余舜珠「日帝末期の朝鮮人女子勤労挺身隊に関する実態研究」2頁の翻訳
以前紹介した尹明淑氏の著作『日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍慰安婦』(明石書店、2003年)にこんな記述があった。http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64372378.html
さて、その脚注部分がこれである。
*37 宮田節子『朝鮮民衆と「皇民化」政策』p11~p49 *38 1943年9月、女子勤労挺身隊の結成が次官会議で決定され、その内容が次のように報じられている。「女子勤労挺身隊を結成させ、供出させる」。「女子挺身隊をつくってそれぞれ緊急なところへ供出します」(強調は引用者、原著では著者による傍点)(『毎日新報』1943年11月26日、27日) |
*39 新村出編『広辞苑 第四版』(岩波書店、1995年)の定義による。 *40 余舜珠「日帝末期の朝鮮人女子勤労挺身隊に関する実態研究」2頁 *41『毎日新報』1941年3月4日、9月18日、1942年3月19日、1944年1月26日。 *42 「韓国挺身隊問題協議会」(1990年11月16日発足)の名称からうかがえるように、1990年代初頭まで、韓国で挺身隊は軍隊慰安婦の同義語として認識されていた。韓国の全国紙の記事にも軍隊慰安婦のことは挺身隊という用語をもって報道された。このような認識は、日韓両国において軍隊慰安婦問題が本格的に社会問題として浮上する以前の、1980年代の韓国の歴史研究書でも同様であった。軍隊慰安婦問題は、「女子挺身隊(または女子勤労挺身隊)」の項目で記述されていたり、「女子挺身隊(または女子勤労挺身隊)」として動員された女性は、軍需工場に送られる場合と慰安婦として連行される場合があると説明されていた。あるいは、ルポや証言集などに「女子挺身隊」は「従軍慰安婦」を意味する言葉として使用されていた。このような認識から、「女子挺身勤労令」の資料が一般にも広く知られるようになった90年代初頭には、同法令が軍隊慰安婦の徴用のための法令として認識されることさえあった。(1)姜萬吉「日本軍『慰安婦』の概念と呼称問題」13頁(韓国挺身隊問題対策協議会真相調査研究委員会編『日本軍「慰安婦」の真相』歴史批評社、1997年)、(2)余舜珠「日帝末期の朝鮮人女子勤労挺身隊に関する実態研究」2頁、(3)韓百興『実録女子挺身隊、その真相』(芸術文化社、1982年)、(4)韓国史辞典編纂委員会編『韓国近現代史辞典』(カラム企画、1990年)、(5)李炫煕「今年度の韓国近現代史の争点・1992年4月~9月」199~204頁(韓国近現代史研究所『争点韓国近現代史』第1号、1992年、(6)伊藤孝司編著『証言従軍慰安婦・女子勤労挺身隊』10~72頁(風媒社、1992年) 「挺身隊」という用語は、男女の区別なく用いられ、特定団体を示す語ではなかった。「挺身隊」という用語が使用され始めたのは、1940年11月13日付け『毎日新報』に「農村挺身隊」の結成が報じられた記事のようである」
随分昔から気になっていたのだが、今回この論文を見つけることができた。
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慰安婦と「女子勤労挺身隊」が異なるものである事を言及すると同時に「女子勤労挺身隊」に類似した「農村挺身隊」や「国語普及挺身隊」、「報道挺身隊」、「仁術挺身隊」「内鮮一体挺身隊」などの存在について考察した最初期の論文である。ただしまだ、「挺身隊」と「女子勤労挺身隊」の言葉の意味の違いについては考察されていない。
有益な知識がいくつか見られるので、必要な部分を抜き出してみよう。
(なお翻訳をしてくださったのはY.C.さんである.。こころから感謝申し上げる)
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