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慰安婦パネル展のデタラメ度判定その3 志願兵制度の真実

 
 
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と、このパネルの作者は主張しています。

だからどうしたのでしょうか?
まさか、「自発的に」志願したとでも言いたいのでしょうか?

「志願兵制度」では「志願する」という建前の下で、強制がなされた事はよく知られています。例えば、軍の公式の記録である金原節三の陸軍省業務日誌摘録』には「 陸軍省局長会報での武藤章軍務局長と田中隆吉兵務局長の応答(1941、4月16日)」が記録されています。

 
 
軍務局長 「(略) 朝鮮の徴兵制度。及び台湾は志願兵制度をしく要望高し。これは政治上問題あるをもって検討いたし度。」
 
兵務局長 「朝鮮現在の志願兵制度はその実質を微するに必ずしも真実志願せるものは少なく、強圧により止むを得ず志願せりというもの多し。従って徴兵制の施行は多いに考慮を要す。」
 
陸軍省業務日誌摘録』 前篇 その3のイ)
 

 
 
よくウヨ達は、志願兵の徴集に募集の何倍もの人数が並んでいたと言うのですが、実態はこれです。
 
「必ずしも真実志願せるものは少なく、強圧により止むを得ず志願せりというもの多し。」・・・と陸軍省の幹部がその実態を述べています。



 
 
こうした実態を議員や政府は知っていたようです。
それから2年後の1943年2月26日、帝国議会貴族院委員会」で、次のような答弁がなされています。



(水野錬太郎)「・・・・それから民心を把握することが必要であると云ふことの御話がありましたが、それは其の通りでありますが、時に依ると総督府の上の方の人はさう云ふ考へを持って居るかも知れぬが、地方等へ行って下級の人等が、動もすれば朝鮮の人に圧迫を加へると云ふことがあることもなきにしも非ずであります、殊に一昨年でしたか、あの姓氏令、即ち名前を変へると云ふことがありましたが、何でも非常に成績が好い、殆ど八割迄日本人の名になったと云ふことがありましたが、それが果して彼等の衷心から出たのならば宜いのでありますが、時に依ると警察の圧迫に依って斯う云ふ風にしたのである、或は学校の生徒等が動もすれば父兄がさう云ふ圧迫を受けるからさう云ふ風になったのであると云うやうな不平も聞くのでありますが、此の頃はどうですか、さう云ふ方面は余り無理にやって居らないのありますか、何でも前総督の時には大分さう云ふ方面に力を入れたと云ふことでありますが、今日はもう自然に任して居られるのでありますか、それは如何でありますか、其のことを承りたいのであります・・・」
 
 
 
「水野錬太郎」元文部大臣が「創氏改名を強制してるんじゃないか?」という質疑し、それに対して政府委員が(聞かれてないのに)志願兵制度に強要の事実があることを渋々認めているのである。



(政府委員田中武雄)「・・・・それから次は創氏の問題、志願兵問題等に付きまして、官邊の強制と云ふやうなことに関してでございまするが、是は私共も仰せの如く同じやうなことを耳に致して居りましたので、諮らずも自分がさう云ったやうなことに対しまして責任の地位に立ちましたので、さう云ったことに対しまして間違って居ることがあるならば是正をして参りたいと考へまして、色々事実の真相を調べて見たのであります、必ずしも絶対にさう云ふことがなかったとは申し上げ兼ねまするのでありまして、一部遺憾な事例もあるやうであります、併し将来は左様なことのないやうに、適正に運営して参りたいと斯様に存じて居ります、特に志願兵制度等に付きましては、総督の言明でありまして、新聞に何十萬志願者があったと云ふやうなことを余りに書くことは、一面に於いて由なき宣伝のやうにも見えるし、又それが為に道の競争と云ふやうな心理を誘発する虞れもあるから、何倍にならうがそんなことは差し支えないから、一切新聞に書かすなと云ふことを厳命されまして、確か今年は何倍あったと云ふやうなことは新聞には一切書かさなかったと記憶を致して居ります。左様な状況でありまするので、将来とも一層留意を致したいと思ひます、次は一つ速記を止めて戴きたい」
 
