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慰安婦パネル展のデタラメ度判定 その2

 
 
      「イザベラの朝鮮紀行の偏った引用」

パネルの文章 ↓

イザベラはその著作である『朝鮮紀行』で確かに、ゴミ溜めのようなソウルの汚さを伝えている

城内ソウルを描写するのは勘弁していただきたいところである。北京を見るまでわたしはソウルこそこの世でいちばん不潔な町だと思っていたし、紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世でいちばんひどいにおいだと考えていたのであるから!
 都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。
 礼節上二階建ての家は建てられず、したがって推定二五万人の住民はおもに迷路のような横町の「地べた」で暮らしている。
 路地の多くは荷物を積んだ牛どおしがすれちがえず、荷牛と人間ならかろうじてすれちがえる程度の幅しかなく、おまけにその幅は家々から出た固体および液体の汚物を受ける穴かみぞで狭められている。 」
イザベラ・バード 『朝鮮紀行――英国婦人の見た李朝末期』 時岡敬子訳、〈講談社学術文庫〉1998年(p58~p59)

しかし、高宗はその後、「光武改革」を行った。
この改革によって、ソウルの街は変貌した。イザベラはこう伝えている。


「ソウルの多くの区域がなかでも特に《南大門》と《西大門》の付近が文字どおり変貌していた。

両わきに石積みの深い運河があり石橋のかかった、狭いところで幅55フィートの大通りは、かつてコレラの温床となった不潔な路地のあったところである。

狭かった通路は広げられ、どろどろの汚水が流れていたみぞは舗装され、道路はもはやごみの「独壇場」でなく、自転車が広くてでこぼこのない通りを「すっ飛ばして」いく。

「急行馬車」があらわれるのも間近に思われ、立地条件のすばらしいところにフランス系のホテルを建てる構想もある。

正面にガラスをはめこんだ店舗は何軒も建っているし、通りにごみを捨てるのを禁止する規則も強化されている。

ごみや汚物は役所の雇った掃除夫が市内から除去し、不潔さでならぶもののなかったソウルは、いまや極東でいちばん清潔な都市に変わろうとしている!
(p543~p544)

ソウルは、いまや極東でいちばん清潔な都市に変わろうとしている」というのだ。


この部分をネトウヨたちが引用する事は無い。なぜならイザベラのこの記述は、ソウルが清潔になり、フランスのホテルが建てられる構想がすでにあったという事を伝えているからだ。つまり自力で近代化できた事を示しているのである。
「日本が併合したので、近代化したし、清潔になった」と信じたい彼らには都合が悪い文章なので無視するのである。

彼らのやる事は一事が万事この調子であり、まるで信用する事ができない。

 

朝鮮は日本による併合を前にしてすでに自力で近代化をしはじめていた。