○簡単に説明すると秦は、金一勉は「六、七十人」と書いていないというが、ちゃんと書いてあるよ、という話である。
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秦郁彦氏の資料の扱い方は極めてズサンである。それはこれまで言及してきたとおりである。
ETC
学術論文ではなく一般向けの著作物だからといって、[書いてない]ものを[書いてある]と主張したり、[書いてある]ものを[書いてない]と主張するのはいかがなものか?
『慰安婦と戦場の性』p262ーp272はクラマスワミ勧告に対する批判である。
出典は、ジョージ・ヒックスの著作だ。
(クマラスワミ報告書の典拠資料)
さて、これについて、秦氏はこう書いている。
(『慰安婦と戦場の性』p266-p267)
さらに
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と書き、
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と妄想を膨らませている。
しかし、金一勉は、ちゃんと「六、七十人」と書いている。
これである。 ↓
該当部分をさらに抜き出してみよう。
「六、七十人」という人数を書いているではないか。
秦氏は、「金一勉の著作のいずれも人数は出ていない」とか「金一勉はなぜか「六、七十人」の部分は引用していない」というのだが、実際には金一勉氏は、この部分を西口克己の『廓』からほぼ丸写ししており、「六、七十人」とちゃんと書いているのである。
つまり、見落したということだ。
そして自分が見落としたにも関わらず、「忽然と報告書に70人という数が出現する。」とか「金一勉からではなく、西口の著作から直接に利用したという奇々怪々な話になってしまう。」という妙な批判をしている。
何が問題なのだろうか?
それは、秦氏が資料をズサンに扱い、まともに眼を通していないことである。
秦氏は、クマラスワミ報告書に対しては「学生レポートなら落第点」と低評価しており、ヒックスの著作には「通俗書」「初歩的な間違いと歪曲だらけ」と毒舌を飛ばしている。確かにクマラスワミもヒックスも、信用できない部分があるのは事実である。
しかし、クマラスワミやヒックスなんかより、この『慰安婦と戦場の性』の方が、はるかに歪曲が多く、信用できないし、救い難いのである。