河野談話を守る会のブログ2

ヤフーブログ閉鎖のため移住しました

藤岡信勝の主張の背後

                     1映画『主戦場』を巡るやりとり
 
最近、映画『主戦場』に登場した右派たちがミキ・デザキ監督と映画配給会社「東風(とうふう)」を告訴した。

藤岡らは、大学院生だったデザキ監督のインタビューを受けた際は「学術研究及び卒業制作のため」と説明されていたのに「商業映画として一般公開した」として、著作権肖像権の侵害したと主張している。

しかし、テザキ監督は、最初から一般公開する可能性があったことをメールで伝えていたと証拠付きで述べている。https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_4752/

 
藤岡らは【「映画で『歴史修正主義者』『性差別主義者』などのレッテルを貼られ、名誉を毀損(きそん)された」】という主張もしているのだが、かなり噴飯ものである。そもそも歴史修正主義者』『性差別主義者』は評価に過ぎないし、彼らへの評価として適切である。参加者の一人は、「フェニミズムを始めたのはブサイクな人たちなんですよ。ようするに誰にも相手されないような女性。心も汚い、見た目も汚い。こういう人たちなんですよ」と暴言を吐いている。こうした暴言の主を「性差別主義者」と評価しない方がおかしいのではなかろうか。https://lite-ra.com/2019/04/post-4682.html


            2、藤岡信勝と右翼組織

 
さて当会では、ここで話題の藤岡信勝が中心となって造った<自由主義史観研究会>に右翼団体日青協日本青年協議会の機関誌の投稿者やその傘下団体<日本教育研究所>の一員が多く参加していたことを論証してきた。

日青協は、近年の日本会議研究の中で、日本会議の事務局組織としてスポットライトを浴びた右翼組織である。
「「大東亜戦争肯定史観」と「東京裁判史観」「コミンテルン史観」のいずれにも与しない立場」「偏らない」と述べていた<自由主義史観研究会>だったが、最初から右翼団体が深く関与した集団であった。
噂の真相1997年2月号によると、東大本郷キャンパスの近くにあった自由主義史観研究会の事務所は、上原卓や入川智紀が入り浸っていたという。
 
イメージ 1
                   (『噂の真相』1997年2月号)
 
藤岡は最初から右翼団体とずぶずぶの関係だったが、それを隠しながらファンの多い「司馬史観」を全面に押し出していたのである。


              3「善玉・悪玉史観」という言葉


イメージ 3
                                 
その藤岡には『「近現代史」の授業改革双書 近現代史教育の改革―善玉・悪玉史観を超えてー』藤岡信勝著/96年3月/明治図書)という著作があるのだが、この中の「善玉・悪玉史観」というフレーズは、かなり古い日青協の機関誌『祖国と青年』に書かれていたフレーズである。

昭和50年11月号の『祖国と青年』の中で、日教組を批判しながら土橋史郎はこう書いている。

イメージ 2


 
            昭和50年11月『祖国と青年』

すでに藤岡信勝らが使っていた「自虐史観」という言葉が、神社本庁の機関紙「神社新報」で宣伝されて来た言葉であることは論証したが、
藤岡の理屈の多くが右翼人士の使う理屈の焼き直しに過ぎなかったのである。