河野談話を守る会のブログ2

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「日本じゅうの犯罪者が軍服を着て南京に勢揃いしたのかといいたくなる」BYラーベ




我が国の皇軍兵士たちの足跡を追う作業は、けっして楽しいものではない。彼らは必要の無い時にも、しばしば楽しみに掠奪し、強姦し、殺害し、放火した。「日本じゅうの犯罪者が軍服を着て南京に勢揃いしたのか」というラーベの嘆きは決しておおげさなものではなかったであろう。
こうしたことはいつの時代のどこの戦地、占領地でも起こる出来事ではある。どさくさにまぎれて自己の下劣なる欲望を達成しようとする輩はどこにでもいるからである。しかし、皇軍の大量の強姦は、この時代においてはソ連軍、ドイツ軍に匹敵する規模であり、なおかつ数人から数十人が集団で無力な婦女子を襲う様は、我が国の歴史を感じるものである。

 「葵の紋」徳川軍の奴隷狩り
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戦国時代我が国では「乱取り」と呼ばれる略奪行為がなされた。食べ物や財産だけではなくもちろん婦女子も掠奪した。日本史で知られている著名な武将は謙信から家康まで、皆配下にそれを許した。そうしないと働かないからだ。
皇軍もまた同様であり、掠奪を禁止できなかった。http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/65218383.html http://www.geocities.jp/yu77799/nicchuusensou/chouhatu.htmlそれだけが楽しみで戦地にいる者がたくさんいたからであろう。敵はもちろん殺せhttp://www.geocities.jp/yu77799/minkanjin.html、敵の女は犯してもよい。これが戦地における不文律であった。

仏教で言う阿修羅の地獄がふたを開けたのである。







南京事件の発生した昭和12年12月、民間ドイツ人として、南京市内に安全区を設け南京安全区国際委員会代表として活動した


【日記】
1937年12月13日
「日本軍は10人から20人のグループで行進し、掠奪を続けた。それは実際にこの目で見なかったら、とうてい信じられないような光景だった」(p110)


皇軍掠奪グループ行動
悪いこともみんなでやれば怖くないってか?

12月17日
アメリカ人のだれかがこんなふうに言った。『安全区は日本兵用の売春宿になった』。当たらずといえども遠からずだ。昨晩は千人も暴行されたという。金陵女子文理学院だけでも100人以上の少女が被害にあった。いまや耳にするのは強姦につぐ強姦。夫や兄弟が助けようとすればその場で射殺。見るもの聞くもの、日本兵の残忍で非道な行為だけ」(p123)



『安全区は日本兵用の売春宿になった』
昨晩は千人も暴行
100人以上の少女が被害に
強姦につぐ強姦
助けようとすればその場で射殺

12月21日
「日本軍が街を焼きはらっているのはもはや疑う余地はない。たぶん掠奪や強奪の跡を消すためだろう」(p131)


街を焼きはらう皇軍

12月23日
「今日、シンバーグが棲霞山から持ってきてくれた手紙には、棲霞山の1万7000人の難民が日本当局にあてた請願書が添えてあった。あちらでもやはり日本兵が乱暴のかぎりを尽くしているのだ」(p139)


棲霞山でも乱暴のかぎり

1月25日
「もし強姦した人間が残らず仕返しに殴り殺されたら、日本軍はすでに全滅していることだろう」(p204)


すごい数の強姦だったんだねえ


2月3日
「局部に竹をつっこまれた女の人の死体をそこらじゅうで見かける。吐き気がして息苦しくなる。70を越えた人さえなんども暴行されているのだ」

「江南セメント工場のシンバーグさんが、ギュンターさんの報告を届けてくれた。これをみると、南京だけが日本兵に苦しめられているのではないことがわかる。強姦、殺人、撲殺。同じような報告が、四方八方から入ってくる。日本じゅうの犯罪者が軍服を着て南京に勢揃いしたのかといいたくなる」(p222)



●局部に竹をつっこまれた女の人の死体をそこらじゅうで
70を越えた人さえなんども暴行され
南京だけが日本兵に苦しめられているのではない・・・強姦、殺人、撲殺
日本じゅうの犯罪者が軍服を着て南京に勢揃いしたのか