河野談話を守る会のブログ2

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「維新○○」という名前


過去国粋主義団体の中には「維新」の名を冠したものが多くある。国粋主義者は「維新」という名前が好きらしい。

列記しよう。


維新倶楽部 1935 大阪
35年4月10日大阪愛国者懇談会を開いたのが始まり
主要傘下は14社

純正維新共同青年隊 1936年 準備会 

維新公論社

維新寮 1936
寮誓
「1、吾等は皇道による皇国維新を期す
1、吾等は皇道による亜細亜維新を期す
1、吾等は皇道による世界維新を期す」

新青年同盟  大阪 1940 
  綱領
「1、無我殉国の大道に生くるを信条とす
 1、尊王絶対、天皇政治の再建をきす
 1、興亜の聖業に献身し世界維新の貫徹を期す」

維新同盟 1940 竹本信一
「1、吾等は我皇道国体の本義に立脚して堕落せる皇民精神の皇魂純化回生を期す
・・・・(以下略)」

維新行動隊 1960

昭和維新連盟 1961 傘下に維新塾、維新同志会など


そして「日本維新の会」となるわけだ。
こうしてみると「維新」という言葉は天皇親政または天皇元首制(国体)を目指す事らしい。

維新寮や維新青年同盟の「世界維新の貫徹」とは、人間宣言が述べた「世界支配の野望」を意味している。http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64266919.html

国会議員としてめぼしい業績は何も無いが右翼的なことを絶えず口にし、しかも口汚ない石原慎太郎代表なんてどの団体にいても違和感が無い。また支那」だの「三国人」だの戦前を思わせる言葉である。維新の会が2012年に「大日本帝国憲法復活請願」を東京都議会に出したのを見ても、ほとんど右翼団体である。


結局「維新」とは「復古」を指す言葉であると言える。
我々は「維新」というといいイメージを持っている。長く陰鬱な幕藩体制が終わったのは事実である。
しかしそのイメージは龍馬にイメージがあるからだ。「維新の奇跡」坂本龍馬は、その時代にありがちな殺人に手を染める事もなく、先駆者として「開国」「民主主義」を理想として生きた。そのさわやかなイメージがあるので我々は「維新」というといいイメージがあるのだろう。しかし長州藩が主導権を握ったその後の藩閥専制天皇絶対主義の流れを見ると、それはさわやかどころか不快ですらある。