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「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」という表現について

    「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」という表現について

2014年8月5日の朝日新聞の訂正記事「元慰安婦 初の証言」 記事に事実のねじ曲げない』では、植村さんの記事について「捻じ曲げではない」としたが、「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、・・・」という表現については、「慰安婦と挺身隊との混同については、前項でも触れたように、韓国でも当時慰安婦と挺身隊の混同がみられ、植村氏も誤用した。」と述べて、この表現は誤用だとした。

しかしながら、『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」という表現は必ずしも誤用ではなく、当時の「挺身隊」という言葉の使い方を右派論壇が勘違いしたことから始まったことをこのブログでは論証して来た。

さて、この点における証言と史料を追加しておこうと思う。


まず最初は『等身大の予科練の中の角田和男氏による証言である。

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門田氏によると若丸という慰安婦の話で

「仲間の多くは初め女子勤労挺身隊として徴用され、横浜に着いた時、内地の軍需工場にするか、前線の慰安部隊か希望を聞かれ、お茶くみか食事・洗濯の手伝い程度と考えて前線を希望した。ラバウルに向かう船内ではじめて慰安婦の仕事の説明を聞きビックリした。しかしすでに遅かった。」










  婦人部隊の名目で募集された」と記録する米軍新聞1944年の記事
 


戦時中の米軍の新聞「ラウンドアップ」にも「婦人部隊の名目で募集された」ことが書かれている。

アジア戦域の米軍新聞「ラウンドアップ19441130日付記事「日本の慰安婦」(原文:"JAPCOMFORT GIRLS")である。
 
アジア女性基金ホームページに掲載された浅野豊美氏の論文雲南ビルマ最前線における慰安婦達-死者は語る』より抜粋http://www.awf.or.jp/pdf/0062_p061_088.pdf(63~)  
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 全文はリンクPDFからご覧ください
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雲南ビルマ最前線における慰安婦達-死者は語る』(p63~p65)

最初に紹介したいのは、ワシントンのナショナルアーカイブに保存されているラウンドアップというビルマにいた米軍兵士の間で読まれていた新聞である4)。「ラウンドアップ」の同年11月の記事によると、松山で捕虜となった慰安婦は、朝鮮人が4人日本人が一人とされており、写真に出てくる慰安婦4人と同じである。

・・・・(中略)・・・・

 「ラウンドアップ」のタイトルは、「日本の慰安婦」(原文“JAP COMFORT GIRLS”)で、ウォルター・ランドルという記者によって執筆された。ビルマ雲南の国境地帯を北から南に流れている怒江(別名:サルウィン河)前線から寄
せられたものと但し書きがついている。また、ラ
ンドル記者が慰安婦にインタビューをした際に通訳を務めたのは、「満州から脱出してきた日本語を話す中国人学生」で、恐らく写真の左端に笑顔で写っている青年がそれだと考えられる。

・・・・(中略)・・・・

(中略)
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 インタビューをもとにまとめられたこの記事によると、慰安婦達の年齢は、24歳から27歳で、捕虜となるまでの経緯は以下のようであった。
 1942年の4月初め、日本の官憲が朝鮮の平壌近くの村に来た。彼らは、ポスターを貼ったり大会を開くなどして、シンガポールの後方基地勤務で基地内の世話をしたり病院の手伝いをする挺身隊(原文では、"WAC"organizations の募集を始めた。4人はどうしてもお金が必要だったのでそれに応じたという。ある女の子は、父親が農民で、ひざを怪我してしまったので、応募の際に貰った1,500円(米ドルで12ドル:原文)で、治療代を工面したという。そのような形で集められた18人の女の子の集団は、同年6月にいよいよ朝鮮から南へと出港することとなった。道すがら彼女たちは、日本の大勝利と南方で新しく生まれようとしている共栄圏についての話をたくさん聞かされた。しかし、船が約束のシンガポールに立ち寄っただけで、そのまま通過してしまってからは心配な気持ちが広がり始めた。ビルマのラングーンから北へと向かう列車に積み込まれたときには、もはや逃れられないと運命を悟ったという。


(以下の部分は、 ekesete1のブログhttp://blog.livedoor.jp/ekesete1/archives/41398242.html から引用させてもらっている)


They said that early in the spring of 1942Japanese political officers arrived in their home village, Pingyang,Korea. With propaganda posters and speeches the Japs began a recruitmentcampaign for "WAC" organizations which they said were to be sentto Singapore to do noncombatant work in rear areas - running rest camps forJapanese troops, entertaining and helping in hospitals.

 
浅野氏はWAC"organizationsを「挺身隊」と訳している。
WACとはWomen'sArmy Corps(陸軍婦人部隊)の略称であろう。
 
 

少なくとも「WAC"organizations」と記録されるような名目で徴集された慰安婦がいたのである。


以上の資料は

「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」という表現は嘘だという右派論壇の主張や

「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」という表現は誤用だとした朝日新聞の訂正記事がどちらも間違いであったことを示している。



ところで上記の2例は、どちらも「就業詐欺」の事例であり、刑法第33章の『略取及び誘拐の罪』に違反している。このような犯罪がたえず引き起こされながら、まったく刑罰を受けなかったのが、日本軍慰安婦制度の特徴であったと言えるだろう。