「こじつけた」「トリック」と書いた秦郁彦『慰安婦と戦争の性』のデタラメな神話形成
これについて秦郁彦は、その著作『慰安婦と戦場の性』p12で、「・・・やや舌足らずの国会答弁に結びつけて「国としての関与を認めてこなかった」とこじつけたのはトリックとしか言いようがない。」と批判している。
しかし、今回当時の新聞の論調を調査したところ、以下のような事実が浮かびあがった。
①秦のいう国会答弁とは、<平成02年06月06日予算委員会> の本岡質疑であるが、ここで 清水傳雄氏が「民間の業者が連れて歩いている」と関与を否定した以外にも、加藤官房長官が日本政府の見解として「日本政府が関与したとの資料は見つからなかった。政府として対処するのは困難」と述べていた。(下記;12月11日付「毎日新聞」)
つまりこれは「(説明が)舌足らず」でも何でもなく、日本政府としての見解として「関与していない」とみなしていたのである。
③また、韓国でも「不関与」発言を糾弾するデモが行われていた。(下記;12月12日付「統一日報」)
こうした状況で、朝日新聞に吉見義明教授が発見した5点の資料が掲載され、「軍の関与」が明確になった。
つまり
国会答弁における不関与発言⇒加藤官房長官が政府を代表して「不関与発言」⇒
日本国内および韓国でこの見解への反発⇒朝日新聞による1992年1月11日の記
事で逃れられない関与が明白に
という流れがあったのである。
どこにも「舌足らず」や「「国としての関与を認めてこなかった」とこじつけ」らしきものが見当たらないし、また「トリック」も存在していない。
http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64668782.htmlで述べたように秦のこうした慰安婦神話は右派論壇とネトウヨに蔓延してしまっている。そして彼らの朝日パッションに一役買っているのである。
1991年の終わりころには、「慰安婦に軍が関与したか?」が主要な論点となっていたことを示す記事 ↓
12月12日付「統一日報」
朝日新聞 1992.01.11 東京朝刊 写図有
慰安所 軍関与示す資料防衛図書館に旧日本軍の通達・日誌部隊に設置指示募集含め統制管理「民間任せ」政府見解揺らぐ日中戦争や太平洋戦争中、日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していたことを示す通達類や陣中日誌が、防衛庁の防衛研究所図書館に所蔵されていることが10日、明らかになった。朝鮮人慰安婦について、日本政府はこれまで国会答弁の中で「民間業者が連れて歩いていた」として、国としての関与を認めてこなかった。昨年12月には、朝鮮人元慰安婦らが日本政府に補償を求める訴訟を起こし、韓国政府も真相究明を要求している。国の関与を示す資料が防衛庁にあったことで、これまでの日本政府の見解は大きく揺らぐことになる。政府として新たな対応を迫られるとともに、宮沢首相の16日からの訪韓でも深刻な課題を背負わされたことになる。中国大陸に慰安所が設けられたのは1938年(昭和13年)とされるが、今回見つかった資料のうち一番古い資料は同年3月4日に作成され、陸支密大日記にとじ込まれていた「軍慰安所従業婦等募集に関する件」と題する「副官より北支方面軍および中支派遣軍参謀長あて通牒(つうちょう=現在の通達)案」。日本国内で慰安婦を募集する際、業者などがトラブルを起こして警察ざたになるなどしたため、陸軍省兵務課が作成、派遣軍などに通達された。「募集などに当たっては、派遣軍が統制し、これに任ずる人物の選定を周到適切にし、実施に当たっては関係地方の憲兵および警察当局との連携を密にして軍の威信保持上ならびに社会問題上遺漏なきよう配慮」(カタカナ書きの原文を平がなにするなど現代文に直した)するよう指示、後に参謀総長になった梅津美治郎陸軍次官や高級副官ら担当者が承認の印を押している。さらに、同年7月に作成された歩兵第41連隊の陣中日誌には、B4判の用紙3枚に、各部隊に慰安所設置を求める北支那方面軍参謀長名の通牒の写しがつづられている。占領地域内で、交通網の破壊など治安回復が進まないのは、住民に対する強姦(ごうかん)事件などの不法行為が反日感情を高め、軍の作戦を阻害しているため、とし、「すみやかに性的慰安の設備を整え……」と慰安所の設置を指示している。また、39年の陸支密大日記の「戦時旬報(後方関係)」の中に、波集団(広東を中心とした第21軍)司令部が「慰安所の状況」を報告した資料がある。「慰安所は所管警備隊長および憲兵隊長監督のもとに警備地区内将校以下のために開業」したとし、「近来各種慰安設備の増加とともに軍慰安所は逐次衰微の徴あり」と、少なくなったとはいえ軍の慰安所があったことを認めている。これらの資料のほとんどは、戦後、連合軍に押収され、米国のワシントンで保管されていたが、58年に日本に返還され、防衛庁の戦史資料室に引き渡された。●軍関与は明白 謝罪と補償を吉見義明・中央大教授の話 軍の慰安所が設けられたのは、上海戦から南京戦にかけて強姦事件が相次いだためといわれ、38年の通牒類は、これと時期的に符合する。当時、軍の部隊や支隊単位で慰安婦がどれだけいたかもわかる資料で、軍が関与していたことは明々白々。元慰安婦が証言をしている現段階で「関与」を否定するのは、恥ずべきだろう。日韓協定で、補償の請求権はなくなったというが、国家対国家の補償と個人対国家の補償は違う。慰安婦に対しては、謝罪はもとより補償をすべきだと思う。●朝鮮人限定の指示で未報告防衛庁防衛研究所図書館の永江太郎資料専門官の話 こういうたぐいの資料があるという認識はあった。しかし、昨年暮れに政府から調査するよう指示があったが、「朝鮮人の慰安婦関係の資料」と限定されていたため、報告はしていない。軍がこれらの慰安所を統制していたと解釈してよいが、「軍が関与した」と解釈するかどうかはコメントできない。●多くは朝鮮人女性