(主査:男爵山川建)速記を止めて
【この間、速記中止】
(主査:男爵山川建)速記を始めて
(水野健太郎)大変胸襟を開いての御話を色々と伺って能く分かりました・・・・
 
 
 
つまりは、「創氏改名も志願兵制度も、強制があった。これから新聞に「何十万人志願者が集まった」なんて書かないようにします」・・・というのです。

これを裏付ける証言(当時の朝鮮半島の人々による)が、朝鮮社会を監視していた特高警察によって記録されています。



●志願兵制度反対言動  (文生書院 特高月報』 昭和162月分-171月分)
「我々は志願兵制度に応募する気持にはなれない。何となれば現在の各層を見るに悉く内鮮人間に差別待遇があり、甚しきは内地婦女子迄が鮮人を軽蔑して居る現状である。これではとても軍人となり国家の為に生命を賭すると云ふ気持には到底なり得ない。最近志願兵募集に当り各地共青年に対し半強制的に応募を從慂して居るが、之が皆逆効果を来たして居る様だ。
応募者の地方頒布状況を見ても都会地の青年よりも田舎の淳朴な青年が多く又中等学校卒業者が少ないのを見ても知識階級は之を喜ばない傾向にあることが窺はれる」 金融組合書記某


 


「私が帰鮮中、村でも三十人余りの志願兵応募者の割当を受けて居るが、それ丈の人数が如何にしても出来ないしそれでは村の名誉にも拘はるから、お前は三十五歳以上で不合格になることは判つて居るが名前だけ是非貸して呉れと頼まれたので貸したが其の後街頭へ出て見ると成程募集に苦心して居る様な宣伝ビラが沢山貼られて居るのを見受けた。斯様な事は独り私だけでなく他にも幾多あつた様に聞いて居る。未だ未だ半島人は心から応募しやうとするものは少ない様だ」 滋賀県 雇人 林秀雄

 
 
 

「朝鮮では男兄弟二、三人あれば必ず一人は兵隊を志願しなければ非国民のように云はれるので、止むなく三十歳前の人は志願せねばならないと云ふ事である。先日も父から手紙が来て『お前は帰国すると兵隊を志願しなければならないから帰つて来ないように』と云ふ意味の事を言つて来たので自分も暫く帰らない考へだ」 岩手県 古物商 李四用

また、当時の有力者の以下のような話が掲載されています。


五、朝鮮人の思想動向其他に対する特異言動 (文生書院 特高月報』 昭和152月分-161月分)
「時局下朝鮮人は内鮮一体の施政に順応し、その思想動向は著しく好転せりと認められつつあるのに対し、最近朝鮮より内地に帰省せる有力者某は朝鮮人の思想動向其他に関し左記の如き特異言動を為したり。
「朝鮮は表面非常に穏やかな様に見受けらるるが、裏面は革命の一歩手前の様な状況ではないかとさへ私には思われる。最近朝鮮民族は良くなった等と云はれておる居るが、夫れは官吏が自己の成績を挙げる為、部民の悪い事を隠蔽し、良い所のみを報告する結果に外ならず、志願兵制度にしても自発的志願者は少く、殆ど官吏が自己の成績を挙げる為、強制的に徴用するような状況で寒心に堪えない。」
 
 
 
 
これを読むと割当てが各村に来ているのであって、本当の志願者が少ないことがよく分かります。歴史学者近藤正巳は、「役場、学校の職員らが全員こぞって志願する運動が展開された」「・・・朝鮮人・台湾人に対する陸軍特別志願兵臨時採用が実施されたが、拒わると休学除籍処分だけでなく軍需工場などへの徴用的採用が待っていた」と書いています(『日本の植民地支配肯定賛美論を検証する』p48,p49「志願兵は自発的だったか」)。明らかな「強制」であって、これを「志願した」などと言える訳がありません。

日本には、「言霊」という「言い換え」文化が有ります。都合の悪い事実は体裁のいい別の言葉で言い換えてしまう。「敗北」を「玉砕」と言い換え、「敗戦」を「終戦」と言い換える文化のことです。文化といえば聞こえがいいのですが、要するに古代ギリシャソクラテスと問答したソフィストたちのような詭弁に他なりません。そしてここでは「強制動員」を「志願」という体裁のいい言葉で言い換えているだけの事でしょう。