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「士官のなかにも自ら先頭に立って住民の部落に潜入し、掠奪や婦女暴行を行った者もいた」INフィリピン

日高親男 『南海をゆく-第153海軍航空隊戦没兵士の霊に捧ぐる鎮魂の記録』1984
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昭和20年、ルソン(フィリピン)
「(ルソン・インファンタの“自活生活”中)わが兵士のなかにもよくない奴がでてきた。数名が群れをなして群盗と化し住民の集落に夜襲をかけ、食糧を強奪し・婦女子を強姦・なかには一家みな殺しを犯す者が出てきた」

「このような犯罪行為は兵隊だけが行ったわけではない。士官のなかにも自ら先頭に立って住民の部落に潜入し、掠奪や婦女暴行を行った者もいた。わけても兵学校出身のキャリア組の少佐の一人などは、部下がかどわかして連れてきた村の娘を現地妻として、終戦まで同棲した」 (p234)
      

「群れをなして群盗と化し住民の集落に夜襲をかけ、食糧を強奪し・婦女子を強姦・なかには一家みな殺し」

「士官のなかにも自ら先頭に立って住民の部落に潜入し、掠奪や婦女暴行を行った者もいた」

「村の娘を現地妻として、終戦まで同棲」


山本七平によるとフィリピンでは敗戦時、皇軍将兵は「石もて逃げるように」日本に帰ってきたというが、それも不思議ではない話である。フィリピンでの皇軍将兵の強姦の多さは軍中央も把握していて、陸軍省の局長会議を記録した陸軍省局長会報(陸軍省業務日誌摘録』金原節三) には

南方軍の犯罪件数二三七件。大体において支那事変に比し少し。14A〔第一四軍〕には強姦多し。女が日本人向きなるを以ってなり」

「南方の犯罪六一〇件。強姦罪多し。シナよりの転用部隊に多し」

「大尉がクアラルンプールにおいてマレー人の妻女を強姦」(マレー)

ジョホールの第三王女をだまし、写真機を詐取し、強姦」(マレー)
「比島方面においても強姦多かりし」
と記録されている。