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ウソばっかりの〔thefacts.〕 事実2の検証

事実2
さらに、これらの指令が忠実に実行されたことを明示する新聞記事が多くある。
1939年8月31日、東亜日報(韓国で発行)において、女性を強制的に慰安婦にした仲介業者が、当時日本の管轄下にあった現地警察に処罰された、という記事が掲載された。
このことは日本政府が女性に対する非人道的な犯罪にたいして厳正な対応をとった証拠を示す。

1939年8月31日 東亜日報
悪徳紹介業者が跋扈
農村の婦女子を誘拐
被害女性が百名を超える
釜山刑事、奉天に急行

【釜山】満州では売春宿が多くの日本兵で賑わっており、その景気が非常に良くなっていると宣伝し、朝鮮の農村で生活に困っている婦女子を相手に都会の紹介業者が跋扈している、最近、釜山府内でも悪徳紹介業者45名が結託し、純真な婦女子らを言葉巧みに誘惑し満州方面に売り飛ばした人数が百名を超えたとされる。釜山署司法係が厳重な取り調べをする中で、同事件の関係者として浮かび上がった奉天の某紹介業者を逮捕するため、8月20日夜、ユ警部補以下刑事6名が奉天に急行した。同犯人を逮捕すれば悪魔のような彼らの活動経緯をすべて暴露されると見られている。
 
 

ここまで
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これは、総督府警察が、悪逆な女衒を逮捕した例だが、
日本の警察はそれなりに優秀だった。
ただし、日本国内でもこの時代には自由主義者まで弾圧を加えていた。
また朝鮮半島では警察国家の色合いが濃く、天道教徒やキリスト教徒への弾圧もなされた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
まず、吉見教授の指摘だが、「娘子軍」というのは、必ずしも「軍慰安婦」のことを指すとは限らず、一般の売春宿の場合も「娘子軍」と呼んでおり、この記事から分かるのは、「刑法の国外移送目的誘拐罪に当たる犯罪を警察が取り締まっていた」と言う事だけ・・・・・・だという。(『日本軍慰安婦制度とは何か』)
 
これは警察の責務なので、取り締まるのが当たり前だが、しかし、にもかかわらず略奪や誘拐、人身売買によって慰安婦が徴集されたのは、軍や警察が選定した業者が集めた場合は黙認し、 (許可書を持っていた) それ以外の業者が集めた場合は摘発したのである。
ゆえに軍に許可書を与えられた業者朝鮮半島に暗躍し始めた1938年ころから、逮捕記事は減り始め、総動員体制下の40年代になると逮捕される女衒はほとんどいなくなったのである。
つまり、軍部による日本支配が完成すると同時に朝鮮半島においても軍の支配力が増加し、慰安婦を集める女衒の逮捕はなされなくなり、それどころか警察は軍の下請けのようになってしまい警察自体が慰安婦の徴集に関わるようになったのであった。
 
総督府警察はそれなりに有能ではあった。
ただし、極めて差別的な法律が多くあり、例えば渡航に関しても、日本人(内地人と呼んだ)は、簡単に朝鮮半島に行けたが、韓国人が内地に渡るには警察の許可が必要で波止場では特高が眼を光らせていた。特高が特に監視したのは、共産主義者キリスト教徒、天道教徒、自由主義者・・・などであった。軍は当時の日本の支配者であった。ゆえに軍の発行した許可証があれば、警察は文句は言えなかったのである。
 
 
ここで重要なポイントは、警察が取り締まったにも関わらず、朝鮮から国外に移送される「慰安婦」が数多く生まれたという事である。