河野談話を守る会のブログ2

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吉原の生活   『吉原花魁日記』、『春駒日記』より



1926年12月文化生活研究所から刊行された『光明に芽ぐむ日』
作者は、元吉原の花魁、森光子である。

『吉原花魁日記』、『春駒日記』 から、吉原娼妓の生活を探ってみよう。




本の帯
1905年、群馬県高崎市に生まれる。貧しい家庭に育ち、1924年、19歳のとき、吉原の「長金花楼」に売られる。2年後、雑誌で知った柳原白蓮を頼りに妓楼から脱出。
1926年、本書、1927年『春駒日記』を出版。
その後、自由廃業し、結婚した。晩年の消息は不明。


朝日文庫 『吉原花魁日記』


「怖いことなんか、ちっともありませんよ。お客は何人も相手にするけれど、騒いで酒のお酌でもしていれば、それでよいのだから、喰物だって東京の腕利きの御馳走ばかり、部屋なんかもとっても立派でね。まるで殿様のようなものですよ。お金に不自由しないし、着物はきられるし、2,3年も経てば立派になって帰ってこられるのだから」(P6)と周旋屋の甘言

「何でも、男に騙されないようにして、こっちからうまくだますようにしなければ駄目だ。」と彼の顔にはずるい賤しい、そして野卑な色が現れている。(P12)

(主人は)・・・やわらかい大島の綿入に、同じがらの大島の羽織を着て、大きい立派な火鉢の前に座っていた。指には毒々しい大きな印材の指輪をはめ、兵子帯にも金の鎖が光っている。随分贅沢な暮しをしているらしく直感された。(P14)

都合1100円だけしか家に入らない。証文は1350円。そうすると250円は周旋屋がとることになる。(P20,21)

行くと警察の脅かされる(P21,22)

19才(P37)

(やりて婆が初店でいうには)「楽して金を稼げると思うと間違っています・・・・何でも客の自由になって、うまくだまして通わせる様にしなければ嘘です。・・お客さまが何を要求しても、嫌だなんと言ってはいけません。」(P39)

憎んでも憎んでも、あきたらないのは周旋屋だ。(P43)

お正月には、「玉抜き、あるいはしまい玉といって、客に全夜の玉(12円)を2本つけさせ、そのうえ遣り手婆さんに普通よりも多くご祝儀を出させるのだとの事。その時は芸者をあげるのだそうだ。その玉抜きができない花魁は1日に2円の罰金がとられるのだと。(P52)

また3月3日のお節句にさ、5月5日に、まごまごしている内に6月の移り替が来る。また10月の移り替。そのたびに罰金だからやりきれないね」(P52)

客は前よりもひどい事をする。まるで、強姦同然の事をして得意がっている。いくら泣いてももがいても話そうとしない。・・・そうした獣同然の人に妾は1時間以上も苦しめられた。」(P69)

今日、お婆さんに客をだます方法を教わった。(P79)
「なんでもお客を欺す事を考えなくちゃあ駄目ですよ。お客なんていうものは皆甘いから、花魁が上手く騙せば、たいていは言うことを聞くものよ」(P80)

春駒は、「到底できそうにない」(P80)と書いている。

     嘘言のいわねば来ぬという事の
             今宵しみじみ寂しくなれり。





      『春駒日記』


P304
  生き地獄の生活(1)

私は私ども女郎生活がいかに苦しいものであるかを、姉妹方にお知らせするために私達女郎の生活をざっと書いてみます。

昔は店にならんでお客を呼んだそうですが、今は中でお客がくるのを待っているのです。・・・・私は自分の情けない姿、他の花魁の哀れな姿を見ていると、涙がいつの間にか出て来ます。ここにある私達は人間ではない、品物だ、人肉の市の売り物だ。どうしてこれを人間の生活ということができようか、そしてこんなものが稼業だなんて言って、どうして政府ではこんな社会を許しておくのだろう。(305)

P309
    暗き前途
「どうして私達はいつまでもいつまでも自由になれないのでしょうね」(P309)

白粉やけで真っ青になっている顔。血は吸われ、肉はけずられて、やつれて見る影もない。これが人の子の姿でしょうか、母親がみたら、・・・・私のほほにはいつしか涙がとめどなく流れて来ます。(P310)


また今夜もあの鬼どもが苦しめにくるのだ。(P310)


巻末用語解説

廻し=遊女が複数の客をかけもちでとる事    (P336)
廻し部屋=またしておく部屋(P335)
壮士=雇われた用心棒  (P335)
本部屋=遊女の個人部屋(P336)
自由廃業=娼妓取締規則・芸妓営業取締規則によって、芸娼妓が抱え主の同意なしに自由意思で廃業すること。警察に出頭、もしくは書面で。しかし警察は貸し借り関係を調べるという名目で楼主に連絡するため、結局は連れ戻され、実際に廃業するのは非常に困難であった。(P338)





 

 解説
 「怖いことなんか、ちっともありませんよ。お客は何人も相手にするけれど、騒いで酒のお酌でもしていれば、それでよいのだから・・・」
 そんな周旋屋の甘言を真に受けて、どんな仕事をさせられるかも知らぬまま、借金と引き換えに吉原に赴き、遊女の「春駒」となった光子。彼女の身分こそ、まさに公娼制度の中にある娼妓であった。

 
 自分の仕事をなしうるのは、自分を殺すところより生まれる。わたしは再生した。
 花魁(おいらん)春駒として、楼主と、婆と、男に接しよう。何年後において、春駒が、どんな形によって、それらの人に復讐を企てるか。復讐の第一歩として、人知れず日記を書こう。それは、今の慰めの唯一であるとともに、また彼らへの復讐の宣言である。
 わたしの友の、師の、神の、日記よ、わたしは、あなたと清く高く生きよう。
 客よりの収入が10円あれば、7割5分が楼主の収入になり、2割5分が娼妓のものとなる。その2割5分のうち、1割5分が借金返済に充てられ、あとの1割が娼妓の日常の暮らし金になる。
 一晩で、客を10人とか12人も相手にする。
 客は8人。3円1人、2円2人、5円2人、6円1人、10円2人。
 客をとらないと罰金が取られる。花魁は、おばさん、下新(したしん)、書記などに借りて罰金を払う。指輪や着物を質に入れて払う花魁もいる。
 朝食は、朝、客を帰してから食べる。味噌汁に漬け物。昼食、午後4時に起きて食べる。おかずは、たいてい煮しめ。たまに煮魚とか海苔。夕食はないといってよいほど。夜11時ころ、おかずなしの飯、それも昼間の残りもの。蒸かしもしないで、出してある。味の悪いたくあんすらないときが多い。

 「花魁なんて、出られないのは牢屋とちっとも変わりはない。鎖がついていないだけ。本も隠れて読む。親兄弟の命日でも休むことも出来ない。立派な着物を着たって、ちっともうれしくなんかない・・・。
 みな同じ人間に生まれながら、こんな生活を続けるよりは、死んだほうがどれくらい幸福だか。ほんとに世の中の敗残者。死ぬよりほかに道はないのか・・・。いったい私は、どうなっていくのか、どうすればよいのだ。」

虐げられた女たちの魂がこれを書かせたのである。