河野談話を守る会のブログ2

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産経新聞は10歳の子供と変わらない!




産経新聞元朝日記者・植村隆氏にインタビューをして「テープ聞いたの一度だけで記事書いた」と非難口調で書いている。これがなかなか傑作なので掲載しておこう。


「事実は本人が女子挺身隊の名で連行されたのではないのに、『女子挺身隊』と『連行』という言葉の持つ一般的なイメージから、強制的に連行されたという印象を与える」「安易かつ不用意な記載であり、読者の誤解を招く」
 3年8月11日の植村氏の記事について、朝日の第三者委報告書はこう断じた。
 植村氏は記事で「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』」のうちの一人だと金氏を紹介した。

元朝日記者・植村隆氏にインタビュー 「テープ聞いたの一度だけで記事書http://www.sankei.com/politics/news/150803/plt1508030036-n4.html


三者委員会の指摘(慰安婦問題に長く関わって来た専門家が一人もいないこの指摘自体の問題だが)を借りての植村氏を攻撃しているわけだ。

三者委員会の検証もしなければならないが、それは【誰かの妄想】ブログのscopedog氏にお任せするとして
http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20141226/1419704222
http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20141011
http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20141223/1419312704
http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20141005/1412517226

このブログでは、こんな記事を書いている産経新聞の立脚点を見てみようと思っている。産経に何か言う資格があるのか・・・ということである。

植村氏は上記の第三者委員会の指摘に対してこう答えている。

植村氏は第三者委の指摘について「強制的に連行されたような印象を与えるということだが、印象ではなく『強制連行』(という表現)で伝えているメディアがあることにも触れてほしかった」と語った。

http://www.sankei.com/politics/news/150803/plt1508030036-n5.html


 ここで植村隆氏が述べている『強制連行』(という表現)で伝えているメディアの一つこそ、産経新聞なのである。


イメージ 1



産経新聞』1991年12月7日 赤線は当会による)


つまり産経新聞は、金学順さんを紹介する時に、「金さんは17歳のときに日本軍に強制的に連行され」・・・と言うのだ。

では比較のため、ここで、当時植村氏が書いた記事を見てみよう。


思い出すと今も涙
元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く
日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺(てい)身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(尹貞玉・共同代表、十六団体約三十万人)が聞き取り作業を始めた。同協議会は十日、女性の話を録音したテープを朝日新聞記者に公開した。テープの中で女性は「思い出すと今でも身の毛がよだつ」と語っている。体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近くたって、やっと開き始めた。
       韓国の団体聞き取り
尹代表らによると、この女性は六十八歳で、ソウル市内に一人で住んでいる。最近になって、知人から「体験を伝えるべきだ」と勧められ、「対策協議会」を訪れた。メンバーが聞き始めると、しばらく泣いた後で話し始めたという。
(中略)女性の話によると、中国東北部で生まれ、十七歳の時、だまされて慰安婦にされた。二、三百人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた。慰安所は民家を使っていた。五人の朝鮮人女性がおり、一人に一室が与えられた。女性は「春子」(仮名)と日本名を付けられた。一番年上の女性が日本語を話し、将校の相手をしていた。残りの四人が一般の兵士二、三百人を受け持ち、毎日三、四人の相手をさせられたという。「監禁されて、逃げ出したいという思いしかなかった。相手が来ないように思いつづけた」という。また週に一回は軍医の検診があった。数ヶ月働かされたが、逃げることができ、戦後になってソウルへ戻った。結婚したが夫や子供も亡くなり、現在は生活保護を受けながら、暮らしている
— 植村隆朝日新聞大阪版27面 1991年8月11日

「強制連行」とは書いておらず「騙されて慰安婦にされた」と書いている。

上記の産経記事とこの植村氏の記事を比較してみるとすぐに判るのは、植村氏は「強制的な連行」と書いておらず「騙された」と書いているのに、産経は「強制的な連行」と書いているという事実である。ところが、植村氏の記事に対しては「「強制的に連行されたような印象を与える」と当時の他の新聞の書いた内容をまるで知らないらしい第三者委員会が批判的に述べており、なぜかはっきりと「強制的な連行」と書いた産経がそれに乗っかって植村氏を批判しているのである。

この事実には驚愕してしまう。一体どんな頬っかぶりをすればこんなデタラメな事ができるのだろうか?

もちろん、慰安婦の強制連行はあったのが事実である。2007年の安倍政権による閣議決定の時に、どうにか否定したのは「狭義の強制連行」(定義もはっきりしない)であって(この「狭義の強制連行」さえ資料があったのだが)、「騙して連れて行く」などの「広義の強制連行」は否定されていない。
ゆえに「強制連行」と書いても、それを我々は攻撃はしないが、自分の会社の金学順さんについて伝える過去記事が「強制的な連行」と書いているのに、金学順さんを「騙されて」と書いた植村氏の過去記事を批判するとはどれほど自己中スタンダードなのだろうか?

2重規範(ダブルスタンダード)というのではない。明らかに自己中心スタンダード(無スタンダード)なのである。

結局、自社が書いたことはまったく批判も反省もしないが、ライバル社が書いた事は、それが間違いでなくとも批判するという浅ましい性根しか存在していない。まるで幼児である。客観的なものの見方が存在していない。自己中心新聞というしかないだろう。

マザーテレサは「日本人は10歳の幼児と変わらない」と辛らつに述べたというが、産経新聞こそその自己中さにおいて「10歳の幼児と変わらない」のではないだろうか?

   (つづく)