと聞いているわけですよ。


安倍 もう既にそれは河野談話に書いてあるとおりであります。それを何回も、小川委員がどういう思惑があってここでそれを取り上げられているかということは私はよく分からないわけでありますが、今正にアメリカでそういう決議が話題になっているわけでございますが、そこにはやはり事実誤認があるというのが私どもの立場でございます。


小川 アメリカの下院で我が国が謝罪しろというような決議がされるということは、我が国の国際信用を大きく損なう大変に重要な外交案件だと思うんです。
 それで、事実誤認だから、じゃ、そういう決議案をもしアメリカ下院がすれば、事実誤認の証言に基づいて決議をしたアメリカ下院が悪いんだと、だから日本は一切謝罪することもないし、そんな決議は無視する、無視していいんだと、これが総理のお考えですか。


安倍 これは、別に決議があったからといって我々は謝罪するということはないということは、まず申し上げておかなければいけないと思います。
 この決議案は客観的な事実に基づいていません。また、日本政府のこれまでの対応も踏まえていないということであります。もしかしたら委員は逆のお考えを持っているのかもしれませんが、こうした米議会内の一部議員の動きを受け、政府としては、引き続き我が国の立場について理解を得るための努力を今行っているところでございます。


小川  河野談話は、単に業者が強制しただけでなくて、慰安所の設置や管理、慰安婦の移送に対する軍の関与を認定したと言っておるわけです。このことについて総理は認めるんですか、認めないんですか。


安倍 ですから、先ほど来申し上げておりますように、書いてあるとおりであります。


小川 書いてあるとおりは、書いてあるのは事実ですよ、書いてあるのは。総理がそれをそういうふうに思っていますかと聞いているんです。

安倍 ですから、書いてあるとおりでありまして、それを読んでいただければ、それが政府の今の立場であります。

小川 私は、この問題についての国際感覚あるいは人権感覚といいますか、全く総理のその対応について、私は寂しい限り、むしろ日本の国際的な信用を損なうことになっているんじゃないかと思いますが。
 すなわち、下院において、そこで慰安婦の方が証言された、それが事実誤認だからもういいんだと言って通るほど、この国際環境は甘くはないと思います。むしろ、こうした人権侵害についてきちんとした謝罪なり対応をしないということのこの人権感覚、あるいは過去に日本が起こした戦争についての真摯な反省がやはりまだまだ足らないんではないかという、この国際評価を招く、こうした結果になっているんではないでしょうか。どうですか、総理。


安倍 私は全くそうは思いません。小川議員とは全く私は立場が違うんだろうと思いますね。戦後60 年、日本は自由と民主主義、基本的な人権を守って歩んでまいりました。そのことは国際社会から高く私は評価されているところであろうと、このように思います。これからもその姿勢は変わることはないということを私はもう今まで繰り返し述べてきたところでございます。
 小川委員は殊更そういう日本の歩みをおとしめようとしているんではないかと、このようにも感じるわけでございます。


小川 大変な暴言でありまして、私は、アメリカの下院でそうした決議が出ると、出るかもしれない、既に委員会では決議が出ているわけで、今度は下院、院全体で決議が出るかもしれないと。そのことによって生ずる我が国のこの国際的な評価、これが低下することを憂えて言っているんですよ。


小川議員の、最後に出てくる「既に委員会では決議が出ている」という発言は、下院外交委員会が同決議案を採択したのは同年626日だから正確ではないが、安倍の答弁はいい加減すぎる。河野談話を「受け継ぐ」とは一言も述べない代わりに、①「どういう強制があったのか」、②「業者が事実上強制をしていた」のが「広義の強制性」なら「軍の関与を認めるのか」、という肝心の点については、今度は「河野談話に書いてあるとおり」としか答えない。
    については、河野談話に沿って「本人の意思に反して」、「強制的な状況の下での痛ましいものであった」とされる「慰安所における生活」を強いられたのが「強制」の実態であるという模範回答をすれば、最初から「強制」が「狭義」であったか「広義」だったかなどとこだわる愚かさを認めねばならないから、これは言えない。

    は、河野談話が「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」と書いてある程度は知っているだろうから、記述自体が感情的に面白くないので自分の口からはこれも言いたくないのだろう。

もっとも、河野談話をまともに読んではいないと十分に推認される安倍のことだ。捨て台詞的に「書いてあるとおり」と逃げただけという可能性も否定できない。それにしても、堂々と「決議案は客観的な事実に基づいていません」と公言しておきながら、翌月に訪米してわざわざ議会関係者と会見した際に、「日本政府のこれまでの対応も踏まえていない」といった種の発言を一言も述べた形跡がまるで見当たらないのはなぜなのだろう。

無論、安倍が米国には卑屈で、従属体質丸出しの政治家だからにほかならないが、小川議員とのやり取りがあった4日後の39日、安倍は参議院予算委員会では、一転して「慰安婦の問題につきましては、慰安婦の方々が極めてこれは苦しい状況に置かれた、辛酸をなめられたということについては本当に我々としては心から同情し、また既におわびも申し上げているところであると、このように思うわけでございます」と答弁している。

