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秦郁彦論説の嘘・デタラメ・捏造・歪曲・誤解 3、「金学順さんの証言(その2)金さんは中共軍の密偵もやったか?」




秦郁彦が様々な論稿を書くにあたって、自分が出典に挙げている資料をさえ、ろくに読んでいない事をすでに指摘している。http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/65489999.html

ろくに読まないで論説を書けばどういう事が起こるだろうか?

それは誤読である。

歴史修正主義者には、誤読がやたらと多い。
自分の色メガネ(先入観)を通して物事を観ているからだ。だから、走り読みしながら、その色メガネ(先入観)に合致した内容を(書かれていなくても)読みとってしまう。

こうして誤読をしたあげく、その自分の誤読に、いつまでも気付かないのである。
批判者の声に耳を傾けないという面もあるだろう。
自分の言ったことや書いたことを無条件で称賛するような人達の声しか聞こうとしないので、自分の間違いになかなか気付かない。「裸の王様」の教訓を知らない人達はたくさんいる。

例えば
【「8歳の少女は夏さんではない」という「南京事件論争」における東中野修道誤訳

そして、【「罪の巨塊」を「罪の巨魁」と誤読した曽野綾子とその結果の「沖縄戦集団自決裁判」】

いづれにしろ、文章をちゃんと読まない人々が、誤読した上に妄想的な意見をつけ加えていく。その誤読と妄想を共有する人達が、何やらわけの分からない邪な運動を始める。すると大きな問題に発展してしまう。

秦郁彦誤読には一体、資料をどう読めば、こうなってしまうのか、見当もつかないものさえある。
その結果として、慰安婦問題における歴史修正主義論説が展開する事になる。


            金さんは「中共軍の密偵」もやったか?

(画像をクリックすると拡大します)

慰安婦と戦場の性』p181

Aは『強制連行された朝鮮人慰安婦たち』
Bは『金学順さんの証言』
Cは『証言従軍慰安婦女子勤労挺身隊』
であり、秦は「こんなに証言が違うんだ」という指摘のために、この表を造ったのである。


さて、この表だ。前回もこの表を提示したが、赤線で囲っている部分を使わなかった。

「Aに同じ(中国語ができたので中共軍の密偵もやった)」と書いている。

これが、また酷いデタラメである。(やれやれ)
今回はこれについての話である。



             
       金学順さんは「中共軍の密偵もやった」と一言も述べていないのに
       「中共軍の密偵もやった」事にしてしまった秦郁彦



まず、『金学順さんの証言』の中に金さんが「(私は)中国語ができたので中共軍の密偵もやった」と述べている文章は存在しないことを明らかにしておきたい。






1993年2月に出版されたこの本は当時の状況をよく伝えてくれている。

『金学順さんの証言』
1992年5月来日された金さんのインタビューや証言をまとめたのがこの本である









かろうじて、それに近いことが書かれているのが、下の部分である。あくまで”かろうじて”・・・である。





(クリックすると拡大するよ) ↓


(『金学順さんの証言』p24)


抜きだしておこう。

 当時の状況を知らない人には分からないでしょうが、中国人、韓国人、日本人が入り乱れて戦った次期であり、中国の八路軍と戦闘していました。そのときには日本軍のいろんな秘密を八路軍に伝えたり、最後には中国軍の中に入って一緒に戦った。そういう状況でした。

これは、金学順さんが自分がやった事として、「・・・秘密を八路軍に伝えたり、最後には中国軍の中に入って一緒にたたかった。」と言っているのではない。前の文にある中国人、韓国人、日本人入り乱れて戦った次期」を説明して、「秘密を伝えたり、中国軍と一緒にたたかった」と説明を加えているのである。

ところが、秦郁彦はこれを、金学順さんが自分の行為として、「秘密を伝えた」と解釈したのだろう。

そこで「Aに同じ(中国語ができたので中共軍の密偵もやった)」と書いているのだが、ここで問題の一つは、「秘密を伝えたり、中国軍と一緒にたたかった」の中の「中国軍と一緒にたたかった」を省いていることである。

察するに、さすがに(金さんが)中国軍と一緒にたたかった」はいくら何でも有り得ないので、「秘密を伝えた」のみをトリミングしたという事ではないか。しかし、この部分を金さんの行動として使うなら、「秘密を伝えたり、中国軍と一緒にたたかった」をちゃんと要約して「密偵もやったし、兵士にもなった」としなければならない。もちろん、金さんが密偵や兵士にもなることなど最初から有り得ないわけだが。

いずれにせよ、金さんが、「密偵もやった」という根拠はこの著作『金学順さんの証言』の中には存在していない。そのままの証言が無いばかりではなく、もし「秘密を伝えた」を根拠とするなら、それはただの誤読であるというしかない。


          周りの文章


だいたい、この周りの文章で、金さんは、「自分のいる場所も分からなかった」ことや「悔しくて抵抗したり、命令を聞かずに殴られた」こと。逃げることもできず、「酷使された」ため終わり頃には「病に伏せった」ことを述べている。こんな状況の人が、「密偵」なんてやれるわけがない。


下の赤の囲の中を読んでほしい。

(クリックすると拡大) ↓
 
さらに金さんは、3か月~4か月程度しか、慰安婦生活をしなかった。密偵をやった」としたら、一体いつ、どんなルートで情報を流したのだろうか?自分がどこにいるかさえ分からない人にそんなことができるわけがないとは考えなかったのだろうか?

まったく有り得ないような話である。

ではなぜ、この発言があったのか?

この「中国人、韓国人、日本人が入り乱れて戦った次期」の説明は、将来の夫となる男性がなぜ忍び込んで来たかという説明につながるのである。
金さんの夫となった男性は、金さんのいる慰安所に忍び込んで来たからだ。


夫に関しては、次のページでこう語られている。






(『金学順さんの証言』p26)

 「中国人、韓国人、日本人が入り乱れてたたかっていたのですから、韓国人男性が前線に忍び込んでくることはそう不思議ではありませんでした。彼は「商売している」と言っていましたが、何かを調べているような人でした。」
明らかに夫が慰安所に忍び込んで来た事につなげるために、中国人、韓国人、日本人が入り乱れて戦った時期」という説明をしたのである。

これを秦は意図的か?あるいは単なる勘違いかは知らないが、金さん自身が「密偵をした」ことにしてしまい、この誤読に基づいて、証言はこんなに違うんだ、と言う根拠の一つにしてしまったのだ。そりゃあ、そんな読み方をしてしまえば、(差異なんかほとんど無くても)「重要なポイントでいくつかの差異が見られる」慰安婦と戦場の性』p180)ことになってしまうだろう。


これはもうギャグとして笑うしかないのかも知れない。


そして、これを読んだ人たちは多分、”慰安婦はコロコロと証言を変えてしまうし、なんて嘘つきなんだろう”と思うのだろう。

しかし、デタラメなのは秦の方である。

秦さんにつくづく呆れてしまう。

日本国のために弁明する前に日本語をちゃんと勉強していただきたいものだ。