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秦郁彦論説の嘘・デタラメ・捏造・歪曲・誤解①インドネシアに関する嘘


郁彦氏の問題点を整理する必要を感じている。
慰安婦と戦場の性』をはじめ、問題は山のようにあるからだ。

そこで一つ一つやって行こうと思う。

しかし、正直ため息が出てしまう。
これが歴史学者の名でなされている仕事なのかと思うと、暗澹たる気分である。

当会が秦氏慰安婦論に見出す個別具体的な嘘・デタラメ・捏造・歪曲・誤解は、相当数に昇っている。おそらく、100個所近い記述を指摘することになるだろう。

しかし、こうした秦郁彦氏の嘘・デタラメ・捏造・歪曲・捏造・誤解が、広く右派論壇に信じられているのを見ると、問題点を整理しておく価値もあるものと考える。

まずはこれから。



秦郁彦氏が書いた 従軍慰安婦問題 歪められた私の論旨 誤認と誤断に満ちた国連の報告書に異議あり(『文藝春秋』1996年5月)という論稿である。


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 秦郁彦 『従軍慰安婦問題 歪められた私の論旨 誤認と誤断に満ちた国連の報告書に異議あり」『文藝春秋』1996年5月)

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文藝春秋』1996年5月号目次です








秦氏の間違いは赤線の部分)


まず秦氏
「96年1月14日付けの朝日新聞報道」と書いているが、これは「96年2月14日」の誤りである。1月14日には慰安婦記事自体が存在していない。

次に
「川田文子の現地調査によった」と書いているが、16884人を調査したのは、インドネシアの「兵補協会」であって川田文子氏ではない。

それから、名乗り出たのは「性暴力被害者」であって、「元慰安婦」ではない。

朝日新聞96年2月14日号を掲載しよう。

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朝日新聞96年2月14日)



秦郁彦氏の頭の中では、「何しろ日本軍の兵力が一万人前後なのに、それを上回る慰安婦はあり得ず大多数は便乗組と思われる」ということになってしまうらしい。

しかし、名乗り出ているのは「性暴力の被害者」であって「慰安婦」ではない。ほとんどは強姦被害を受けたという訴えだろう。
勝手に慰安婦が名乗り出た」にしてしまって、あげくに勝手に「あり得ず」にしてしまっている。こうなるとお手上げである。

林博史氏が昔書いていたが、「秦氏が頭の中で作り上げた「事実」が一人歩きしている」のである。日付けの間違いと言い、資料の扱いがデタラメすぎる。

もしNHKのETV特集1995年12月13日放映分が、「6508人の慰安婦が名乗り出た」と放送していたとしたら(それも有り得ないだろうが)、それは誤報に近いので問題である。しかし、もしそうであっても秦氏は鵜呑みにしてないで、知性ある歴史家として、自分でも読んでいるはずの(本当に読んでいるかどうかは知りませんが)上記朝日新聞などを参考にして訂正すべきであろう。
このETV特集1995年12月13日放映分については、近い内に調査しようと思っている。

      

「1995年、元兵補連絡フォーラム協会も元「慰安婦」の登録をはじめました。これらの登録には元「慰安婦」のケースのほか、レイプその他さまざまなケースが含まれているようで、その数は膨大なものになりました。」

と書いている。「レイプなどが含まれて」こういう数字になっているのである。


性暴力被害者の数は膨大になったが、慰安婦として認定された人はそれほど多くもない。

兵補協会では何人が慰安婦の実数になっているのかは知らないが、ブディ ハルトノ、さんとダダン ジュリアンタラさんが著したインドネシア従軍慰安婦の記録―現地からのメッセージ』(2001)によれば、ジョクジャカルタに登録された慰安婦数は300人だという(p15)。


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      生懸命誰かを攻撃するための物語を捏造するウヨクさんたち
          こういうのをスケープゴード造りというんだよね

ウヨクさんの造り出した物語では、「高木弁護士がインドネシアに訪れ、元慰安婦に名乗り出て欲しいと宣伝した」ことになっているらしい。
この宣伝があったので、予想外の大人数が名のり出た、どうしてくれるんだ、この人権弁護士野郎!という寸法だ。


