秦氏の慰安婦の数の計算間違い
統計的には無意味な数値、「実人数」と「延人数」を混同
「慰安婦の人数」についての秦論説に対する永井和氏の批判を私なりに解説してみよう。
この秦氏の計算の問題点は以下のようなものだ。
秦氏は、『昭和国勢総覧』第3巻の388、389頁にある二つの表「警察取締営業の状況(2)」(大正13年~昭和16年)と「興業と遊郭(2)」(大正15年~昭和16年)を使って『慰安婦と戦場の性』のP30に掲載されている表「戦前期の内地公娼関係統計」を造っている。
しかし、「興業と遊郭(2)」には「娼妓」と「遊客」の人数が記載されているが、「警察取締営業の状況(2)」の中には、「芸妓」「酌婦」「女給」の人数の記載はあっても「遊客」の数が記載されていない。そのため、この2つを一つにしている秦氏の表は「芸妓、酌婦、女給」の遊客の数」がスッポリ抜け落ちてしまっている。
② 「3000万の遊客」は「延人数」しかし「日本軍250万人」は「実人数」
「3000万の遊客」は「延人数」・・・というのは、どういう事かと言うと、要するにこの数字は、一人の客が、年間に100回利用しても、それを100人と数えているのである。
一方において、日本軍慰安婦の方は、一人の軍人が100回利用しても一人として数えるという「実人数」で計算している。
これでは、正しい計算にはならない。
③自分でも否定してしまっている
板倉氏は「慰安婦は前借を一年から二年で返すためには年2000人、月平均150ないし160人の客が必要」だとしているが、これについて秦氏は「1937年の娼妓4.7万人と遊客3082万人から計算すると、一人が年間に600余人を相手にしたことになるから、「ハイリスク・ハイリターン」の戦地出稼ぎでは年2000人という板倉の計算は妥当なところであろう」(『慰安婦と戦場の性』P402頁)と肯定しているのだ。この引用にある年間600余人とは、「1937年における日本内地の公娼1人あたり年間平均接客数(上記の「遊客」数を「娼妓」数で割った数値)」である。いっぽう、「年2000人」のほうは、「軍慰安所での慰安婦1人あたり年間平均接客数」なのだから、ここで秦氏は、「1937年における日本内地の公娼1人あたり年間平均接客数(上記の「遊客」数を「娼妓」数で割った数値)と軍慰安所での慰安婦1人あたり年間平均接客数とは等しいはずがない、後者は前者の3倍が妥当である」との判断を下していることになる。
詳細は各自が読んでいただきたい。https://ianhu.g.hatena.ne.jp/nagaikazu/20080402
全ての被害者数値を理由なく少なくする秦氏
秦郁彦氏は、満州事変以降の14年間の戦争における各国様々被害を、「より小さな数字」にすることを使命としているようだ。南京虐殺は四万人という最小限の数字にとどまり(『南京事件』)、アジア戦争被害者(死者)数については、「200万人」というおそろしく小さな数字を出している(『歪められる日本現代史』PHP研究所P65』)。この死者数については、例えば『日本史辞典』(1999)では「1900万人以上」となっている(P712)のだから、それがどれほど小さな数字か分かるだろう。ろくな根拠も示さないまま「200万人以下」にしてしまうのは、「そうしたいから」であろう。
『南京事件』において秦氏が民間人犠牲者数を0.8万~1.2万人としている根拠は、「スマイス集計(修正)」の値2.3万人で、その2.3万人を3分の1~2分の1して導出した値を採用している。しかし、3分の1~2分の1にしている理由については書かれていない。この理由なき決め付けは秦論説の特徴の一つであると言える。このやり方が、秦氏が唱えるほとんど全ての犠牲者数に共通しており、『理由は無いが、常に最小値を選ぶ』ということである。
慰安婦問題においても、同じやり方を踏襲しており、すでに述べて来たように理由を提示することなく決め付けている部分がある。
慰安婦の数の計算においても、何度も変遷したあげく、「内地(国内)の公娼1人あたり年間平均接客数が1944年時点での軍慰安所での慰安婦1人あたり年間平均接客数と同じである」という前提で計算をしているが、「どうしてそれが妥当性があるのか?」という事を何ら説明していない。さらに内地の公娼制下での接客人数自体が毎年変動しているのに、ある年度の接客数だけが適用できるとなぜ考えたのであろうか?
さらに使用する統計数字自体が無意味であり、幾重もの間違いを犯しているのである。