歴史修正主義の淵源(1)南京大虐殺否定論について
1、神社界と南京事件否定論
今から数年前の話だが、『南京事件を考える』という本を読んだ。この本は南京事件と南京事件論争について、洞 富雄 氏、本多 勝一 氏、 藤原 彰 氏らが座談会風に述べたものである。1980年代の著作物だ。
そこで、洞 富雄氏の次のような発言に出会った。
と洞 富雄氏は述べていた。
『神社新報』という神社の新聞について、それまで私は意識したことがなかった。そこでとりあえず洞氏の主張が本当に正しいか否かを調査する事にした。
▼ 調べた結果
(他の類似ワードでも検索したが、煩雑さを避けるため「南京 虐殺」で検索した結果のみの表示している)




(『神社新報』創刊1946年~2008年で<南京 虐殺>で検索した場合、132記事がヒットし、その内1記事だけは「否定論」ではないが、131記事が否定論であるか、否定論を前提としている。)

今では毎月のように南京虐殺否定論を掲載する月刊誌もあれば、一面で宣伝する全国紙も存在しているのだから隔世の感があるが、虐殺否定論者である水間政憲氏によれば、80年代は有名雑誌に南京虐殺否定論を掲載するのは「夢のまた夢だった」という。http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/blog-entry-592.html
そんな80年代に、『神社新報』は、南京虐殺否定論を大量に宣伝しつづけていたのである。それはちょっとした驚きであった。現在、産経新聞は「歴史戦」と称して歴史修正主義を展開しているが、『神社新報』は、それを先駆けて「歴史戦」をしていたのである。神社界が歴史修正主義を後押しして来たのだ。
もちろん、内容に関しては産経並みに稚拙である。
『神社新報』は、南京事件に関しては、 田中正明氏らがご贔屓であり、1985年、板倉由明氏に原文の修正加筆改竄を「300箇所以上」も指摘され、研究者として信頼性がないことが、発覚した後もしばしば登場させ、まるで問題など何も無かったように宣伝・引用・応援している。さらにその頃、「虐殺なんか無かった」と強弁していた偕行社が、調査の結果南京大虐殺の存在を認めた。
直後、『諸君』4月号では、前出の洞富雄氏、秦郁彦氏、鈴木明氏、田中正明氏らが討論をし、鈴木明氏や田中正明氏には厳しい結果となった。この一連の過程をもって南京虐殺論争は終わったはずだったが、『神社新報』はなぜか「オレは納得せん」という畠中秀夫氏の主張を掲載して、否定論にエールを送っている。
一部を掲載しよう。

(*「畠中秀夫」は阿羅 健一氏の別名である)
(阿羅氏の資料改竄も指摘されている。http://www.geocities.jp/kk_nanking/butaibetu/yamada/kurihara04.htm)
南京大虐殺論争における神社界の大胆な後押しは、田中正明氏、阿羅 健一氏、東中野修道氏等の否定論者にとっては力強い味方であっただろう。南京大虐殺否定論者(または軽減しようとする論者)として、彼らはしばしば、資料の改竄・捏造に手を染めたが、『神社新報』はそんな事を気にしないのである。研究が進み、「南京事件」に関するすぐれた歴史学論文がいくつも書かれているが、それも気にしない。
彼らにとっては”真実か否か”は問題ではないのだ。陸軍の山縣有朋が、美濃部達吉との憲法論争に敗れた上杉 慎吉を拾い上げ、後ろ盾となりその活動を支えたのと少し似ている。いづれの場合も大切なのは、”真実か否か”ではなく、”彼らの日本主義情念にマッチしているか、否か”・・・なのである。
1980年代。本来なら決着がついているはずの南京大虐殺論争がそれでもなお燻ったのは、保守の源・神社界の強力な支持・支援があったからである。そして彼らにとっては、歴史史料などどうでもいい事なのだ。大切なのは、天皇の軍隊はそんな悪事をしていないということであり、それを証明するために資料を捏造するぐらいは問題ない。愛国無罪なのである。
では慰安婦問題についてはどうだろうか?
2、神社界と「慰安婦」問題否定論