『「人権派弁護士」の常識の非常識』 著者: 八木秀次 
https://books.google.co.jp/books?id=H9mkBwAAQBAJ&pg=PT103&lpg=PT103&dq=%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%8D%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%AE%E5%85%83%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E6%95%B0&source=bl&ots=1qm4AHR28K&sig=I4NIaekREZbA7I2S7JUuliMPUAQ&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwiW2NaT8trMAhVGqaYKHZvwC0gQ6AEIODAF#v=onepage&q=%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%8D%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%AE%E5%85%83%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E6%95%B0&f=false
この高木弁護士は筋金入りの人権弁護士である。     平成5(1993年)には他の弁護士と共にインドネシアを訪れ、「元慰安婦の補償のためにインドネシアにやって来た。1人あたり200万円の補償を日本政府に要求するので、元慰安婦は名乗り出て欲しい」と宣伝した。これに応じて名乗り出た元慰安婦の数はなんと2万2千人。インドネシアが日本の軍政下にあった時代,駐留していた日本兵は2万人である。それを上回る元慰安婦が名乗り出たのだ。  (略)

(秦と同じ論理構成になっていることに気付くだろう。)
(ご多聞にもれず、 「元慰安婦の数はなんと2万2千人」になっている。)
(ウヨクさんは人権派が嫌いらしい。阿比留記者もこんなことを書いている。http://www.sankei.com/politics/news/131115/plt1311150022-n3.html )



しかし、普通に考えて、高木弁護士がインドネシアに行ったからと言って、そんなに大きな影響力があるわけがない。もちろん、高木氏がロックスターであるとか、ゴールデンタイムにカンガンニュースが流れたというなら、影響もあなどれないかも知れないが。どうすれば高木氏の影響をこんなに大きく考えることができるのだろう?常識が無いのだろうか?

インドネシアでたくさんの女性が「性暴力被害者」として名乗り出たのは、日本政府の慰安婦関与表明の動きを受けて、当時のインデネシア政府が呼びかけたからであろう。

インドネシア従軍慰安婦の記録―現地からのメッセージ』によれば、1993年の4月には、インドネシア共和国社会相は「日本軍慰安婦の犠牲となったインドネシアの女性たちを探す必要がある」と声明を発表したという。
(p15)


この声明を受けて、法律援護協会(LBH)が窓口を開設したのである。

そもそも民間では、慰安婦問題について元々それなりに知られており、倉沢愛子氏によると、インドネシアでは多くの女性が日本兵の性的犠牲になったのは周知の事実であり、1959年にはすでに「聖戦」に巻き込まれた少女の話が新聞に投書されていたというhttp://www.awf.or.jp/pdf/0062_p089_105.pdf

近年の慰安婦問題が始まってからは、1992年7月には全国紙「コンパス」が読売新聞の記事を紹介し、http://www.awf.or.jp/pdf/0062_p089_105.pdf
同時期、時事週刊誌「テンポ(Tempo)」が「従軍慰安婦」特集をしている。

朝日新聞ではなく、読売新聞の影響だったことをみなさん記憶して置こうね。)

マスコミに登場するようになると法律援護協会(LBH)がこれに関心を示すようになった。1993年4月に上記社会相の声明があった頃、村山アキラ氏を団長とする日弁連の弁護士5名(村山氏の他にイシダ・アキヨシ、ヨシ・マサアキ、ノガミ・カヨコ、岩城和代)が、10月に東京で開催予定であった戦後補償に関するセミナーのため労務者ならびに慰安婦のの事実関係調査に訪れた。この日弁連の弁護士のインドネシア訪問を契機に、慰安婦問題はいっそうマスコミの脚光を浴び報道が加熱したのは事実だが、「慰安婦問題はインドネシア側から出てきたのでなく、日本側から「火をつけた」というのは誤解である。

高木弁護士は、元々日本から強制貯金払い戻しを要求していた民間組織である兵補協会で「慰安婦の実態調査をしてみたらどうですか」と話している。しかし、それは1995年の話である。
どうやっても、「火をつけた」にはならないだろう。

一体
(高木弁護士は)(1993年)には他の弁護士と共にインドネシアを訪れ、「元慰安婦の補償のためにインドネシアにやって来た。1人あたり200万円の補償を日本政府に要求するので、元慰安婦は名乗り出て欲しい」と宣伝した。これに応じて名乗り出た元慰安婦の数はなんと2万2千人

というデタラメ小話はどこから湧いてきたのだろうか?


日本から高木弁護士が行って宣伝したから、インドネシアでたくさんの女性が慰安婦として名乗り出た、悪いのは奴だ式の、まったく理論性も根拠も無い扇動のための嘘に騙されてはいけない。

「レジェンド・オブ・高木」・・・ただ一人で慰安婦問題を背負った男

どんなレジェンドだ、そりゃ?(笑)