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秦氏の慰安婦の数の計算間違い

      統計的には無意味な数値、「実人数」と「延人数」を混同


慰安婦の人数」についての秦論説に対する永井和氏の批判を私なりに解説してみよう。

京都大学教授の永井和氏は統計的には無意味な数値を使ったものであるうえ、「実人数」と「延人数」を混同する誤りをおかしており、まったく用をなさない」とその間違いを厳しく指摘している。

まず、秦郁彦氏の99年慰安婦と戦場の性』の記述を再度確認してみよう。
「平時の公娼統計(3000万の遊客に三業の婦女約20万で150人対1)を参考にしつつ計算すると、250万人÷150人=1・6万人となる。BCDEの係数も似たりよったりなので、慰安婦の交代(満州中国では1・5交代、南方は交代なしと想定)を考慮に入れても、狭義の慰安婦は多めに見ても2万人前後であろう。広義をとっても2万数千人というところか。
(1999年6月30日「慰安婦と戦場の性」p.406)
*三業とは「娼妓」「芸妓」「酌婦」とのこと。



この秦氏の計算の問題点は以下のようなものだ。

統計的には無意味な数値を使っている」

秦氏は、昭和国勢総覧』第3巻の388、389頁にある二つの表警察締営業の状況(2)」大正13年~昭和16年)と「興業と遊郭(2大正15年~昭和16年)を使って慰安婦と戦場の性』のP30に掲載されている表戦前期の内地公娼関係統計を造っている。
しかし、「興業と遊郭(2)」には「娼妓」と「遊客」の人数が記載されているが、警察締営業の状況(2)」の中には、芸妓」「酌婦」「女給」の人数の記載はあっても「遊客」の数が記載されていない。そのため、この2つを一つにしている秦氏の表は芸妓酌婦、女給」遊客の数」がスッポリ抜け落ちてしまっている。
従って、秦氏の計算の源となる数値は最初から統計的には無意味な数値であると言えるのである。


② 「3000万の遊客」は「延人数」しかし「日本軍250万人」は「実人数」

「3000万の遊客」は「延人数」・・・というのは、どういう事かと言うと、要するにこの数字は、一人の客が、年間に100回利用しても、それを100人と数えているのである。

一方において、日本軍慰安婦の方は、一人の軍人が100回利用しても一人として数えるという「実人数」で計算している。
これでは、正しい計算にはならない。

もし秦氏の数値の間違いを訂正し、一人の兵士が年間12回慰安所に通うと仮定してこちらも「延べ人数」に揃えるなら、計算上19.2万人になると永井氏は述べている。

自分でも否定してしまっている

秦氏板倉氏の推計を「妥当なところだろう」と肯定している。
板倉氏は慰安婦は前借を一年から二年で返すためには年2000人、月平均150ないし160人の客が必要」だとしているが、これについて秦氏は「1937年の娼妓4.7万人と遊客3082万人から計算すると、一人が年間に600余人を相手にしたことになるから、「ハイリスク・ハイリターン」の戦地出稼ぎでは年2000人という板倉の計算は妥当なところであろう」慰安婦戦場の性』P402頁)と肯定しているのだ。この引用にある年間600余人とは、「1937年における日本内地公娼1人あたり年間平均接客数(上記の「遊客」数を「娼妓」数で割った数値)」である。いっぽう、「年2000人」のほうは、「軍慰安所での慰安婦1人あたり年間平均接客数」なのだから、ここで秦氏は、「1937年における日本内地公娼1人あたり年間平均接客数(上記の「遊客」数を「娼妓」数で割った数値)と慰安所での慰安婦1人あたり年間平均接客数とは等しいはずがない、後者前者の3倍が妥当である」との判断を下していることになる。

板倉氏の推計の肯定によって「内地(国内)の公娼1人あたり年間平均接客数が1944年時点での軍慰安所での慰安婦1人あたり年間平均接客数と同じである」という前提がすでに崩壊している事が分かるであろう。
詳細は各自が読んでいただきたい。https://ianhu.g.hatena.ne.jp/nagaikazu/20080402


             全ての被害者数値を理由なく少なくする秦氏

秦郁彦氏は、満州事変以降の14年間の戦争における各国様々被害を、「より小さな数字」にすることを使命としているようだ。南京虐殺は四万人という最小限の数字にとどまり(南京事件、アジア戦争被害者(死者)数については、「200万人」というおそろしく小さな数字を出している歪められる日本現代史』PHP研究所P65』)。この死者数については、例えば『日本史辞典』(1999)では「1900万人以上」となっている(P712)のだから、それがどれほど小さな数字か分かるだろう。ろくな根拠も示さないまま「200万人以下」にしてしまうのは、「そうしたいから」であろう。


南京事件において
秦氏が民間人犠牲者数を0.8万~1.2万人としている根拠は、「スマイス集計(修正)」の値2.3万人で、その2.3万人を3分の1~2分の1して導出した値を採用している。しかし、3分の1~2分の1にしている理由については書かれていない。
この理由なき決め付けは秦論説の特徴の一つであると言える。
幕府山事件の犠牲者数に関しても8000人~15000人と幅があることを知りながら(P142)、計算する際には何の言及もなく下限値を採用している。つまり理由は無いが、最小値にしたいのである。
このやり方が、秦氏が唱えるほとんど全ての犠牲者数に共通しており、『理由は無いが、常に最小値を選ぶ』ということである。
さらに南京事件における「約四万人」の犠牲者数を現代史の光と影』P26~P27)では「 四万~六万」にしている。こうして時々に変化するのが秦論説のもう一つの特徴である。


慰安婦問題においても、同じやり方を踏襲しており、すでに述べて来たように理由を提示することなく決め付けている部分がある。
慰安婦の数の計算においても、何度も変遷したあげく、「内地(国内)の公娼1人あたり年間平均接客数が1944年時点での軍慰安所での慰安婦1人あたり年間平均接客数と同じである」という前提で計算をしているが、「どうしてそれが妥当性があるのか?」という事を何ら説明していない。さらに内地の公娼制下での接客人数自体が毎年変動しているのに、ある年度の接客数だけが適用できるとなぜ考えたのであろうか?
当然産まれるこうした疑問に対して秦氏はまったく答える努力を怠っており、ゆえに近現代お専門とする歴史学界で秦氏のこうした諸論をそのまま信用している学者はほとんどいない。
さらに使用する統計数字自体が無意味であり、幾重もの間違いを犯しているのである。