河野談話を守る会のブログ2

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史料精選/資料集

バタビア資料のたどった運命

1993年8月。河野談話の前に政府が集めた資料の中には「バタビア臨時軍法会議の記録」がありました。 この資料には「ジャワ島セラマンほかの抑留所に収容中であったオランダ人女性らを慰安婦として使う計画の立案と実現に協力したものであるが、慰安所開…

朴慶植の『朝鮮人強制連行の記録』に書かれている慰安婦と辻政信の『十五対一』

★『朝鮮人強制連行の記録』 朴慶植の『朝鮮人強制連行の記録』における慰安婦記述 同胞で軍人、軍属として南方に連行されたものは数十万の大変な数に上ると思うが、このように輸送船が沈められて死んだものが相当多い。またこの中には同胞の女性も多かった。…

慰安婦「強制連行資料」を提出したがネトウヨ政府はこれを認めるのを拒んでいる

慰安婦強制連行が書かれた資料が、国立公文書館から、内閣府に提出された。 19件182点 資料の多くが強制を示しているが、内閣官房は取材に「強制連行を示す記述は見当たらないという政府認識は変わらない」としている。 ネトウヨですか? http://www.to…

資料精選『思い出の昭南博物館』解説

https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/65899884.html すでにここで紹介した 『思い出の昭南博物館』について、リクエストがあったので詳しい内容を公開しておきたい。 著者のE.J.H.コーナーは、ケンブリッジ大学名誉教授もつとめていた人で、熱帯植…

慰安婦女性30人銃殺を記録した日誌 史料

堀家康弘 @kounodanwawoma1 11月9日 「日本軍、朝鮮人女性30人銃殺」慰安婦虐殺記録の原本発見(京郷新聞) http://east-asian-peace.hatenablog.com/entry/2016/11/09/000247 … 秦郁彦は『慰安婦と戦場の性』p123で「拉孟では手榴弾や毒薬で慰安婦たち…

幻のリー・パクド資料を巡る顛末記

☆ 毎日新聞が幻のリー・パクド資料を見つけたという記事を出している。 http://mainichi.jp/articles/20160610/k00/00m/010/117000c (一部引用) 「慰安婦は身売りと認識」 尋問調書は、慰安婦問題に取り組むアジア女性基金が資料委員会を作り、1997年…

業者が慰安婦を集めるのは「公務」だった

これは、慰安婦問題における第一級資料の一つ、『武漢兵站』 に書かれている内容である。 山田清吉著 『武漢兵站』 図書出版社、1978年発行。予備役陸軍少尉の山田は、昭和16年9月、召集される。数えで42歳だった。 「孝感から来た朴景道という50…

読売新聞の先輩記者小俣行男が描いた慰安婦の思い出ー『戦場と記者』

まだ、千田夏光が『従軍慰安婦』を書いて世に問う前に、軍記や戦記に描かれた慰安婦・慰安所を探求しているが、今回は小俣行男『戦場と記者』である。 この著作の特徴はこの従軍記者が読売新聞の先輩記者であるということである。 現在、「慰安婦は性奴隷で…

慰安婦を渡航させるためにお国がしていたズルっこいやり方

日本から中国にわたる際には、1937までは旅券を必要としなかった。しかし日中戦争がはじまると警察が発行する身分証明書かもしくは外務省の旅券を必要とするようになった。 それが、1937年8月の話である。 それから、ゴールド・ラッシュさながらの…

『玉の井挽歌』の注目点

『玉の井挽歌』 1983年 作家の大林清氏が元玉の井銘酒屋組合長の国井茂氏から聞き取り この資料の注目点) ① 陸軍省が「慰安婦」集めのため業者にアプローチ ② 当時、総動員下であり、軍が必要だと判断すれば、徴用という形になったはずである。しかし、さす…

部隊副官の指揮下にあった慰安婦(by山本七平)

<メモ> (『日本はなぜ敗れるのか』p274) 日本軍は外面的組織では全てが合理的に構成されていて、その組織のどこに位置づけてよいかわからぬ存在は、原則として存在しない。組織はそれ自体として完結しており、少しも矛盾なき幾何学的図形のように明示でき…

悪名高い皇軍憲兵の暴力性・拷問を振り返る

http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/65091642.html ここで書いた憲兵についてもう少し書いておこう 慰安婦一級資料が語る憲兵の拷問 麻生徹男という人がいた。戦時中は陸軍の軍医をしており、慰安所が大量設置されはじめた1938年の上海で、軍…

「身分も軍属である」=忘備録として=

軍司令官官邸の裏に小さい神社があった。『大義神社』と墨痕鮮やかな標柱が立っている。おもしろい名前だ。『小義神社』というのがどこかにあるような気がする。 六月八日、初の月例祭に参拝した。司令部の将兵全員とバンコクの居留民代表が朝早くからお詣り…

ニューギニアの慰安所【中間報告その2】-『秘めたる空戦 』が描くウエワクの慰安所

『秘めたる空戦 』が描くウエワクの慰安所 1、前置き 「河野談話を守る会」では、ニューギニア島とその周辺にあった慰安所についての真相を探って来た。 このような記事として、 地獄の戦場と化した―ニューギニアの慰安所について http://blogs.yahoo.co.jp…

真実の追求=ニューギニアの慰安所についての調査中間報告

このブログでは、ニューギニアの慰安所について簡単な追及をして来た。ニューギニア周辺の島々には複数の慰安所があった。 http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/65011437.html パプアニューギニア/ニューブリテン島・ココボについては 『水木しげる…

