河野談話を守る会のブログ2

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吉見VS秦 対局(8)

荻上      強制連行や河野談話の評価についての話をしようと思って        いるんですが、秦さんから先ほどの議論の補足があるということで、いかがでしょうか。
                           
            最近あの、吉見さんがですね、しばしば繰り返して仰って 40:05             ることなんですけれども、強制連行があったかどうかっていうのは、大した話じゃないと、今はね。現在は4つの自由がなかった、慰安所における性奴隷というね、こちらの方がずっと重要なんだと、いうことを何度も言っておられるんで。 で、私は強制連行はなかったと思いますけれども、また議論するとね、橋下さんのような議論になっちゃいますんでね。 今の慰安所の状況がそんなに酷いものであったのかどうかと、いうことをちょっと申し上げたいと思うんですけれども、
                           
荻上                     劣悪な環境で働かされた、だから性奴隷だっていうけれど、 そもそも劣悪だったのか疑問があると。
                           
                         そういうことです。4つの自由というのはね、これは吉見さんが居住の自由、外出の自由、廃業の自由、接客拒否の自由、がないというね、それをない。それは慰安所の女性が文字通りの性奴隷だという風に述べておられるわけですよ。それがところが、吉見さんが編纂された従軍慰安婦資料集というのがあるんですね。これにですね、1944年、北ビルマに捕えられた韓国人の慰安婦20人に対する米軍の尋問書  というのがね、入ってるわけですよ、訳されたものがね。で、その中 でどういう生活だったんだということを聞かれてですね、こういうくだりがあるんです。兵隊さんと一緒に、運動会、ピクニック、演芸会、夕食会などに出席して楽しく過ごした。 それから次にですね、お金はたっぷり貰っていたので、暮らし向きは良かった。
                           
荻上                     それは慰安婦当事者の発言ですか?
                           
                そうですね、20人の証言です。それから蓄音機も持ち、都会では買い物に出かけることが許されたと、接客を断る権利も認められたと、それから一部の慰安婦は、朝鮮に帰ることを許されたと。兵隊さんから結婚申し込みの例はたくさんありましたと、いうのがありましてね、何よりも月の収入がですね、750円、彼女たちのね、その頃日本の兵隊さんはね、命を的に戦ってるんですけれど、月給は10円ぐらいなんですよ。つまり、75倍という高収入を得ていたわけですね。
                           
荻上                     高収入でなおかつ楽しかったという発言があると。
                           
                         それもありますね、それから日赤の看護婦さんの10倍です、この金額は。 さらにですね、軍司令官や総理大臣より高いんです。この通りなら。まぁ大体似たり寄ったりだったと思うんで。で、私はこういう状況下にある女性たちがね、性奴隷であったと思えませんね。雇い主よりも遥かに高い収入を得ている奴隷なんてこの世の中にいます?
                           
荻上             ていうのは今の吉見さんへの質問ということですね。いかがでしょう。
                           
吉見                     ええとですね、まずこれは女性たちがこういう風に言ったと 仰いましたけれども、この尋問調書はですね、2名の業者と、それから20人の朝鮮人女性のヒアリングを、アレックス・ヨリチという人が聞いて、まとめてるわけ、どの部分が、被害者の女性の証言であり、どの部分が加害者側の証言かよくわからないという点があります。
 それからもう一つはですね、将兵と一緒にスポーツ行事に参加したという風なことがありますが、これは多分ですね、戦地で女性がいないので、慰安婦をそういうところに連れ出すとか、宴会に連れ出すと、いうようなことであったと思います。夕食会に出席したということも、あると思うんですね。
   もう一つは高収入だということですけれども、当時のですね、ビルマものすごいインフレということをですね、考慮に入れておられないというのは非常におかしなことだと思いますね。ビルマはですね、軍票を大量に増発して、1943年ごろからものすごいインフレになるわけですね、
                           
荻上                     インフレというのはお金の価値が下がるということですよ        ね。
                           
吉見                     そうです、1945年になるともう軍票はもうほとんど無価値。       それで女性たちがなぜそれだけのお金を持っているかというと、慰安所に通う軍人がですね、持ってても何も買えないので、チップとして女性たちに渡すわけですよね。
                           
南部                     すいません、軍票ってなんでしょう?
                           
吉見                     軍隊が占領地で発行する、軍用手票っていう紙幣に代わるものですね。でこの時期は南洋開発銀行というのがそういうものを出してたわけですよね。
                           
荻上                     後ほどお金に引き換えるっていう。
45:00                 
吉見               そうですね、まあ一応。現地のまあ例えば1ルピーは日本円で1円ということになっていたんですけれども。あの内地と比べてですね、ものすごいインフレになるので、外資金庫というのを作って、そのインフレが内地に及ばないようにしていた訳ですね。で、現地ではその軍票を持っていても、ほとんど何も買えないので。
                           
荻上                     名目上の金額だけだったと。
                           
吉見                     ええ、ほとんどそういう状態になってるわけ。 それからもうひとつはですね、秦さんが引用されなかったところがあるんですけれでも、えーと、女性達はですね、それだけのお金を持っているけれども、すぐに生活困難に陥ったと、いう風なことが書いてあるんですね。
                           
荻上                     同じ証言ですか?
                           
吉見                     ええ、同じ証言です。
                            もしそれが高額であればですね、どうして生活困難に陥ることが起こるんでしょうかね?これはインフレということを考えないとわからないんではないかと思います。それからもう一つは、同じ引用されたこの「捕虜尋問報告」の一番初めでですね、女性達はどういう形でビルマに連れて来られたのかということを書いてる部分があるんですけれども、その部分を見ますとですね。こういう風に言っています。19425月に日本の周旋業者達が朝鮮にやってきて、女性達を集めた訳ですけれども、その役務の、まあ仕事の性格は明示されなかったけれども、それは病院にいる負傷兵を見舞い、包帯を巻いてやり、そして一般的に言えば、将兵を喜ばせる事に関わる仕事であると考えられていた。これはまあ誘拐ですよね、騙して連れてくるわけですから。
                           
荻上                     う~ん。