小川議員が「過去に日本が起こした戦争についての真摯な反省がやはりまだ足らないんではないか」と質しただけで、むきになって「日本の歩みをおとしめようとしている」などと見当外れの反発を示した姿勢とはかなり様相が違う。

この理由については、一連の「強制はなかった」という類いの安倍の発言が、米国メディアの相次ぐ反発を呼んだ点と無縁ではないだろう。例えば36日には、『ニューヨーク・タイムズ』がコラム、7日には『ロサンゼルス・タイムズ』が論文と社説、そして8日には『ニューヨーク・タイムズ』が長文の記事を掲載した。そのうち、「日本は恥を免れることはできない」(Japan can’t dodge this shameと題した『ロサンゼルス・タイムズ』の社説は、次のように安倍を手厳しく批判している。

欧州諸国では、ホロコーストの否定は罰せられるべき犯罪だ。ところが日本ではこれとは対照的に、戦争犯罪は決して十分には訴追もされなかったし、そのようなものとして認識もされず、大半の犠牲者は救済されはしなかった。先週、日本の安倍晋三首相はこうした無責任さを利用する形で、第二次世界大戦中に日本軍にサービスするため、女性たちが性的に束縛されるのを強制されたという「証拠」はないなどと断言した。このことは実際には、こうした(「慰安婦」という)憎むべき行為による何千もの犠牲者を、売春婦、あるいは噓つきであるとレッテルを貼っているのだ。それによって国際的な怒りが生じた後、安倍は姿勢を後退させたが、動かしがたい歴史的事実を否定することにより、生き残った被害者女性たちは、もう一度(日本の)犠牲になったのである
 

 ここで安倍が実質的に同一視されていると見ていい「ホロコーストの否定」論者が、欧米で極度に否定的な評価を下されているかを考慮すると、当時の安倍に対する米国の不信と嫌悪がどれほどであったか容易に想像がつく。米国の歓心を買うことに汲汲とする自民党の歴代首相の一人として、さすがの安倍もこうした報道を無視するわけにはいかなかったのだろう。そのことと、かつて「噓つき」呼ばわりした「慰安婦」に対し、「心から同情し、また既におわびも申し上げている」などと神妙めいた姿勢に転じたのは、無関係ではあるまい。
 さらに、そのような発言があった39日、安倍はジョン・トーマス・シーファー米駐日大使(当時)から、「日本が河野談話から後退していると米国で受け止められると破壊的な影響がある」(『産経』2007310日付)と警告されたという。以下は、当時の米国内の雰囲気を伝える記事(『朝日』200739日付)の抜粋だ。

米国内で、従軍慰安婦問題をめぐる波紋の広がりが止まらない。ニューヨーク・タイムズ紙など主要紙が相次いで日本政府を批判する社説や記事を掲載しているほか、震源地の米下院でも日本に謝罪を求める決議案に対して支持が広がっているという。こうした状況に米国の知日派の間では危機感が広がっており、安倍政権に何らかの対応を求める声が出ている。
8日付のニューヨーク・タイムズ紙は、1面に「日本の性の奴隷問題、『否定』で古傷が開く」と見出しのついた記事を載せた。中面に続く長いもので、安倍首相の強制性を否定する発言が元従軍慰安婦の怒りを改めてかっている様子を伝えた。同紙は6日にも、安倍発言を批判し、日本の国会に「率直な謝罪と十分な補償」を表明するよう求める社説を掲げたばかりだ。(略)
今回の慰安婦問題浮上の直接のきっかけとなった米下院外交委員会の決議案をめぐっては、安倍首相が1日「強制性を裏付ける証拠はなかった」と発言したのを受けて支持が広がっている。
05年末までホワイトハウスでアジア問題を扱っていたグリーン前国家安全保障会議上級アジア部長は、「先週、何人かの下院議員に働きかけ決議案反対の合意を取り付けたが、(安倍発言の後)今週になったら全員が賛成に回ってしまった」と語る。米国務省も今週に入り、議員に対し日本の取り組みを説明するのをやめたという。
 6日に日本から戻ったばかりのキャンベル元国防次官補代理は、「米国内のジャパン・ウオッチャーや日本支持者は落胆するとともに困惑している」と語る。
「日本が(河野談話など)様々な声明を過去に出したことは評価するが、問題は中国や韓国など、日本に批判的な国々の間で、日本の取り組みに対する疑問が出ていることだ」と指摘。「このまま行けば、米国内での日本に対する支持は後退していく」と警告する。
現在日本に滞在中のグリーン氏も「強制されたかどうかは関係ない。日本以外では誰もその点に関心はない。問題は慰安婦たちが悲惨な目に遭ったということであり、永田町の政治家たちは、この基本的な事実を忘れている」と指摘した。


名だたるジャパン・ハンドラーズの一員であるグリーンでさえ、「慰安婦」問題のポイントは外してはいないが、安倍は米国からの批判を気に留めた形跡はあるのに、この程度の認識にすら至らなかったようだ。それどころか、さらに混乱に拍車をかけるような行為に打って出る。本人が今でも誇らしげにしている、316日の閣議決定なるものだ。