ビルマの日本軍慰安所(日本軍慰安所管理人の日記)を読む

ビルマとシンガポールの日本軍慰安所の帳場に勤めていた朝鮮人の日記が2012年5月に韓国で発表され、日本語でも公開されている。 http://www.naksung.re.kr/xe/index.php?mid=sepdate&document_srl=181713&ckattempt=1 全文を読みたい人はここからダウンロー…

地獄の戦場と化した―ニューギニアの慰安所について

昔、週刊朝日がニューギニアの慰安婦問題(平成9年10月17日号) について書いていた。慰安婦問題というよりも、強姦問題が主だろう が、実は私はニューギニアの慰安婦について特殊な情報は何も持っ ていない。直接被害者の話を聞いたことがないからだ。ここ…

軍人たちの慰安所(3)「騙された慰安婦たち」『我が太平洋戦記』松本正嘉『 遥かなる山河茫々と』畑谷好治

この資料も(右派以外の)「慰安婦」問題の研究者には、それなりによく知られている資料である。 http://rnavi.ndl.go.jp/books/2009/04/000003000164.php 『我が太平洋戦記』松本正嘉著 「日本人の悪質な業者に「皇軍慰問に行かないか」と誘われていくらか…

軍人たちの慰安所(2)『青山学院と出陣学徒』ー永瀬隆が伝える慰安所

永瀬隆さんと言えば、すでに伝説上の人物である。 毎年タイを訪れては、泰緬鉄道建設に駆り出されて死亡した連合国兵士およびアジア人兵士労働者を慰霊したという。彼がそうしたのは、陸軍通訳として泰緬鉄道建設の現場に関わっていたからだ。そしてかなり惨…

軍人たちの慰安所(1)『独山二-もう一つの戦争』(溝部一人)が伝える慰安所

『独山二-もう一つの戦争』(溝部一人編)が伝える慰安所 1990年ごろ、まだ誰も被害者が名乗り出ていなかった時代に日本政府は「慰安婦は業者が連れまわっていた」と答弁していた。まるで勝手に連れまわっていたと言わんばかりの言い草だったが、それか…

慰安婦の徴集が「軍の命令であった」と記録する公文書

慰安婦の徴集が「軍の命令であった」と記録する公文書 (http://www.awf.or.jp/pdf/0051_5.pdf p4「時局利用婦女誘拐被疑事件に関する件」) ↓ 画像をクリックして<拡大>を押す (財団法人女性のためのアジア平和国民基金編 『政府調査 「従軍慰安婦」関…

20130524 報道するラジオ「史実から問う、従軍慰安婦問題」

20130524 報道するラジオ「史実から問う、従軍慰安婦問題」 https://www.youtube.com/watch?v=GlfhtnW4fM4#t=375

慰安婦資料用 元日本兵の戦記・日記(4).

高畠喜次 『ブーゲンビル戦記』 1978 1942、1月 ニューブリテン島ラバウル 「頭は手ぬぐいで姉さんかぶり、戦地に似合わない派手な色彩に添えて、大掃除よろしく、5,6人の女たちが立ち働いているのでおかしいとは思ったが、特用倉庫員だと聞か…

慰安婦資料用 元日本兵の戦記・日記(3)

慰安婦について書いてある元軍人の戦記や日記、回想本は私が数えたところ200以上あるだろう。重要な内容のものもあればさして重要とも思えないものもある。 ここで取り上げているのは、その一部である。 藤原拓 『外科医戦場物語』 1977 北部ビルマ …

慰安婦資料用 元日本兵の戦記・日記(2)

単なる資料用ですので、特に解説を加えていません。 これまで掲載したものもあれば、まったくネット上には出ていないものも有ります。 長沢健一 『漢口慰安所』 図書出版社 1983 漢口兵站司令部付の軍医 中国中部・湖北省武漢市 1940 女は昨日午後、内…

慰安婦資料用 元日本兵の戦記・日記

これは単に資料用です。 田中保善 『泣き虫軍医物語』 毎日新聞社 1980 1944,5 「女給は皆日本娘で将校用の慰安婦をしており、兵隊用は先日私たちの兵舎を訪問した女たちで、日本娘の他に朝鮮や台湾の娘もおり、時にはジャワ娘もいた」 *女給=ゼ…

中山忠直の描く「娘子軍」ー最初から「女」を求めた皇軍の戦争

中山忠直の報告、賛美した娘子軍 中山忠直という人が昔いた。明治生まれ(1895(明治28)~ 1957)、大正・昭和時代を翻訳者、詩人、漢方医学者、日ユ同祖論者、国家主義ジャーナリスト・・・などの多彩な活動をした人物である。創刊間もない「文藝春秋」、雑…

慰安所を造ったエリート軍人たち

1、 慰安所を造ったエリート軍人たち 慰安所を造ったエリート軍人としては まず陸軍慰安所の創設者として有名な 岡村寧次大将 は、1944年には支那派遣軍総司令官となっています。陸軍三羽烏とも言われ、陸軍大将勲一等功一級を受けている。 この人が陸…

アジア連帯会議に関する報道一覧

Guardian(英)http://www.theguardian.com/world/2014/jun/02/war-sex-slavery-japan-comfort-women-shinzo-abe 新華社(中)http://jp.xinhuanet.com/2014-06/03/c_133379905.htm 東京新聞(添付) 共同通信の配信記事http://www.saga-s.co.jp/sp/news/nat…

【第12回『慰安婦』問題アジア連帯会議】2014.6/2

6月2日の[アジア連帯会議]は、衆議院会館でのオープン大会だった。 集まった300名の中には、各国大使館から17名が参加、国会議員とその代理が10名余り、カメラが回り、報道陣は何人いたか分からない。 せっかく来てもらえたのに入れなかった人が4…