河野談話を守る会のブログ2

ヤフーブログ閉鎖のため移住しました

創価学会婦人平和委員会の採談=「同じ日本人の女性として、言葉に表すこともできない憤りに苦しんだものでした」





政権の一翼を担う公明党だが、「慰安婦」問題に関する発言は極端に少ない。いや、すでに「政権の一翼を担う公明党」ではなく「自民党の一部としての公明党」かもしれないが。

朴大統領と安倍首相の会談や日韓交渉について与党の一員としての公明党、またその公明党を応援しつづけ、韓国に50万人信者を抱える創価学会はどう考えているのだろうか?

かつて私の知る創価学会員たちは、池田大作氏の「絶対平和主義」をそれこそ絶対視していた。あの酷い戦争を経験し、さらに戦時中祖師牧口常三郎戸田城聖の国家から受けた仕打ちを知っていた池田大作氏が「平和」を強く求めたのは当然の事であっただろう。
「戦争ほど残酷なものはない」から始まる主著『人間革命』は、その祈りの書ではなかったのか。

その教えたところを最も素直に引き継いだのがおそらく創価学会婦人部であり、当然の帰結として、戦時中の出来事を調査・記録した著作物も多い。
の中にはこんな記述もある。



創価学会婦人平和委員会編
『シリーズ平和への願いをこめて2・従軍看護婦編 白衣を紅に染めて』
第三文明社、1981
「戦地で見た女の悲しさ」と題する宮城県古川市在住の60歳女性手記。海軍に召集され、看護婦としてジャワ島のスラバヤに。

昭和18年、南洋・マカッサル

ジャワ島に行く途中、私達の乗った輸送船が潜水艦に襲われ・・・・その時は運よく魚雷に当たらず、私たちはヤレヤレと胸をなでおろしましたが、それも束の間、またまた、何かの理由で船は進行を阻止され、やむなく途中のセレベス島マカッサルという所で1か月待機することになりました。ところが、私はこの地で先に記した戦場での負傷者よりもっとひどいものを見ることになりました。それは日本軍隊の恥部ともいわれている従軍慰安婦の実態でした。性病に冒され、局部が形がなくなるほどむごくくずれた彼女達は、「決していわないでくれ」といいながら、少しずつその生き地獄のさまを話してくれたものです。戦争のために送られた兵隊達もそこが戦場となっていなければ、休日もある。休みといっても行く所もすることもなければ、勢い、男達は慰安所に列をなす。慰安婦の数は少なくはなかったが、兵隊の数はあまりにも多く、時間を区切って用を済まさせたが、1日に数えきれないほどの人数を受け入れなければならず、それはもう生きた心地はない……と。それまで話に聞いたことはありましたが、現実にそういう所に身をさらさなければならない女性と接するにつけ、その中には朝鮮の女性もたくさんおりましたし、私は「ああ、日本人って、日本軍隊ってこういうものだったのか」と同じ日本人の女性として、言葉に表すこともできない憤りに苦しんだものでした」(156~157ページ)


「生き地獄のさまを話してくれた」のであり、1日に数えきれないほどの人数を受け入れなければならず、それはもう生きた心地はない」のであり、性病に冒され、局部が形がなくなるほどむごくくずれた彼女達」なのである。

この元従軍看護婦の方が語った
「ああ、日本人って、日本軍隊ってこういうものだったのか」と同じ日本人の女性として、言葉に表すこともできない憤りに苦しんだものでした」
は、現在の支援団体の女性たちにも共有されている感情であろう。

慰安婦の方々の筆舌に尽くしがたい体験の数々は、「言葉に表すこともできない憤り」をもたらす。それは人が生まれ持った”良心のうずき”なのである。我々の良心は良心の乏しい悪辣な行動に対して、憤りを感じるものだからだ。

最近、朴裕河という人が、わずかな資料を器用に使いながら、「慰安婦は軍の同志」だと主張しているが、先行する歴史研究をひたすら無視する彼女は何も知らないのである。アジア侵略に乗り出した日本軍の行く手にどのような極悪非道な世界が現出していたか。日本国内に引き起こされた暗黒。そして戦地、占領地に展開した巨大な暗黒が皇軍によって展開していた。

戦地では一体何が起こったのか?
そして、それはなぜ、起こったか?
その探究はこのブログのテーマの一つでもある。





局部が使い物にならなくなる別の話
白鳥隆寿の『シッタン河に沈むービルマ敗走記』(1962年)にも「しかし日本人でも、上海上陸作戦のとき、部隊集結地の高雄に集められた商売女の中には、60余名のレコードが出たと聞いた。さすがに終わりには気を失い、局所の一部分がびらんして舌のように厚くはれ上り、数日は身動きもできず、便所にもいけず、使いものにならなくなってしまったとのことだった」「こんな処に送られてきて、逃げるに逃げられず、身も心もすっかり使い果たして、廃人になってゆく女の人も、相当な犠牲者と考えざるを得ない」と書かかれている。