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秦郁彦論説の嘘・デタラメ・捏造・歪曲・誤解(5)

      『歪曲される慰安婦  秦郁彦慰安婦」論説の問題点
  ーはじめにー


第2次世界大戦中アジアで発刊されていたラウンドアップという米軍の新聞がある。アジア女性基金>で慰安婦関連の歴史資料をあつめた浅野豊美氏(早稲田大学)が雲南ビルマ最前線における慰安婦達-死者は語る』 http://www.awf.or.jp/pdf/0062_p061_088.pdf (p63~)論文で、かなり詳しく論じているが、現在ネット上でも閲覧ることができる。
http://www.cbi-theater.com/roundup/roundup113044.html JAP 'COMFORT GIRLS' と題する1944年の記事である)

この記事には、当時の朝鮮人慰安婦のことが書かれており、内容は以下の通りである。
1942年の初春に、日本人の行政官たちが、朝鮮は、平壌にある彼女たちの故郷の村に来たとのことである。宣伝ポスターを使ったり、話をしたりして、その日本人たちは "WAC"(浅野は「挺身隊」と訳した)のような組織への募集活動を始めた。彼らが言うには、その隊はシンガポールに行って後方地域で、日本軍用の休憩キャンプで働いたり、病院で興行や介助をするなどの非戦闘任務につくとのことだった。4人ともが喉から手が出るほどお金が必要だったそうで、ひとりは農家を営んでいた父が膝を怪我していたので、入隊したときに貰った軍票1,500ドル(およそ12米ドル)で、治療費を払ったとのことだった。
このような娘たち18名が一団で、朝鮮を出航したのは1942年6月のことだった。航海中、娘たちは日本の勝利の話と東南アジアに打ち立てられつつある新帝国の話を飽きるほど聞かされた。娘たちが最初に変だなと思い始めたのは、シンガポールから再び船に乗せられたときだった。そして、ラングーンから北へ向かう列車に乗せられたとき、娘たちは己の運命を悟ったのであった。」

WACでの病院で興行や介助」という偽りの説明を受けて連れていかれた娘たちはビルマに着いて初めて自分たちの運命に気づいた。明らかに詐欺的事例であり、「WAC=陸軍婦人部隊」という重要な単語も見られる。

ところが、これを秦郁彦氏が要約すると「動機は金である」になってしまう。秦郁彦 慰安婦と戦場の性』p124)

これが秦郁彦氏の慰安婦資料の処理の仕方なのである。
すなわち、自分の意見に反する資料は削除あるいは歪曲し、問題ある結論を導き出すのである。
郁彦氏はしばしば、資料を捻じ曲げ、都合の悪い部分は削除し、過度に単純化というより歪曲を行い、慰安婦問題への皇軍の責任をなかったことにしようとする。本書は秦氏の「慰安婦」論を検証したものである。