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桜井よしこ その架空対談の捏造の構造




昔、桜井よしこには、福島瑞穂との架空対談捏造事件」があった。

慰安婦」の存在を再び闇に葬るのか」(『創』(1997、4月号)に福島はこう書いている。

1996年12月の上旬ころ、桜井さんから電話がかかってきた。「福島さんに対して実に申し訳ない事をしました。講演したときに、うっかり口が滑って「従軍慰安婦問題について福島さんももう少し勉強してはどうですか」と言ってしまったんです。本当に申し訳ありませんでした」といった内容の謝罪の電話であった。12月29日頃、講演録の冊子をみて心底驚いた。


そこで桜井が捏造した対談とはどんなものだったかと言うと

「私は福島さんを多少知っているものですから、あなたすごく無責任なことをしているんではないですか、というふうに言いました。せめてこの本を読み、済州新聞を読み、そして秦郁彦さんなどの歴史研究家の従軍慰安婦の資料を読んでからお決めになったらどうだろう、吉田清治さんの本を証拠として使うこと自体がおかしいのではないかと言ったら、ウウンまあ、ちょっといろいろ勉強してみるけどーーという風におっしゃってましたけれど・・・・」となっているのである。

というのである。
これはさすがに驚いてしまう。
「つい口が滑った」とかいうレベルではなく、ストーリーが創作されており、嘘のレベルが高すぎる。
このストーリーの中では、福島はそれまで自分がやってきた慰安婦訴訟や発言に迷い、一方で桜井の方は、それに手を差し伸べている”善意の人”になっている。これが桜井よしこの内宇宙なのだろうか?
「あなたすごく無責任なことをしているんではないですか」と言われるべきなのは明らかにかかる捏造をしている自分自身なのに・・・である。


そこで福島瑞穂もこう書いている。
講演や話言葉の中で、うっかり口が滑ったり、不確かなことをしゃべってしまうことはもちろんある。しかし、この講演で話されている私との会話は、まったく存在しない架空の虚偽のものである。だからこそ桜井さんは百パーセントその事実を認め、謝罪したのである。


対談はあったのだが、こんな話じゃなかったというのならまだ分かる。しかし対談自体が架空だというのだから、まるで小説の中にお話である。こういう話をとっさに創作できるとしたら、かなり嘘の達人ではないだろうか?
まさに、息を吐くように嘘を言うとはこの事なのだろう。


福島は

まったく存在しない対談をあるものとして語ることと、存在している歴史的事実をないものとして語ることは、コインの表と裏ではないだろうか。


と結んでいる。
もう少し攻撃的でもいいと思うのだが、やめておいたという感じである。もう一突っ込みが欲しいところだが・・・・。


それで最近になって 山崎行太郎がこれに「突っ込」んでいる。
山崎行太郎保守論壇亡国論』の中で、この架空対談の捏造を「唖然とする話である」「言論人にあるまじき、恥ずべき事件である。」と厳しく批判している。山崎によると「桜井は保守論壇のマドンナとして持て囃されているが、これは保守の退廃である」というのだ。

そしてこう書く。
桜井の言動は、「保守や保守思想を小道具にして時代の流行に迎合しているだけと疑う」(P40)ようなものであり、「桜井はいかにもオリジナルな保守論客然として振舞っているが、そう振舞っているだけであり、その中身はほとんど先人達が述べたものを記憶し反復しているだけである。」「桜井は尖閣諸島北方領土などの領土問題が話題になると、すぐに飛びついて過激な議論を繰り返すが、そこにオリジナルな議論や主張などは見られない。その発言は過激さだけが取り柄で、傾聴すべきものはほとんどない。」(P40,41)

ほとんど正論である、と言える。さらに

「桜井の中国や韓国に対する発言の過激さは、最近話題になっている「在日特権を許さない市民の会」による「ヘイトスピーチ」や「民族差別発言」などとほとんど変わらないように見える」(P41)と書いている。


さて山崎行太郎は、この批判的な文章に対して、「誰の反論でも受ける」と豪語している。よっぽど自信があるのだろう。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/
今や政府の中枢と深く関わっている桜井よしこがどう反応するか?見どころである。

この著作は一読に値する著作であった。

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